食事もすっかり終わったところだったし、十一時も過ぎていたので、子どもたちは入浴して歯をみがき、就寝するように、セシルに言いつけられた。 オルティスは、「いきなり泣き出しちまって、悪かった」としきりに言ったが、だれも責めるものはいなかった。この屋敷に、かなしみを理解しない人間はひとりもいない。 場はしらけてなどいなかった。アンの歌が終わったとたんに盛大な拍手が上がり、みんなは、おいしいケーキを口にした。 アンの声のように、甘いケーキだった。 「河岸を変えて一杯やろうぜ」 バーガスは、オルティスとアズラエル、そしてアンの担当役員のテオと、マタドール・カフェに向かうことにした。 アンは、ツキヨが自室へ連れて行った。 カルパナとシシーに、残った料理をたっぷり手土産に持たせ、おとなたちは片付けにとりかかった。 準備をはじめたときと同様、ひともたくさんいたので、片づけはすぐにすんだ。 男たちは、今夜は自室のシャワーで済ませると言った。それぞれの部屋に、シャワーと小さなバスタブはついている。だが、大浴場があるので、あまりつかわれていなかった。 ルナは、ミシェルとリンファン、エマルとレオナ、セシル、ネイシャ、ジュリと一緒に、なだれこむように大浴場に入った。 大勢で入っても余裕がある大浴場は、リンファンとエマルも気に入り、「まるで温泉みたいだねえ」と幸せそうだった。 「ほんとに、温泉のお湯を、引いてるそうなの。お風呂だけだけど」 セシルが言うと、ミシェルが「マジで!?」とさけんだ。 「ミシェルちゃん、知らなかったの。この家に入ったとき、カザマさんがそう言ってたじゃない」 「美肌の湯だって」 レオナが言うと、 「ほんとかい!? じゃあ、定期的に入りに来なきゃ!」 エマルは、豪快に、ざっぱざっぱと顔に湯を浴びた。 「エマルとリンさんは、――ツキヨさんも、ほんとに、この屋敷には住まないのかい」 レオナが残念そうに言った。ルナは顎までつかって、アホ面だけを水面に出して天井をながめていたが、その言葉を聞いて、母とエマルのほうを見た。 「アズが嫌がるだろ、あたしと一緒は」 アイツは年中反抗期だからね、とエマルは笑い、 「それに、母ちゃんも入退院をくりかえすことになりそうだ――シャインもあることはあるけど、あれはあんまり大っぴらにはつかうなって言われてるんだろ?」 「……」 ルナとミシェルが、ぶくぶくと泡を吹きながら目の下までお湯に浸かったのを見て、エマルはいたずらっぽくウィンクした。 「病院の近くにアパートを借りることにしたよ。落ち着いたら、遊びに来てよ」 長風呂から出て、ルナが髪を乾かしているあいだに、脱衣所はルナだけになっていた。ルナはキッチンではちみつ入りのホット・ミルクをつくった。すっかり日付変更線はまたいでいたが、目がさえて、眠れなかったのだ。それを飲みながら、ぼんやりと、ひろいダイニング・キッチンをながめた。 ミルクを飲み終わり、大広間とみんなで呼んでいる、リビングに出た。 ルナは高い天井と、リビングから見渡せる、二階と三階の廊下を見つめた。 (セルゲイは、この旅行が終わったら、カレンのところへもどる。――グレンは? グレンは、地球に住むのだろうか。バーガスさんとレオナさんは、きっとL18にもどるんだろう。――エーリヒも。そしてジュリさんは、エーリヒといっしょに行く) セシルとネイシャも、ベッタラとともに、彼の故郷に行く。 ルナは、クラウドとミシェルですら、例外はないというのに気付いてしまった。 (クラウドには、ララさんから、秘書にならないかって話が来てる) ミシェルも――ララのもとで、有名な画家に、なるのかもしれない。 ルナは、なんとなく、別れのときを想像してしまった。 (いつまでも、みんな一緒じゃ、ない) ルナはとぼとぼ、三階の自分の部屋にもどろうとした――部屋にもどろうとしただけだ。聞く気など、これっぽっちもなかった。けれども、ルナの部屋は、ツキヨとアンに提供した部屋の隣――自室にはいるまえに、通り過ぎなければならない。 ドアの向こうから漏れ聞こえた会話に、ルナは足を止めてしまった。 「こんな母親がいるものですか」 アンの声は、潤んでいた。 「子どもたちを、みんな犠牲にして、生きながらえた母親なんて、いやしない」 「……まだ、オルティスさんがいらっしゃるじゃないか」 ドアは、ほんの少しのすきまを残して、開いていた。ツキヨが、アンの細い肩をさすっているのが、ルナにも見えた。アンは、やはり泣いていたのだ。 「子どもたちに幸せになってもらいたくて引き取ったのに、わたしは、みんな死なせてしまった」 ツキヨは黙って聞いていた。アンの震える背を撫でさすって。 「マルセルはきっと、死んだのね」 ルナはどきりとした。 「オルティスは――あの子は――わたしにそれを、言えなくて、ひとりで抱え込んでいる」 「……」 「なんて残酷な母親でしょう! 長年支えてくれた息子を犠牲にして、――こんな、」 アンの慟哭は、もはや言葉にならなかった。 「アンさん――生き残った者には、やらねばならないことが、きっとあるのよ」 ツキヨの、優しい声を聞きながら、ルナは逃げるように自室に駆け込んだ。しっかりとドアを閉め、ぺたりと絨毯にしゃがみこんだ。泣きそうな気もしたが、涙が出てこなかった。悲しいわけではないのだった。――いや、悲しい――悲しいけれど、それだけではない、奇妙な気分だった。 みんなとの、いつか来る別れを想像したら、奇妙な気分になったのだった。 (ケヴィンも、ナターシャも、エレナさんも、カレンも、あたしは見送った) もうすぐ、レイチェルたちとの別れが来る。 ルナは、クローゼットを開け、なんの反応もない銀色の箱をとりだし、絨毯に置いた。 |