「ルナ、どうした?」 スペース・ステーションを出たところのカフェで、ここ数日の思い出話をしながらお茶をし、地球行き宇宙船までもどったところだった。 「今回は、俺の出番はなかったみたいだな」 クラウドは、ルナが「バラ色の蝶々」の謎をすっかり解いてしまったことに嘆息し、説明をめんどうくさがったアズラエルの代わりに、ピエトから詳細を聞き、クリスマス休暇からの出来事を知った。 宇宙船に入るまで、クラウドはピエトと、延々とその話をしている。ミシェルはついに呆れて、さっさと先にいってしまった。なにしろ、ルナもぼんやりとしているのだ。 ルナは、移動用小型宇宙船までの通路を、ふりかえって眺めていた。さっきから、なにか考えごとをしているかと思えば、ふと振り向いては、何度もアズラエルに、「行くぞ」とうながされるしまつだ。 「ルゥ」 あまりにその頻度が高いので、アズラエルはついにルナを所持しようとしたが――。 「や、やっぱり、あたしE353にもどる! アズたち先にいってて!」 「どうしたんだ」 ルナは、低速で駆けだした。 「ルナ! おい、午後三時には、宇宙船はE353を離れるんだぞ!」 ルナは返事をしなかった。さっきE353から宇宙船まで来る際に乗った、小型宇宙船乗り場まで走っていく。 「しょうがねえな」 アズラエルとグレン、クラウドは、あとを追った。ピエトは「俺も行く!」と駆けだそうとしたが、「お子ちゃまはおうちに帰るの!」とエマルに襟首をひっ捕まえられて、終わりだった。 だが、ルナがふたたびE353までもどる必要はなかった。帰ってきた宇宙船に、ルナの目的の人物が乗っていたからだ。 「ルナちゃん」 老女を――アンを背負ったオルティスは、目が充血していた。アンは、オルティスの背で眠っていた。オルティスのあとから、荷物を持って宇宙船から出てきたのは、アンとツキヨの担当役員である、テオ・A・サントスだった。 「テオさんよ、迷惑をかけたな」 「いいえ、とんでもない」 若い役員の顔は、どことなく緊迫していた。 救急隊が、通路途上の鉄扉から飛び出してきた。あの扉の向こうは、シャイン・システムになっているらしい。テオはルナたちに会釈をし、オルティスを、「だいじょうぶですから」と励ましたあと、アンとともに、扉の向こうに消えた。 「アンドレアさん、見つかったのね?」 ルナは思わず言った。目を真っ赤にしたオルティスは、「ああ」と顔を歪めた。 「ルナちゃん、ありがとうな」 「オルティス、アンさんは――」 言いかけたグレンに、オルティスは言った。 「悪いな、すこし、時間あるか?」 一行は、通路からK15区に出ることなく、一気にK34区のバー、ラガーの厨房に出た。 「みっともねえとこ、見せちまったな」 オルティスは、店に入るなり鼻をかんだ。 「おまえらにも世話かけたよ」 読んでやってくれ。 そういってオルティスは、一枚の便せんを、グレンにわたした。グレンは受け取って読み、それから、無言でかえした。言葉を失ったようだった。オルティスは、アズラエルに渡した。ルナも、アズラエルと一緒に読んだ。 ずいぶん筆跡の乱れた、走り書きだった。 『オルティス、このあいだは、待ち合わせ場所に行けなくてすまねえ。 アンが、急に行かねえと言いだしたんだ。きっと、自分一人で宇宙船に乗るのを、嫌がったんだ。俺を置いていくのを。 アンは優しいから。 でも、俺は、アンに幸せになってもらいたい。おまえが積み重ねてきたがんばりにも、報いたい。死んじまった仲間たちや、ニコルにも、セインさんにもさ。 俺はだいじょうぶ。もういい大人なんだから、ひとりでだって生きていけるって、アンに伝えてくれ。地球行き宇宙船のチケットを譲ってくれたひとにもありがとうって言ってくれ。 ひとりでアンを看取っていくのを考えたら、俺は怖くなった。そうアンに言ってもいい。 俺はしあわせ者だ。 仲間の誰より長いこと、アンといっしょに暮らすことができた。 悔いはない。 俺は消える。どうかアンをよろしくな。俺はもう、E353にはいねえから、捜しても無駄だ。 俺のことはもう考えなくていいからな。 おまえが貯めた金は、今度は女房と、娘のためにつかうんだ。 さよなら、オルティ、アン。 マルセル』 オルティスは、目を覆っていた。 「昨夜、マルセルから、この店の電話に、連絡があった。俺はE353に降りていて、電話をとれなかった。帰ったら留守電がはいってて、あいつは、ホテルの名前だけのこしていた。俺が朝、電話にあったホテルに行くと、ベッドに眠ったアンと、荷物と、その手紙があった。マルセルはいなかった」 オルティスは、ぼうぜんとしたように、言葉を紡いだ。 「アンの担当役員を呼んで、アンを連れて宇宙船に乗るってンで、俺はアンを背負ってホテルを出ようとした――そしたら、海辺で、水死体が上がったって、ロビーが騒がしくて」 さすがに、アズラエルも顔色を変えた。ルナは、持っていた便せんを、落としてしまった。 「まさか」 「そのまさかだよ――マルセルだった。マルセルは、死んじまった」 オルティスもまだ、信じられない顔をしていた。 「アンを役員に預けて俺は見にいった――やっぱり、マルセルだった。マルセルは俺の兄貴みてえなもんだった。――マルセルは、死んじまった。アンを船に乗せたら、つぎはあいつを乗せようと思ってたことを、分かってたみたいだ……アンのために貯めて来た金は、あと十年もすりゃ、チケット代がたまるから、」 オルティスは吠えた。 「あと十年、なんで待てなかったんだよ!」 おまえは病気じゃねえだろうが! おおきな拳がカウンターに打ち付けられた。彼は吠えてカウンターに突っ伏し、泣いた。しばらく、オルティスのうめき声だけが、暗い店内に響いた。 「……このことは、おまえらの胸に納めといてくれ」 オルティスはつぶやいた。 「アンにも、それから、アンの相方になるひとにも言わねえでくれ……アンには、金が貯まったら、マルセルも乗せてやるって、そういって……」 そこで、堪えきれなくなったようにオルティスは嗚咽した。 「すまん……ほんとにすまん……今日は、ひとりにしてくれ……」 ルナたちは、店を出た。だれもが、オルティスにかける言葉もなかった。シャイン・システムにはいったところで、ルナは大声で泣き出した。無言で、アズラエルが抱きしめた。グレンが頭を撫で、セルゲイがルナの手を取った。ルナは、屋敷に着いてからもしばらく、泣き続けていた。 (うさこ、どうして) ルナは泣いた。 (どうして、マルセルさんの分は、なかったの) ルナは泣きじゃくりながらZOOカードボックスを叩いたが、手が痛くなるまで叩いたが、月を眺める子ウサギも、導きの子ウサギも、姿を現すことはなかった。 (うさこのばか……!) |