百六十五話 白ネズミの女王 U



 

 「どうして――サルディオーネになれないんですか」

 マクタバは、ぼうぜんと、老人を見上げた。

 門番にさえぎられて、それ以上先に進めなかった。そして突きつけられた真実に、マクタバはがくぜんとして、力が抜けたように座り込んだ。

 

 村を飛び出して、この首都トロヌスまで来た。マクタバは、王都の混乱がしずまるまで待っていたのだ。祖母が止めるのも聞かずに村を飛び出し、ここまできた。砂漠を越え、行商人のジープにかくれながら、ほとんど飲み食いもせず、やっとここまで来た。

 「あたしがサルディオーネになったら、村の古い慣習なんてぶち壊してやる! かならず帰れるから待っててよ!」

 マクタバはそう言って、泣きすがる祖母と、止める村人たちを振り切って出て来た。

 「パズル」は月の女神が授けた占術――サルディオーネになれないはずはない。

 そう信じていた。

 だから、カーダマーヴァ村の入り口までマスコミを呼びつけ、「パズル」がいかにすばらしい占術か、語った。じっさいに、記者の一人の「リハビリ」もしてやった。もちろん、ただで。

記者たちもマクタバの術に感嘆し、「サルディオーネになるのは間違いないだろう」と言ってくれた。

 なのに、この結果はどうだ。

 

 マクタバは王宮にたどり着くと、鼻息もあらく、「サルディオーネになるマクタバだ! とおせ!」と命じた。だが、門番はぴくりとも動かない。マクタバを見もしなかった。

彼女は舌打ちをし、「あたしがサルディオーネになったなら、おまえら全員クビにしてやる!」と叫んで王宮内に入ろうとした。

強引に押し入ろうとしたマクタバは、門番たちにつまみあげられ、階段の下まで放り投げられた。砂地に背中を打ち、マクタバはうめいた。サルディオーネに対してなんたる無礼――マクタバがごう然と顔を上げ、なおも押し入ろうとしたときに、門番のひとりが刃をかざした。

 

「侵入者め!」

「!?」

斬られる! 

さすがのマクタバもひるんだそのとき。

 

「おやめ!」

 

門番たちに放たれた言葉――門番は、いっせいにその女にひれ伏した。

身分の高い女に違いなかった。全身の装飾品は多く、身にまとう衣服は絹に透けるベール。そば仕えによって化粧を施された面は、気品にあふれていた。

「見ればまだ、子どもではないか」

刃を収めよと女は言い、腰をぬかしたマクタバにぴしゃりと言った。

 「そなたのような子どもが入れる場所ではない! わきまえよ!」

 「わ、わたしは、サルディオーネだぞ!」

 マクタバは必死で叫んだ。

 

 「サルディオーネ? おまえが?」

 女は嗤った。

 「サルディオーネは、おまえのような悪相の者がなれる身分ではない」

 悪相? マクタバを、このマクタバを悪相というか!

 「おまえこそ何者だ! わたしは、“パズル”をつくったマクタバだぞ!?」

 女の表情が変わった。

 「ほう……おまえが、」

 

 「この――無礼者がっ!!」

 「ぎゃあっ!!」

 マクタバは、鞭がしなる音を聞いた。門番の持った鞭が、マクタバの背に振り下ろされていた。マクタバはふたたび、階段の一番下まで転げ落ちた。泣き出しそうな背の痛みに震えながら、なぜこんなことが起こったのか、まだ理解できなかった。

 (わたしはマクタバだ。サルディオーネになる、マクタバだ)

 

 「このお方は、サルーディーバ様つきの侍女にあらせられるユハラム様だぞ!」

 「――!」

 門番の言葉に、マクタバは震えあがった。サルーディーバ様の侍女――L03で、サルーディーバに次いで身分が高く、サルディオーネとほぼ同等の権力を持つといっても、さしつかえない御方。

 「その子どもを捕らえておけ」

 ユハラムは厳しい声で命じ、王宮にはいった。

 

 ――三十分も、待たされただろうか。

 マクタバは、気が気でならなかった。処刑されるかもしれない、むち打ちを百回もされるかもしれない、そんな恐怖より、サルディオーネになれないかもしれない恐怖のほうが勝った。

 やがて、王宮の玄関口に姿を現したのは、老人だった。

 ――老人とも、言いがたい。

マクタバは、その「人物」が、男なのか女なのか、老人なのか、青年なのか、子どもなのか、それすら分からなかった。はっきりとこの目で見ている。存在が見えないわけではない。だが、そこに立っている人物の顔が、覚えられないのだ。

 

 「なるほど――ユハラムの申したとおり、実に悪相」

 老人は――美しい青年のようにも見え、何百年も生きている老人にも見える――彼は言った。

 「ひざまずけ!」

 門番が、マクタバの頭蓋を石畳にたたきつけた。マクタバは痛みにうめいた。

 「宇宙儀をあやつるサルディオーネさまにあらせられるぞ!」

 (サルディオーネ様!)

 「よい。そやつだけは顔をあげさせよ」

 サルディオーネが命じたために、マクタバは解放された。ふと後ろを見て、ぎょっとした。街を行きかうすべての人間が、王宮に向かって土下座をしている。

 つまり、この老若さだからぬ人物に向かって、ひざまづいているのだ。

 

 「マクタバと言ったか」

 「は、はい――!」

 やっと、サルディオーネに任命されるのだと、マクタバの顔は輝いた。

 「ふむ――じつに悪相だ。月の女神がえらんだだけはある」

 サルディオーネは、マクタバの顔を確かめただけだった。

 「傲慢! 強欲! 自堕落! 怠惰! 不満! 偏狭! 無知! ……見事にそろっておる」

 「……!」

 マクタバの唇は、悔しさに震えた。

 とくに、「無知」のひとことは耐えがたかった。マクタバは、学問の神とされるイシュメルのもとで、古今東西のあらゆる書物がそろうカーダマーヴァ村で、ものごころついたころから、学問に励んできたのだ。

 村の子どものだれよりも、勤勉であった。村の誰より、頭がよいと言われてきた。

 努力もしてきた。

 なのに、この言われようはなんだ。

 

 「これでは、サルディオーネは無理というもの」

 老人の言葉に、マクタバは衝撃を受けた。

 

 「わたしは――サルディオーネになれないんですか」

 マクタバは、ぼうぜんとつぶやいた。

 「どうして、サルディオーネになれないんですか」

 

 無知で、傲慢で、強欲で、自堕落で怠惰、不満ばかりで、偏狭な性格が顔に出ているから?

 それとも、アンジェリカに挑戦状をたたきつけるような真似をしたからなのか。

 

 「そなたがサルディオーネになれぬ理由は、三つある」

 マクタバは自分がしたかもしれないまずいことをひとつひとつ数え上げてみたが、老人は、マクタバを見下しながら言った。

 「ひとつは、悪相であること。ふたつは、覚悟至らぬこと、みっつは、“パズル”を、真砂名の神がみとめておらぬということじゃ」

 「――っ!?」

 「サルディオーネとは、今までにない占術を編み出しただけでなく、その占術が、真砂名の神にみとめられたものでなくてはならぬ」

 

 青天のへきれきだった。マクタバは、あたらしい占術でさえあれば、サルディオーネになれると思い込んでいたのである。

 「パズルは月の女神がつくりたもうた占術。かの神の支配下にはあっても、真砂名の神が直接守護される占術にあらず」

 

 マクタバの身体から、みるみる、力が抜けていった。すべての希望が打ち砕かれた。

 もはやカーダマーヴァ村にはもどれず、帰る場所もない。

 



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