「いったいどうして、こんな状況になった」

アズラエルが落ち着きなく、コーヒーカップを持ったり置いたりした。

「たぶん、ノワがリカバリされたんじゃないか」

クラウドが明快に、疑問を解決してみせた。

「昨夜のルナちゃんのカオス発言のせいで中途になったけど、K19区の遊園地が、おそらくノワの墓と呼ばれるものなんだよ。ノワ自身が、その名のとおり新月――つまり、“見えない月”。だから、決まった人間にしか見えないんだ」

 

「ルナ姉ちゃんが透明人間になっちゃったから、今日は学校を休もうかな」

てきとうなことを言いだしたネイシャに、セシルはすかさず言った。

「バカ言わないの」

「だって、雨も降りそうだし、」

ネイシャは窓の外を指さして言いわけした。

たしかに、今日は一日、天気がくずれそうだ。外は、まるで夜みたいに真っ暗になっているし、雷の音も聞こえる気がする。

 

クラウドが、「ルナちゃん、ノワの前世の夢は見た?」とだれもいない席に向かって話しかけた。

「見てねえって。そのかわり、ノワが――」

また、ピエトが訳した。

「ノワが?」

「ノワが、椿の宿の時計を持っていっちまったって」

 

ピエトの言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、全員がいっせいにリビングへ駆けた。

 

「ほんとうだ」

サイドボードには、時計がなかった。そして皆は、今日の朝食の席に、一名足りなかったことに、やっと気づいた。

「ちょっと待って」

クラウドが言った。

「セルゲイは?」

 

グレンが朝方までバイトをしていたり、バーガスやアズラエルが、飲みに行った翌朝はいなかったり、セシルとネイシャがベッタラのもとへ行ったりしている――食事の席に全員そろわなくても、気にしない。

でも、セルゲイが朝食の席にいないのは、めずらしかった。

おとなたちは二階のセルゲイの部屋に突進した。透明うさぎは、アズラエルの小脇に抱えられて移動していた。

セルゲイの部屋のドアは、開いていた。

「失礼!」

クラウドが部屋に入ると、ベッドの毛布が跳ね上げられていた。あきらかに、飛び出したようすだ。部屋の鍵はかけられていない。セルゲイはどこにもいなかった。

 

「いつ家を出た?」

「今日はまだ、だれもでかけてねえはずだ――屋敷のどこかに?」

口々に言い、今度は屋敷中、セルゲイ捜しをすることになった。

「セルゲイ先生まで透明人間になっちゃったの?」

ネイシャが青ざめたが、「まさか!」とセシルははげました。

「セルゲーイ!」

「どこにいるんだ、でてこい!」

「風呂かな?」

みんなが必死で屋敷中を捜していると、玄関ドアがバタンと開いて、――そこには、息を切らしたスウェット姿のセルゲイがいた。

 

「ルナちゃんが、いない」

 

開口いちばん彼は言った。

セルゲイは、ルナを捜しに出ていたのか? しかし、ルナが見える見えないがわかる朝食の席には、セルゲイはいなかった――つまり、今朝、ルナとセルゲイはまだ接触していないはず。

バーガスが、セルゲイを落ち着かせるように、

「それが、落ち着いて聞けよ? じつは、ルナちゃんは、」

「ルナちゃんの気配が消えた!」

アズラエルは、このセルゲイのテンパったようすを、どこかで見た気がした――そうだ。かつてヘルズ・ゲイトの連中がグレンを拉致しようとしたとき――「ルナに危険が迫っている!」と騒ぎだしたときと、とてもよく似ている。

 

「セルゲイ! ルナはここだ!」

アズラエルが小脇に抱えたルナをセルゲイのほうへ放り投げた。もちろん、セルゲイが受け止めることを想定して、だ。

「ぷぎゃっ!!」

うさぎの鈍い悲鳴。ルナは絨毯に、べちゃっと落下した。

――セルゲイを、すり抜けて。

 

「!?」

その光景に目を見張ったのは、ルナを見ることができる連中だけだった。

「いひゃい……」

涙目で絨毯にうずくまっているうさぎがいる。

 

「ここって、どこ!?」

セルゲイが悲鳴のような声を上げて、周囲をキョロキョロと見回し、

「いないじゃないか!」

と叫んだ。

ルナは絨毯を這うようにしてセルゲイに近づき、その身体に触れようとする。だが、ルナが完全に空気にでもなったように、彼の身体に触れられない。

ルナは、口と目を真ん丸にして、アズラエルのほうを見た。

 

「ルナちゃん! ――ああっ! もう!」

セルゲイは一度、ぶんぶん首を振ると、そのまま壁に突進していった。みずからそうしたように見えた。彼は壁に頭をぶつけると、一度よろめいて――「ご、ごめん」と目を回しかけた顔でつぶやいた。

 

「よ……夜の神が怒ってる」

「なんだって?」

セルゲイは冷静に告げた。頭をおさえながら。

「ルナちゃんの気配が消えた、消えたって、焦って捜してる――」

「……」

「あ、ルナちゃん! いるじゃないか――」

セルゲイはルナを見つけたが、すぐに焦り顔で、ひとり芝居のようなことをはじめた。

「どこにって――そこに! あ、また見えなくなった! だから、あなたには見えないんですよきっと! でも、ルナちゃんはいますから! みんなには見えてるし――しょうがないな、もう!」

 

エーリヒとクラウドは顔を見合わせた。やはり、夜の神には、まったくルナの存在が感知できなくなっている。

昨日クラウドが想定したように、「新月」は、夜には見えない。すなわち、夜の神には見えないのかもしれない。そして、姿が見えないだけではない――声も聞こえないし、その存在に触れることもできないらしい。

セルゲイ「だけ」になれば、ルナは見える。だが、「夜の神」が装着されると、まったく見えなくなるらしい。

 

「アントニオとペリドットを呼ぼう!」

クラウドが電話に走ったところで、インターフォンが鳴った。あわてて開けた、玄関扉の向こうにいたのはカザマだった。彼女もずいぶん急いで来たようだ。息が乱れていた。

「おはようございます! じつは、夜の神様が――セルゲイさん!?」

セルゲイが、頭を押さえてうずくまったところだった。カザマはお邪魔しますを言うのも忘れて屋敷に飛び込み、セルゲイに駆け寄った。

 



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