“ママ”





百六十三話 天秤を担ぐ大きなハト T



 

 オルドは、ほかの秘書たちとのあいだに、言いようのない壁を感じることがある。

 秘書室は女ばかりで、ゆいいつの男だから、というわけではない。

 彼が傭兵だから疎外感がある――そういうわけでもない。秘書室は、アーズガルド家の将校もいれば、傭兵もいる。

 オルドは「秘書」という名目はもらっているが、肝心の「秘書」としての仕事を果たせていない気がするのだ。

 仲間外れにされているわけではない。かといって、ちやほやされているわけでもない。だれもがオルドに平等で、ピーターとの仲をからかわれることはあっても、(それは、オルドにとって不愉快なことだったが)秘書たちは、それ以外の理由で、オルドをのけものにすることはなかった。

 「ピーターのお嫁さん」呼ばわりされること以外は、いっさい文句はない。

 彼女たちの有能さに関しても、自身の扱いに関しても。

 お嫁さんあつかいは、オルドがピーターと一緒に暮らしているからだろう。

 彼女たちが「愛の巣」とふざけた名前で呼んでいるのは、ピーター所有の高層マンション。

 秘書が交代で食事をつくりに来るのだから、「愛の巣」ではけっしてないことをわかっているはずなのに。

 

 (なんなんだろうな……)

 ケヴィンたち双子のガイドを引き受け、サルーディーバ救出の特殊任務について帰ってきてから、なおいっそうその気持ちは強まった。

 疎外感――いや、踏み込めない壁は厚くなった気もした。

 勝手な行動をしたオルドに、怒りを感じているわけではないようだ。

 ケヴィンたちのガイドを引き受けることは、オルドも、勝手な行動だとは思っていた。だから、ピーターにも秘書陣にも、その旨は告げた。オルドは秘書陣の中でも新米である。ダメだと言われたらあきらめるつもりでいた。だがピーターも彼女たちも、つよい反対はしなかった。

 サルーディーバ救出に関しても、彼女らは裏でフォローをしてくれ、とくにオルドの功績に嫉妬を抱いているわけでもない。

 

 (自由すぎるからか?)

 オルドは考えたことがある。

 どうも、秘書という立場にしては、オルドには自由が与えられすぎていた。仕事はあるし、忙しいと言っても差し支えないが、――そうだ。

 オルドはぴったりな言葉を見つけて、それを考えたくもなくて一度は振り払ったが、そのたとえがいちばんしっくりくるのだ。

 (まるで、ピーターに嫁いだみたいだ)

 オルドは「お嫁さん」、ほかの秘書たちは、「姑」。

 ピーターの「ママ軍団」だと、陰口をたたかれているのはオルドも知っているから、そう考えてしまうのだろうか。

 

オルドは、いつまでも重要な案件には触れさせてもらえない。

秘書陣とピーターが、オルドの知らぬところでなにかの計画を進めているのは分かっていた。

その計画の内容も、進捗状況も、オルドはまったく教えてもらえない。

オルドだけが、だ。

オルドとほぼ同時期に入ったモニクは、その詳細を知らされているようだが、オルドがこっそり、なにげなさを装って、モニクに聞いたとき、彼女はうろたえたように、

「あ、あたしもほんとに詳しいことは知らないし――オルドが直接、ヨンセンさまに聞いたほうがいいわ――べ、べつに内緒にしてるわけじゃないから、きっと教えてくれると思うの」

それから彼女は、小さく言った。

「ピーター様は、きっと教えてくれないだろうから、ぜったいヨンセンさまね!」

ウィンクした彼女は、ほんとうに、オルドを疎んでいるわけではない。けれども、オルドが、「詳細を教えてもらえない」理由も分かっていそうだった。

オルドは嘆息し、あきらめた。ヨンセンは苦手だ。重要な案件に触れずとも、仕事はできる。

それよりも気にかかったのは。

(ピーターが、俺に教えない?)

 

 秘書として入ったばかりで、すぐ信用されるとはオルドも思っていない。ましてや、女ばかりの秘書室にたったひとり男の自分が入るのだ。多少の疎外感はしかたがない。オルドは基本的に、そんなことでめげるようなタイプではなかったが、――それでもなにかが、おかしかった。

 違和感をおぼえるのは、前述した理由だろうと思って、与えられた仕事をこなしてきた。

だが、時折、自分だけがなにも知らないような――そんなもやもやとした気持ちにさせられることがあった。

 

 (まさかほんとうにあいつら、俺をピーターの嫁にする気なんじゃねえだろうな)

 ピーターが、女に興味がないと知って、おまけに、自分にとくべつな目が向けられていると言われたときはオルドも驚愕したが、オルドはべつに男が好きとかではないので、その件はそれで終了したはずだ。

 ライアンともそういう仲になったことはないし、アイゼンなど論外だ。

 女どもの想像力の逞しさに絶句させられることはあっても事実は違う。

 オルドにふられたピーターはがっかりし、でもオルドにマンションを出て行かれては困るのか、それ以上言わなかった。

 ピーターは、ひとりでネクタイを締めることもできないお坊ちゃまだ。オルドが毎朝、ピーターのネクタイを結ぶのも、ヨンセンにやらされている仕事の一つと言っていい。

 ピーターをフッたことを知ったヨンセンママには平手打ちされたが、「ママの出る幕じゃねえだろ」とオルドが凄むと、もう一発かえってきた。傭兵の女に口答えなどするものではない。

 (細い腕しやがって、メリーより強烈だった)

 

 オルドが帰ってきたのは、ピーターを支えるためだった。

 だから、秘書として働く分には、文句はない。

 しかし。

 (嫁になる気はねえ)

 

 ピーターが甘えたで頼りないのは、子どものころから知っていたことだ。だが、当主となれば、甘えたばかりでいるわけにもいかない。たとえママが何人ついていたとしても、だ。

 (ピーターが、俺がおもっていたほど、頼りなくはないって?)

 たしかにヘタレではあるが、山のように持ち込まれる案件に、オルドもびっくりするようなスピードで採決をくだしていく手腕と、秘書たちの話を一気に聞いても混乱することなく要所を瞬時に理解する聡明さ、俯瞰し、全体を見て結論を下す――ピーターは即時に決断し迷わない。そして、おそるべき忍耐づよさ。待つべきところは待つ。どんなときでも動じず、笑顔を絶やさない強靭さ――それを見たオルドは、アーズガルドが持っているのは、けっして秘書陣だけの功績ではないと悟った。

それは、オルドが見たことのない、ピーターだった。

 これだけ完璧な当主ぶりで、それを補佐する秘書たちも余りある才能の持ち主。

 オルドは一瞬、自分はいらなかったのではないかと思ったが、ピーターが自分を必要としているのはわかるので、全力を尽くして支えるまでだ。

 

 だが、そのことも――ピーターらしからぬピーターを知ったことも、オルドにもやもやとした気持ちを抱かせる一要因でもある。

 ――オルドは、ピーターと一緒に暮らしていながら、なぜか、ピーターのことをなにもしらないような錯覚に襲われることがある。

 L03で、アイゼンに言われたこともしかり。

 (さすがに、ガキの頃のままじゃねえだろうが)

 オルドの錯覚は、錯覚ではないかもしれない。

 



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