ライオンやトラのように、武神の喉笛に直接歯を立てることはできずとも。

 ちいさなネズミのわたしでも、武神がつまずく穴くらい、掘ることはできるのだ。

 たとえあなたの胸にこの槍を突き立てることになろうとも。

 ラグ・ヴァーダの武神を倒します。

 さよならわたしのあいするひと。

 ――きっと来世こそ、結ばれましょう。





百六十四話 白ネズミの女王 T



 

(シャンデリアの象意は? 明かり――ともしび。照明――いや、ただの照明じゃない。シャンデリアは華やかなものの象徴だ。華やかな明かり、豪華、豪勢なもの。きらびやかなもの。それを“照明”の象意と照らし合わせると――)

 アンジェリカはボールペンをこめかみに当てて考え、思いつくまま、ノートに書きつらねた。

(華やかな成功、あるいは華やかな発見、ひらめき、真実への到達、発見――光明。幸福へのスタート。祝賀、めでたいこと――それも、一番華やかに祝うべきこと。――なるほど)

 

 ルナは、あの夢のあとにララと出会った。

夢の中で、遊園地の美術館に入り、「船大工の絵」をもらい、――「わたしの宝物が燃やされた」と泣いていた八つ頭の龍に、ポケットに入っていたちいさなシャンデリアを、わたした、夢。

 

ララは当人自体が“華やかなもの”といっていいだろう。ルナにとって、ララとの出会いは華やか、豪勢なものとの出会いだった。

 ミシェルにとってもそう。ミシェルにとってララとの出会いは“華やかな成功”への入り口だ。

 ララにとっても、かつての恩人と運命の相手、両方に出会うことができた、一番“めでたい”ことであったのは間違いない。

 

 そして、あの個性的なシャンデリアの形は、アンジェラがデザインしたものだった。

 (アンジェラがつくったシャンデリア、ということは、アンジェラにも関係があるかもしれない)

 アンジェラにとっても、華やかな出会いが約束されているはずだ。あれは、アンジェラの作ったシャンデリアだったのだから。

 (――アンジェラの、華やかな成功。――華やかな、)

 火のように、華やかで派手であざやかな――火。

火の祭事――。

 

 「――!」

 アンジェリカはがばりと腹筋をつかって起き上がり、あわててララに電話をした。

 

 電話は、小一時間にもなった。アンジェラが最近、とみに危うさを増したことは、ララも心配していた。

 ミシェルと出会ってから、アンジェラの生み出す作品群に変化がおとずれたのだ。

 ララはその変化を憂えている。

 アンジェラの生み出す芸術に、壮絶さが増した。彼女の名は、ますます高みを目指して押し上げられている。

 アンジェリカが思いついたことは、ララの無意識の不安を言葉に表した。ララは喜び、アンジェリカに礼を言い、体調をおもんばかって、電話を切った。

 

 アンジェリカは、ふう、と息をついて、無意識にバターチャイのカップに手を伸ばして口に運び、中身がないことに気付いた。カップの絵柄が目に入る。これはルナからの、誕生日プレゼントだった。ネズミたちがランタンを持って夜の街を練り歩く、お祭りらしき風景。

 アンジェリカはなんとなく和んだ気持ちになって、つくっておいたバターチャイをカップに入れるために立ち上がった。

 

 「あっと!」

 脇に積んである、ZOOカードの記録帳が、バサバサとくずれた。飾り気のない学習ノートが二十冊以上。アンジェリカの歴史がそこにある。アンジェリカはもういちどソファに座り、パラパラとノートをめくった。そして、小さく嘆息した。

 

 あいかわらずZOOカードは、さっぱり動く気配を見せなかった――先日、ルナのたすける人物が更新されたことの報告以外は、いままでのままだ。

 (でも、イシュマールも言ってたけど、あたしがZOOの支配者でなくなったなら、箱はもとの鉄箱にもどるはずだ)

 アンジェリカのZOOカードは、まだ神秘的な紫の光を宿したままそこにある。カードも出せる。ただ、まえのように動かない。占いができないだけ。

ルナの場合は勝手にカードを出そうとすると、手が弾かれると言っていた。

 

 (あたしは、ZOOの支配者でなくなったわけではないんだ)

 ペリドットの話では、これはZOOの支配者の正当な試練である。

サルーディーバの提案に従って、月の女神に祈ってもみた。アンジェリカのZOOカード、「英知ある灰ネズミ」の支配者である夜の神にも祈った。だが、動かない。

 アンジェリカの真名も、まだあきらかにならない。

 (八方ふさがりだ)

 アンジェリカはソファに寝そべり、天上を見上げた。

 最近は、ZOOカードの記録帳を一から見直したり、気になっているところを調べなおしたりすることに精を出していた。気ばかり急いて、どうにもならない。

(年もあけちゃったしな)

 今年の十月には、アストロスに着いてしまうのだ。

「……」

 

アンジェリカは、もう一度マグカップを見つめた。

(ルナのことは、大好きだ)

それはまちがいない。でも、この複雑な気持ちはなんなのだろう。嫉妬なのか、ひがむ気持ちなのか――冷静でいられない気持ちが、心のどこかに、しこりとなって残っている。

それは、ルナが「ZOOの支配者」になったときに、決定的な杭となって、アンジェリカの胸に刻み込まれた。

 

真砂名の神は、自分の代わりにルナを「ZOOの支配者」に任じた。

アンジェリカは、そのことにおどろき、しばらくはなにも手に着かなかった。アンジェリカとマリーが、人生をかけて築いてきたものが、苦労知らずのL77の少女に奪われた、そんなふうにさえ思い、自分にはそんな偏見があったのかと、うろたえもした。

ルナとは育ってきた環境が違うだけであり、苦労自慢をしたいわけではない。

そのうえ、ルナは「ZOOの支配者」とは名ばかりで、自由にZOOカードをつかえるわけではない。

「……」

こんなことは、ZOOの支配者だったころは、微塵も思わなかったことだ。アンジェリカは、自分がどれだけZOOカードに支えられてきたかを悟った。

ZOOカードがなくなれば、自分は自分を見失い、こんなにみにくいことまで考えるようになる。

 



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