「わたくしの宇宙儀の占術も、水盆の占術も、ZOOカードも、真砂名の神の直接守護のもとにあるもの。かの神にみとめられるには、覚悟と引き換えでなくてはならぬ。それぞれの占術師は、覚悟を抱いておる。そなたには、それがない」

 老人は淡々と言った。

 「わたくしは、生涯、王宮から出ることがかなわぬ。一歩でも王宮から出れば、すべての神力をうしなう」

 「――!」

 

 老人は、階段の真上にたたずんでいた。この階段の外――マクタバがいる位置まで来れば、もう宇宙儀の占術は、この世からなくなる。

 先だっての王宮封鎖のさいも、この老人は、なにがあっても王宮から出られなかったのだ。

 たとえ、王宮が戦火につつまれようとも。

 自らも、王宮とともに焼かれようとも。

 

 「水盆の占術師もまた同じ――アンジェリカは、もっとも過酷な道をえらんだ。生涯を、“サルーディーバに捧げる”道を」

 老人は、階段をすこしずつ降りてくる。

 「そなたは、カーダマーヴァ村から出るべきではなかった」

 いつのまにか、マクタバの目前まで来ていた。

 「サルディオーネになる者は、それぞれ不自由を抱えておる。つまり、契約に縛られておるのだ。そなたも可能性はなくはなかった。カーダマーヴァ村で一歩も外に出ること叶わず、焦燥を抱えながら、それでも誠実の心を失わずにあれば、いつか真砂名の神も認めたものを――おろかなことよ。すべては、そなたの悪相が招いた結果だ」

 「……」

 「そなたのような愚か者は、月の女神くらいしか、守る神はおるまいて」

 マクタバは、ゴーグルの内側に、いっぱい涙をためた。

 

 「その月の女神から、通達がある」

マクタバははっと顔を上げた。

 「さきほどのユハラムは、アンジェリカの侍女であった」

 「……!」

 「行き場がなくなったならば、彼女につかえるがよろしかろう。“パズル”は失うが、サルディオーネにはなれる――さて、どうする」

 「え……」

 「“パズル”を失いたくなければ、カーダマーヴァ村にもどるがよろしかろう」

 「でも、カ、カーダマーヴァ村は、一度出たら、二度と戻れな……」

 「月の女神が、“古時計”を手に入れられた。時間を止めてくださっておる。そなたは、いまもどれば間に合う」

 「――えっ」

 「“パズル”をうしなうか、“サルディオーネ”をあきらめるか、じゃ」

 

 マクタバは考えるまでもなかった。

 サルディオーネになりたいがために、ここまで来たのだ。あきらめるわけにはいかない。

 パズルも、サルディオーネになりたいために、毎日石室の掃除をし、イシュメルに拝んだ。その結果、できるようになった占術だった。

 祈り続けて三年目に、月の女神から降ろされたパズル――それを捨てることになっても、マクタバはサルディオーネになりたい。

 

 「ユハラム様のもとへ、参ります」

 老人が笑った気がした。

 「月の女神の慈悲を捨てて、過酷を選ぶか!」

 老人は再び背を向け、もどろうとした。だが、ふと振り向いた。

 「そなたは、サルディオーネになるかもしれぬ」

 

 マクタバが気づいたときには、もう老人はいなかった。門番も周りにいなかった。マクタバは、夢でも見ていたのかとおもったが、ちがった。鞭で打たれた背の痛みは本物だ。

 痛みに背を丸めながらふらふらと立ち上がると――ユハラムがいた。

 「わたしの屋敷の、小間使いとしてやといます。身分はいちばん下です」

 マクタバは屈辱に唇をかみしめた。サルディオーネとなって、首都トロヌスを睥睨するはずだったのに、一番下の身分まで落とされるなんて。

 カーダマーヴァ村の者は、歴史保管の民としてあがめられ、下級貴族とおなじ身分だ。それが、最下層まで落とされた。

 「そなたの部屋は厠のとなり。……いつ出て行ってもらってもかまわぬし、怠惰がひとつでも見つかれば、そなたは追い出す。どこでなりとのたれ死ぬがよい」

 ユハラムは背を向けた。マクタバは、門番に、階段下まで突き落とされたときにひねった足を引きずりながら、ユハラムの後をついていった。

 

 

 

 そのころ、ルナは、屋敷のリビングで、ドーナツ研究の第一人者にでもなるかのように、ドーナツ全集という名の本を読んでいた。ギフトボックスのような分厚さの本に、これでもかとカラフルなドーナツの写真がならんでいる。なかには、ドーナツという原則そのものをくつがえすような、なにかもあったが。

 

 ボーン。

 

 時計が一回鳴った。先日、椿の宿からもらった古時計だ。

 あれは、このあいだから動かなくなっていたはずだった。

 キラから誕生日プレゼントにもらった、うさぎのキャラクターの腕時計は、十三時二十一分を指している。

 「?」

 ルナは古時計のもとまで行った。このあいだから、この時計はおかしい。

 ふつうの古時計ならば、「壊れたかな?」と思って終わりだろうが、この古時計はいわくつきである。

 十日くらいまえに、急に針がとまり、アズラエルがねじを巻こうがいじろうが、まったく動かなくなってしまった。

 アンティークだし、いつ壊れてもしかたがない。最初からリビングには、おおきな時計が掛けられていたし、これが動かなくなっても問題はないのだが。

 

 「あっ! 動き出した!」

 古時計の針が、ものすごい勢いでくるくると回り、十三時二十三分をしめした。ルナの腕時計と、ぴたりと同じ時刻をしめした。

 「……」

 この十日間、古時計の針は止まっていたが、また動き出した。――なにか意味があったのだろうか。

 ルナは古時計にキスせんばかりのいきおいで顔を近づけ、にらめっこしていたが、やがてあきらめてソファにもどり、ドーナツ全集をひらいた。そこには、中央に穴が開いた、なかにフルーツとクリームをつめこんだ、ホットケーキにしかみえない物体が、「パンケーキ・ドーナツ」という名で紹介されていた。

 「これは、ホットケーキです!!」

 ルナはだれもいないリビングで、憤然と全集に向かって怒鳴りかえした。

 

 



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