「……アンドレア事件から、もう何十年もたってる。そんなに警戒しなくちゃいけねえのか」

アズラエルは思ったことを言ったが、オルティスは重いため息を吐いた。

「きっと――アンの存在は、特殊なんだ」

「……」

「俺たちただの傭兵とはわけが違う。ドーソンはあのときアンに逃げられちまった手前、プライドもあって表向きには銃殺刑と発表したが、執拗に、アンを追っていた。アンが人気者の歌手であることが、きっと危険視されたんだ。……アンは十年くらいたって、もうほとぼりが冷めただろうと、E353で歌手活動をはじめようとした。だが、そこまでドーソンは追って来たよ。おかげで、仲間が数人やられて、アンとマルセルと、セインさんはまた逃げ回ることになった」

「――!」

 

「アンは、ただ、傭兵のガキどもを助けたいだけだと思っていた」

オルティスは、苦笑した。

「なにせ、あの事件があったとき、俺は14歳だったんだぜ? 図体はでかいがアタマのほうはよくねえし――アンのやっていることを、半分も理解できていたかどうか」

「……」

「だが、今なら薄ぼんやりとわかる。アンは、軍事惑星群のタブーに、ヒールの先っぽを、突っ込んでいたかもしれねえ」

アズラエルは苦い顔をした。もしそうなら、そこまでアンが執拗に狙われ、警戒されるわけがわかったからだ。

「アンには将校の恋人もいた――そいつらを通じて、傭兵の待遇改善やら、地下活動やら、そういった――軍事惑星のタブーに触っちまってたのかもな」

 

「それを言うんなら、この家にはエーリヒがいる。アイツはロナウドと縁の濃いゲルハルト家だが、L18の心理作戦部の隊長だぞ?」

アズラエルが念のため言うと、

「アンはもう、余命まもないばあさんだ」

オルティスは、さらに肩を落とした。

「まさか、アンを売ろうってンじゃねえだろうな、なあ、逮捕するのか? 冗談だろ。ルナちゃんとも一緒に仲良く暮らしてるってやつが?」

オルティスは泣きそうな顔でエーリヒに訴えた。

「ルナはこの際、関係ないと思うが」

聞いていたエーリヒは、そっけない声で言った。

「残念ながらわたしはアンの大ファンだし、あの歌声が二度と聞けなくなるようなことに、加担する気はないね」

「だとよ」

「なら、安心だ」

オルティスは、おおきな背中を丸めて、やっとコーヒーに口をつけた。

 

 

 

「うさぎぴょこぴょこ、」

「みぴょこぴょこ!」

「合わせてぴょこぴょこ、」

「むぴょこぴょこー!」

ルナとリンファンは、なかよくぴこぴこペンギンダンスを踊り、歌いながら洗濯物を取り入れて、たたんでいた。

その光景を凝視していたクラウドが、「ルナちゃんのカオスの原点を見た」となにやら、宇宙の真理に気付いたような顔をしていたので、アズラエルは放っておいた。

 

「洗濯物たたんだら、ママの荷物ほどくの手伝おうか?」

リンファンとエマルは、今のところふたりで一室つかっているが、まだ荷物は片付けていない。ルナは言ったが、リンファンは、「んーん」と首をふった。

「ママとエマルは、このお屋敷には住まないわよ」

「え!?」

「一週間ほどはお世話になるかも。でも、ツキヨさんもね、ここには住まないわ。お話次第では、もしかしたら、アンさんも、そうなるかもしれないわね」

 

青天のへきれきだった。みんな――エマルもリンファンもツキヨも――この屋敷で暮らすものだと思っているはずだ。

オルティスも、そのために、アンをここに連れて来た。

 

「アンさんは、病状次第かしら――さっきセルゲイさんとお話ししたけど、末期ガンにしては元気すぎるから、たぶん、そんなに進行してはいないんじゃないかって」

「そうなの!?」

ルナのうさ耳がぴこたんと跳ねたのを見て、リンファンは、釘を刺した。

「あくまでも、セルゲイさんの見立て。ちゃんと検査したわけじゃないから、病院のお医者さんに診てもらわないと。たぶん、放っておくと病状が進んでしまいますよって、脅かされたんじゃないかって、セルゲイさんは言ってた。アンさんは、お金がなくて、最初、治療を拒否したそうなのよ」

「……そうだったんだ」

 

「ルナ、あなたもアズ君も、アンさんが同居することをかんたんにいいよと言ったけれど、病人が家にいるということは、あまりかんたんなことじゃないのよ」

 

ルナのうさ耳がぴこん、と跳ねた。

「ツキヨさんもアンさんも――症状が重くなったり、治療次第では、寝たきりになることもあるわ。気を遣うのはあなたたちだけじゃない。ツキヨさんたちもそう」

「……」

「あの年になると、こんな賑やかな屋敷で暮らすより、気心の知れた人と、しずかに暮らしたい、そう思うものよ?」

ルナのうさ耳が、徐々に、元気を失って垂れていく。

「あなたとアズ君だけだったらよかったかもしれないけど、この屋敷には、けっこう人が出入りするでしょ。賑やかなのは、たまにでいいの」

ルナの顔色が一気に沈んだのを見て、リンファンは笑った。

「そんな顔しないの! 遊びには来るわよ。ここにはレオナちゃんもバーガスくんもいるし――アズ君も、ママと一緒なんて、居心地悪いでしょう」

「……」

「ルナったら、ずいぶんおとなになったと思ったら、まだ甘えん坊が直ってないのねっ」

ツキヨさんにも笑われるわよ、とリンファンはルナのぷっくりほっぺたを突ついた。

 

「担当役員さんに、中央区の病院がちかい場所に、マンションを見つけてもらったの」

L77ではだいぶ高級マンションの部類に入るが、この宇宙船では、そう高い家賃ではない。ルナたちのお屋敷しかり――船内は、不動産の価格が崩壊しているといっていい。三年目に入り、乗客もだいぶ降りた今、中央区といえど、空きはけっこうあるそうなのだ。

室内にシャイン・システムもあり、エマルがアストロスの特殊任務に参加しているので、シャインの認証カードがもらえた。だから、すぐこの屋敷に来られるのだと、リンファンはうれしげに言った。

ルナは、それよりも、気にかかることがあった。

 

「……おばーちゃんの病気、そんなに悪いの」

「悪いと言えば悪いわ――でも、ツキヨさんは、ルナとアズ君に会いたい一心で、こんなところまでがんばってきたのよ。お医者さんは、驚いてらしたわ」

「……」

ルナがうつむいたのを見て、リンファンは、洗濯ものをたたむ手を止めて言った。

 

「ルナ、くわしくは聞かないけど、きっと、あなたにはなにかやるべきことがあるのね」

「……!」

ルナはうさ耳をぴーん! と立たせた。肯定したようなものだった。

「それが、K19区の役員さんになるために必要なことなのか、ママは分からないけど――」

 



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