(まるで、小さなころに、もどったようだ……)

アンジェリカは、陽気でやんちゃな子どもだった。だが、ある日を境に、ひどく弱くなった。卑屈と怯えに支配され、まともに外も歩けなくなった。

ツァオに、「おまえほど不細工な女はいねえ」と罵られてからだ。

だが、それはキッカケであって、アンジェリカが、ほんとうに自分の顔は美しくないのだと、そう自覚したときからだった。

ただでさえ、周囲を美しい人間に囲まれていた。

姉サルーディーバをはじめ、幼馴染みのマリアンヌも貴族たちのあこがれの的であったし、婚約者となったメルヴァも、男とは思えないほど美しかった。

じつはアンジェリカは、ほんのすこしだけシェハザールに憧れていたことがある。彼はマリアンヌを愛していたのを知っていたし、ただの憧れでしかなかった。身の程を、アンジェリカはわきまえていた。けれども、カタブツと有名のシェハザールでさえも、アンジェリカがメルヴァの婚約者となったことを知ったとき、

「あんな醜女をどうしてメルヴァ様の妻に……」

と言っているのを聞き、奈落に落ちそうになった。

 

自分は、それほどまでに醜いのか。

どうして同じ姉妹に生まれながら、姉と自分の容姿はここまで違うのかと、親をうらんだこともあった。

そのふかいキズは、アントニオが愛してくれたことで、消えたような気がした。

しかし、そんな気がしただけだった。

アントニオは、自分と同じくらい姉も愛している。もし、姉がアントニオの愛にこたえていたなら。

(あたしは、見向きもされていなかったかも)

それは想像であって、現実ではない。だが、そんなことを考えてしまうほど、アンジェリカは、ずっと不安定だった。

 

自分が「醜い」ことから立ち直るには、だれよりも努力して、自信をつけるしかなかった。

いつ、そう思えるようになったのかはわからないが、アンジェリカは、劣等感とたたかっているのが、自分だけではないということに気づいた。

いまだかつてない、「女」として生まれて来たサルーディーバである姉も、みずからの劣等感と戦っていた。

アンジェリカは、そんな姉を、支えたいと願った。

そして――ひたむきな努力のすえに、つくることができたZOOカード。

それは、アンジェリカに自信を与え、彼女本来の力をとりもどした。

 

(そうだ)

劣等感と戦っているのは、自分や姉だけではない。ルナもそうだった。いつだって、卑屈な自分とたたかっていた。

ルナは、たしかにL77の平凡な少女だが、その数々の前世を見たとき、アンジェリカはルナでなくてよかったと、痛切に思ったものだ。クラウドの記録にはない、あまりにも悲劇的な人生がいくつもある。

その幾多のかなしみを乗り越えた先に、今のルナがある。

ラグ・ヴァーダの武神をたおすため、三千年目に、あの姿を持って生まれてきたのも、なにか意味があるのだろう。

L77という、どこよりも平和な星で、おだやかに育ってきたのも。

 

ルナは、数々の前世で、セルゲイと、アズラエルとグレンとの宿命に振り回されてきた。

しかし、因縁を断ち切る道ではなくて、幾星霜も経て、おだやかに帰結する道を模索してきたのだ。

その圧倒的な気の長さに、嘆息したくなる。

 

アンジェリカは、今日何度目か知らないためいきをつき、ZOOカードの記録帳をめくる。

なぜ、ZOOカードが動かなくなったのか、どうしてもわからない。

ただひとつわかることは、ペリドットが「試練」を受けたときも、ここまで動かなくなることはなかった、ということだけだ。

すくなくとも、ペリドットはZOOカードの世界を「見る」ことはできた。

どの動物も出てこず、なんの反応もしめさなくなったわけではなかった。

支配者として、動物たちを動かせなかっただけであり、「遊園地」は見ることができた。

なぜ、アンジェリカの箱だけ、動かなくなったのか。

ネコと犬たちが、ネズミを捕まえたから? アンジェリカが、真の「ZOOの支配者」ではないから? 「真名」が見つからないから?

 

そのどれもが正論ではあるが、もっとべつのところに、理由がある気がした。

ZOOカードの世界は、“たましい”の遊園地――その世界を、“見ることができなくなった”ということは。

 

(あたしが感じているのは、たましいの“欠落”なのか?)

 

アントニオがくれた深い愛情でも埋められなかった、“なにか”の欠落。

ZOOの支配者ではなくなり、ただの「アンジェリカ」にもどったとき。

アンジェリカはふかい喪失を感じていた。それは、ZOOの支配者でなくなったからだと思っていた。

だが、ちがう。

逆だ――この喪失の正体が見つからないかぎり、アンジェリカは、「ZOOの支配者」になれないのだ。

 

(ルナは、ずっと、運命の相手に翻弄され、そして、いつも悲劇的な結末に終わる人生を歩んできた)

 

セルゲイに“縛られ”、アズラエルに“殺され”、グレンには、愛されるが、けっして幸せにはなれない道を。

ルナ自身がグレンを呪った。グレンが、父や一族に縛られ続ける呪いをかけたのは、ルナだ。

アズラエルに、愛するものと決して結ばれない呪いをかけたのも、ルナ自身。

そしてルナ自身も、兄神に縛られ、けっして愛する人と結ばれない呪いを受けた。

 

(そして、あたしは)

アンジェリカは目を瞑った。

(ルナと同じく、きっと、“たましい”になにかの制約を受けている)

 



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