百六十一話 レイチェルたちとの別れと、椿の宿の古時計
それから一週間は、いつもどおりの、平穏な日々がつづいた。 ルナは、ふたたび“ルチアーノ”の真似をしてみようとがんばったが、“うさこたん+”をしてもらっていないルナは、ただのルナで、結果はさんざんだった。 ピザをつくったことなどないルナは、みごと丸焦げにし、 「これがいつものルナだわ」 とリンファンを安心させ、このあいだのことは、炭になったピザとともに闇に葬られた。 「どうしてルナちゃんが、とうとつにピザをつくりはじめたか」という高尚な議論が、クラウドとエーリヒの間で交わされ、ルナのうさ耳をますますへたれさせた。 ルナが丸焦げにしなかった残りの生地は、バーガスが、それはそれは美味しそうなマルゲリータにしてくれたので、うさ耳をぺったり垂らしたルナの機嫌はすぐさま直った。 (やっぱりうさこがいないと、あたしはただのアホなんだ) ルナは自覚した。 練習すれば、ピザくらい焼けるようになるのは分かっているが、このあいだのように、いきなり奇跡じみたことを起こすことはできないのだった。 月を眺める子ウサギは、今までのようにすっかり姿を消し、ルナが呼べどもZOOカードから出てくることはなくなった。 (お部屋も用意したのに) ルナは、ぬいぐるみの部屋をつくった。ベニヤ板を買ってきて、四方の箱をつくり、一辺だけは高い壁にして、外にはレンガの模様のタイルを、内側には壁紙を張り、絨毯代わりにキルトの布を敷いて、なかなか上手にできたうさこの部屋である。 おもちゃ屋さんには、十五センチサイズのぬいぐるみのうさこが入れるおもちゃの家は、なかった。あったとしても、ずいぶん大きな物件である。なのでルナは、手作りしたというわけだ。 うさこが座れるくらいのおもちゃのひじ掛けソファをふたつ、あめ色のネコ足テーブル、食器棚に暖炉、壁掛け時計まで用意した。食器棚の中には、ほんものそっくりのポットと受け皿つきのカップがふたつ、菓子皿とフォークまである。 こちらはおもちゃ屋さんで売っていたものだ。 壁には、ちいさな額に入れた、ルナの手書きの、うさこのイラストが飾ってあった。 (このお部屋を、見に来てほしいな!) ミシェルが、器用にフェルトと毛糸をつかってひざかけをつくってくれたし、ルナも、不器用ながら、クッションを縫った。 しかしうさこは、呼べども呼べども、現れないのだった。導きの子ウサギも、ジャータカの黒ウサギもだ。 それからしばらくして、エマルたちが中央区に引っ越す日がやってきた。 アンドレアは、やはり、ツキヨと中央区で暮らすことになった。 「部屋を用意してくださったのに、申し訳ないわ」 オルティスは、「アンがそうしてえなら、いいよ」と言った。 ツキヨはアンと年頃も近いし、気楽なのだろうと皆は思った。アンドレアは、病気をかならず治すと誓い、治ったら、オルティスと暮らしたいといって、またオルティスを男泣きさせた。 四人が中央区へ引っ越し、にぎやかさが半分減ったその日、屋敷は午後から、空になった。 ――ついに、レイチェルたちの降りる日が、やってきてしまったのだ。 バーベキュー・パーティーのメンバーが出そろった、盛大なお見送りに、レイチェルは、 「あたしが見送られる側になるなんて、思わなかったわ」 と涙ぐんだ。 レイチェルの子ローズは、彼女の担当役員が抱きかかえていた。レイチェルたちが、ルナたちとじゅうぶんに別れを惜しむことができるように。 「アズラエル、アイザックさんに、どうかよろしく」 エドワードは、ララから受け取った名刺が「アイザック」の名だったので、そう呼んだ。アズラエルと固く握手を交わしたあと、エドワードは涙をかくすことなく、アズラエルの胸で泣いた。 「ああ、伝えておくよ。おまえもがんばれ」 「ありがとう。――君たちに会えて、ほんとうによかった」 「アズラエル!」 レイチェルは、アズラエルに飛びついた。 「美味しいケーキをいつもありがとう。あなたたちがK27区からいなくなって、ほんとにさみしかったの、ほんとよ」 レイチェルは、グレンにも言った。 「ごめんなさい。あたし、いつもへんなやきもちばかり焼いて……」 「もう、その話はなしだって、いったろ」 グレンは苦笑して、レイチェルの頭を撫でた。 「ほら、帰り道で食え――元気でな」 アズラエルが持たせた、日持ちのするパウンドケーキに、レイチェルはまた涙ぐんだ。 「グレンさん、グレンさん、来世はあたしを恋人にしてね!」 グレンの手をにぎって放さないシナモンに、ジルベールは呆れ声で暴言を投げつけた。 「朝から酔っ払ってんのか――来世になろうが前世になろうが、グレン兄貴はおまえなんか見向きもしねーよ」 「うっさいな! そのうちあたし、世界モデルになってグレンさんのまえに現れるからね!」 「楽しみにしてる」 苦笑気味のグレンの言葉に、シナモンは顔を輝かせ、ジルベールは、「兄貴、調子に乗らせないで」とつぶやいた。 『L系惑星群L80いきのL355便、搭乗ゲートが開きました』 ルナが今まで何回聞いてきたかしらないアナウンス。 レイチェルとルナは固く抱き合った。 「――電話をするわ。手紙も書く。メールもする」とレイチェルは、泣き笑いの顔で言った。 「あたしのことを忘れないでね、ルナ」 「……! ……うん!」 ルナは鼻水と涙でぐしょぐしょで、うまく言葉も言えなかった。 「シナモン、元気でね」 「あたしが元気じゃないってことはないわ。ルナこそ、元気でね」 このあいだ行ったK25区の旅行も、バーベキュー・パーティーも、この宇宙船で過ごした日々は、一生の思い出だと、シナモンは言って、ルナとハグをかわした。 「ルナちゃん、さよなら」 「じゃあな。楽しかったよ」 ルナは、エドワード、ジルベールとも、握手を交わした。 この宇宙船に乗って、はじめてできたともだちだった。 ずっと、なかよくしてきた。 「じゃあねーっ!! また、会いましょうねーっ!!」 四人が回廊の向こうに去っていく。 ルナとミシェル、リサとキラは、四人の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。 |