「うさこ」

ルナは箱を見つめてつぶやいた。

「どうして、アンさんとマルセルさん、ふたりを乗せてあげられなかったんだろう?」

 

どうして、マルセルの分はチケットがなかったのだろう。どうして、マルセルは、死んでしまったのだろう。ルナには分からない。

(マルセルさん、どうしてあきらめてしまったの?)

オルティスは、あと十年たてば、地球行き宇宙船のチケット代は貯まると言っていた。

(でも、十年は長い)

アンが、きっとマルセルが生きていく支えだったのか。アンがそばからいなくなり、マルセルは、あと十年といえど、孤独に待ち続けるのが耐えられなかったのか。

ひとりで、あたらしい生き方をはじめることもできず、待つこともできず――。

ルナは想像できなかった。

貧しく、孤独で、十年を生きていくつらさを。

海岸で出会ったマルセルは、まるで浮浪者のような身なりだった。身なりは、アンもたいして変わらなかったけれど、マルセルには、貧しさがもたらす苦悩が、全身に表れていた。

 

(ツキヨおばあちゃんがいてくれて、よかった)

アンドレアの想いをくんであげることができるのは、ツキヨしかいないと、ルナは思った。

ツキヨも、地球から飛び出してユキトのもとへ行き、一年もない結婚生活のあと、夫を亡くし、たったひとりでエマルを生んで育てた。エマルが軍事惑星に発ったあとも、ひとりで生きて来たのだ。あたらしい家族を持つことは、なかった。

ツキヨも、ふかい孤独を知っている。かなしみを知っている。

 

ルナは、ひとすじの涙をこぼした。

 

この宇宙船は、乗りたいものが乗れるのではない。

乗りたくても、乗れない人間はたくさんいる。乗りたくなくても、チケットが当たる人間もいる。

エレナも、宇宙船のチケットを、富豪の爺さんに奪われて、乗れないかもしれなかったことを、かつてルナに話した。エレナの遊郭の常連客だった富豪は、年寄りの慰安旅行程度のきもちで、ジュリをだまして、エレナのチケットを買った。

ほんの、数万デルで――一億にもなるチケットを。

エレナにとっては、人生が変わるかもしれないチケットだった。すくなくとも、エレナの運命は変わった。あのままあそこにいたら、あと数年で、病気になって死んでいただろうと、エレナは言う。

 

ナターシャは、最初に乗ったときは、なにも変わらずに、降りた。そして、二度目にチケットが当たって乗船し、アルフレッドたちと出会い――変わった。

 

 ルナを逆恨みし、バーベキュー・パーティーに乱入し、アズラエルたちを宇宙船から降ろそうとしたイマリが、まだ宇宙船に乗っているというのに、アズラエルたちを庇ってくれたレイチェルたちが、降りなければならなくなった。

 レイチェルたちは、ほんとうは地球に行けたのに。

 

 K19区に乗る子どもたちも、どうしてみんな、死んでしまうのだろう。

 タケルは、「まるで死に場所をもとめて乗るようだ」といったけれど、チケットが「幸運」だというなら、チケットが当たったことで、子どもたちは「幸運」をつかいはたしてしまうのだろうか。それではあんまりだ。

でも、ピエトは生きている。

子どもたちを全員、K19区から出せばいいだけなのだろうか。

 違う気はした。

 もっとなにか、深い理由がある。

 

ルナは、乗れなかったマルセルを想った。

 不思議なめぐりあわせで、ロイドの兄からもらったお金で、宇宙船に乗ったキラの母、エルウィンを想った。

 どうして、ルナにチケットが来なかったのだろうと、かつて悩んだけれど、いまはツキヨがこうして、地球への帰路についている不思議を想った。

 K19区の子どもたちが、どうして生きていけないのか、ルナは悩んだ。

 

 (うさこ)

 ルナは、運命の不条理さを感じざるを得なかった。

 (……うさこは、あたしに、なにをしてほしい?)

 

 レイチェルたちが、ルナに“幸運”をくれたように。いつもアズラエルやクラウド、ミシェル、みんながたすけてくれるように。

 あたしも、うさこといっしょに、なにかができるだろうか。

(あたしはうさこで、うさこはあたしなの)

あたしは、うさこのお手伝いをできるだろうか。

だってうさこは、なんでもできるうさこだけれども、あたしがいないと、“なにもできない”のだ。

うさこの声は、アンには聞こえない。ツキヨにも聞こえない。あたしを通してでしか、うさこは動けない。

あたしが今まで、“なにもできない”と嘆いてきたように。

(やっぱりあたしたちはいっしょだ、うさこ)

 

 「うさこ、あたしね、できるか分からないけど、やってみたいことはある」

 

アンのように、たくさんの子どもたちを自分の子どもにして。

アンソニーのように、担当になったひとを、かならず地球まで導く。

 

ルナがそうつぶやいたとたんに、ぱあっとZOOカードの箱が光り輝き――ピンク色のウサギが、姿を現した。いつも、ルナと同じワンピース姿のうさこが、今日はドレスを着て、王冠をのっけていた。

「うさこ……」

ルナは口をぽかんとあけて見つめ――、

「あ、あけましておめでとうございます!」

ぴょこん、とお辞儀をした。

『あけましておめでとうございます』

月を眺める子ウサギも、ぴょこん、とうさ耳を動かした。

 

『ルナ。とうとうここまで来たのね』

感慨深いわ、とピンクのウサギは言った。

『ラグ・ヴァーダの武神をほろぼすことは、ただの過程にすぎないのよ』

いちばんの大仕事かもしれないけれど。ウサギは言った。

『あれは、わたしたちの“前世”のケリを、つけるだけ』

 

あなたの本当の役目は、それからよ。

 

月を眺める子ウサギは、微笑んだ。

『――ルナ。ラグ・ヴァーダの武神は、“満月”じゃ倒せないのよ』

「満月?」

『そう。ラグ・ヴァーダの武神を倒すには、“新月”が必要なの。でも、あなたは“月”そのものにならなきゃいけないのよ』

「……!」

『月にはたくさん名前があって、姿がある。あなたは、“満月”にも、“新月”にも、“三日月”にもなれるように。そのときはじめて、あなたは原始に還る。わたしとともにあれる』

月を眺める子ウサギは、手に持った、月の形のオブジェがついたステッキを振った。

 

『じつは、“リスト”をリニューアルしたの。あなたがこれから手助けする人間が増えたわ』

 

 



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