百六十二話 幸運のペガサス



 

「ルナちゃん、ルナちゃん、可愛かったなあ……」

アストロスへと向かう宇宙船の中で、オリーヴが、いつまでも名残惜し気にルナちゃんルナちゃんとつぶやくのを、あきれ顔でボリスはながめていた。

 「てめえは男か女かどっちかにしとけ。どっちもは欲張りだろ」

 フィアンセの言うことなど、オリーヴは聞いていなかった。バリバリと袋菓子を頬張りながら、重要なことを忘れていたのに、やっと気づいた。

 

 「あーっ!!!」

 

 オリーヴは絶叫し、皆を慄かせた。

 すっかり寝ていたデビッドなんぞは、座椅子から転がり落ちた。

 この宇宙船は長距離移動用のもので、ふつうの宇宙船とは違い、ホテルのように客室とロビーがある仕様となっている。オリーヴは、ベックとボリスと一緒に、それなりにひろい客室で、菓子をむさぼりつつ筋トレをしていたわけだが。

 この宇宙船が、アストロスでの任務のために、とくべつに地球行宇宙船から出航された、乗客は彼らだけという宇宙船だったことが幸いした。でなければ、オリーヴは、迷惑客として、宇宙のド真ん中に放り出されていたかもしれない。

 

 「なんだ! でけえ声出すなよ!」

 同じく座椅子から落ちたベックも叫んだ。

 オリーヴは、自分のビーズバッグを引っ掻き回し、封筒に入れておいた写真をこっそり出して、あぐらをかいて座り込んだ。

 かつて、サルーディーバ記念館に忍び込み、船大工の絵を取りに行ったときに、いっしょに持ち帰った写真。

 

 (こいつのこと、すっかり忘れてた――)

 

 送り主のルナ・D・バーントシェントは、兄の恋人の「ルナちゃん」だった。

 オリーヴは、あまりよくない頭ながら、不思議なめぐりあわせであることは分かっていた。

 (ルナちゃんが、“ルナ・D・バーントシェント”だったなんて、なァ……)

 旅行のための荷造りをしているとき、アダムが、「バーントシェントってなァ、リンちゃんの名字と同じじゃねえか」と言った。エマルは流したが、まさか、E353で、そのリンファンや、ドローレス、ルナちゃんと会うことになるなんて、だれも思わなかった。

 まったく物事をふかく考えることのないオリーヴであっても、今回ばかりは頭がいたくなりそうだった。あまりにいろいろなことが、立て続けに起きて。

 

 (どうしよっかなァ――この写真)

 あの、再会の大混乱時にこれをわたしたところで、もっと混乱を深めているだけだっただろう。

 (だから、忘れててよかったんだよ!)

 能天気なライオンは、そう納得した。

 そもそも、1416年10月10日に、ルナに渡せと、ドーソンの名を持つクラウドは書いている。

 (つまり、今年の10月10日に渡せって、ことだよな?)

 地球行き宇宙船が、アストロスに着く時期だ。

 今からまた地球行き宇宙船にもどることも、E353にもどることもできないし、この宇宙船はアストロスまで直通だ。どこにも寄ることはできない――つまり、郵便でルナに送ることもできない。

 (アストロスできっと、会えるかな)

 オリーヴは、しばらく写真をながめて考えたあと、バッグにしまいなおした。

 

 そんなことより、E353の水上ヴィラの写真やら、ルナたちといっしょに行った、有名店の特大ピザやらの写真を、フライヤにメールで送ったのだが、返事がかえってこない。

 (忙しいのかな)

 オリーヴは、フライヤと、アストロスで会うことになるとは、まだ想像もしえなかった。

 

 

 

 そのアストロスで、いよいよ、メルヴァとの決戦を迎えることになったL20は、オリーヴの予想が的中したとはいいがたいが――大混乱を極めていた。

 たしかにフライヤは、プライベート・メールを見る暇もないほど忙しかった。

早朝、メルヴァ発見の知らせを受けた首相ミラは、すぐ、本日の予定を大幅に変更することになった。

 

 「メルヴァがアストロスで見つかったというのは、ほんとうですか……!?」

地下4階の心理作戦部隊長室に、ミラ首相とフライヤがあわただしくやってきたのは、一月半ばの、午後だった。

 フライヤは、アイリーンにそう言った。昨日の「お茶会」時点では、メルヴァのメの字も話題には上らなかった。

だが、今朝、心理作戦部隊長室にはいった一本の電話によって、事態はおおきく動いた。

メルヴァの所在が、ついにアストロスで確認されたというのだ。

 

 「見つけたのは、警察星の捜査局です。逮捕には動けませんでした」

 「もしや――」

 ミラの顔が曇ったのに合わせて、アイリーンはうなずいた。

 「ええ――相当の規模の軍勢があったと」

 「……!」

 フライヤも息をのんだ。

 「捜査局は軍勢の規模を把握後、すぐさま軍事惑星へ打診をする予定だそうです。明朝にも、L20の陸軍本部へ連絡があるでしょう」

 捜査局に入り込ませていた心理作戦部の隊員が、一足早く、アイリーンへ報告をしてきたのだ。大手柄であった。

むろん、L20の軍もアストロスに派遣されている。だが、その規模の軍勢があっても逮捕を見合わせたとなると、相当の大軍勢だ。

 

 「フライヤの報告そのままだな」

 ミラは歯ぎしりをした。

 「王宮護衛官のほとんどが、メルヴァとともに動いていると」

 

 フライヤは、じかにL03に赴いて、王宮の戦乱の事後処理にあたった際に、王宮護衛官の数が少なすぎるのに疑問を抱いた。

 口のかたい護衛官たちを、ますます頑なにしないよう気を配り、言葉に言葉をえらんで、やっと居残り護衛官のトップであるモハに吐かせた事実。

 王宮護衛官のほとんどと、一部の原住民の軍勢で構成された大軍団が、メルヴァとともに、動いている――。

 すなわち、軍事惑星の予想を大きく超えて、メルヴァは大軍勢を従えているのだ。

 

 だが、それだけでなく、王宮護衛官すべてがメルヴァに心酔しているとはいいがたい、という事実も知ることができた。

 すくなくともモハは、王宮から長老会を追い出した時点で革命は終わったと踏んだのに、なおも不可解な行動を起こすメルヴァが理解できなくなり、L03にのこったと言っていた。

 そして、メルヴァがL系惑星群に戦火を飛び火させようとするのを止めようと思ったが、その矢先に、あの王宮封鎖の大事件が起こったわけである。

 居残り護衛官たちの大多数は、革命が終わったのち、あらたなL03の治安に乗り出すと思っていたメルヴァが、謎の行動を起こし始めたことに危機感を抱いているものがほとんどだった。

 しかし、それはL03の内輪のもめ事であり、軍事惑星の力を借りるわけにはいかないと頑なだった。

 そもそも、軍事惑星の軍勢では、メルヴァを止めることができない、と。

 

 フライヤは、精いっぱい説得した。

 もはや、L03だけの問題ではないのだと。

 メルヴァが起こしたことは、すでにL系惑星群全体の危機となっている。

 軍事惑星とL03が協力し合わなければ、解決しえないところまでやってきているのだと――。

 



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