ルナは、意を決して、着ぐるみにちかづいた。襲いかかってくることはないはずだ。彼は、アトラクションの管理人だ。それをしめすように、灰色ネズミの着ぐるみは、ルナに向かって、滑らせるように手を出した。ルナはその手に、「シャトランジ!」のチケットを乗せた。 彼は、そのチケットにポン! とはんこを押すと、うやうやしく、ルナたちに扉をしめした。 華美な装飾をほどこされた、おおきな半円形の扉が、ギギィ……と不気味な音をさせて、開いた。 中は、真っ暗だった。 ルナが入っていく。ネズミは、ピエトとエーリヒも入るよう、うながした。 「ピエト、君はここに残りたまえ」 「え!?」 イヤだよ、俺を一人にしないでよと半泣きになったピエトに、エーリヒは言った。 「わたしたちになにかあったら、クラウドに助けを求めなければ。君までここから出られなくなったら、だれが助けを呼びに行くというのだね?」 「!」 「いいかね? 君はいちばん足が速いし、かしこい。かならず我々の助けとなるだろう」 「う、うん!」 「よろしい」 エーリヒはもう一度ピエトの肩を抱いてはげまし、ルナとともに、扉の向こうに消えた。 扉の閉まる音に、ルナの肩がおおきく跳ねた。今度は、エーリヒの肩は跳ねなかった。 なかは真っ暗だったが、ルナたちが入るのを合図に、アトラクションは起動しようとしていた。 円形の天井に、星空がまたたく世界は、濃い青に統一された風景を、ルナとエーリヒに見せた。 この遊園地の入り口すぐにある広場の、プロジェクション・マッピングだった。 くだものの建物がならび、軽食の屋台に、まんなかには噴水――。 写しだされる光景は、廃墟ではなく、ひとが行きかうにぎやかな遊園地だった、噴水からも、光と水が、際限なくあふれている。 もしもこの遊園地が見えない遊園地などではなく、リリザみたいにふつうに運営していたら、こんな光景が見られたかもしれない。 『ようこそ!“シャトランジ!”へ!』 陽気な白ネズミの姿が、スポットライトを浴びて、中央に現れた。これも、ほんものではなく、映像だ。 『はじめまして! 月を眺める子ウサギ! ぼくは、白ネズミの王様です』 チケットにあった絵柄と同じ白ネズミだ。風船を手にした、陽気な笑顔の。 「こ、こんにちは!」 ルナは精いっぱい返事をした。 「あの、あのね、白ネズミの女王様をね、たすけたいのだけども……」 『いよいよ、このときが来たね』 「ルナ、これは“映像”だ。会話はできん」 エーリヒが止めた。 『ぼくが、ラグ・ヴァーダの武神に殺されたのは、きみと同じ、三千年まえです』 白ネズミの王さまは、人ごみを見つめながら、ぽつりと言った。 『君は知っているだろうか。ぼくは、とてもうつくしい妻と、しあわせな生活をしていた。ラグ・ヴァーダの女王さまのもとで。でも、あまりにもうつくしい妻を、暴虐な武神が見初めて、ぼくから奪いとった』 白ネズミの顔から、表情が消えた。 『ぼくは、とても弱くて――とてもちいさな白ネズミで。武神に逆らったぼくは、なぶり殺しにされた。じぶんがいつ死んだかもわかりません。妻も、ぼくが死んですぐあと、子を産み落として亡くなりました。武神はそのころ、妻にはもうすっかり飽きて、ほかの女を抱いていた』 まるで、白ネズミの感情を代弁するかのような雷が鳴った。彼の口調は、終始しずかだというのに。 『ぼくも女王も、無念の思いを持ちながら――武神をたおすことはできなかった』 ルナは、ぬいぐるみをぎゅっと、抱きしめた。 『ぼくは、君たちに謝らなきゃいけない』 ネズミが、ルナを見つめていた。 『君たちに託すことしかできなかったことを』 「そんなこと――!」 謝らなければならないのは、ルナのほうだ。 ラグ・ヴァーダの武神をたおす力を持ちながら、イシュメルもダメだった。ルーシーのときも、アロンゾに殺されてしまった。武神を倒せなかった。 協力してもらったのに――。 「今度こそ――」 ルナは、決然と、顔を上げた。 「今度こそ、ラグ・ヴァーダの武神をたおすの」 白ネズミの映像は、記録だ。会話はできないはずだった。でも、ルナの言葉を聞いた白ネズミの王様は、微笑んでいるようにも見えた。 『まるで君たちは満月、ぼくたちは新月――この盤で向かい同士にいるように、ぼくと君は、いつでも協力体制にありながら、ほとんど出会ったことがなかった』 「……」 ルナは、彼の名を呼ぼうとして、その名すら、知らないことに気づいた。 『ぼくたちはネズミだけれど、それはそれはちいさな生き物だけれど、ラグ・ヴァーダの武神がつまづく穴くらいは、掘ることができるんだ』 ライオンやトラのように、武神の喉笛に、直接歯を立てることはできずとも。 『これは、ラグ・ヴァーダの武神をたおす占術、“シャトランジ!”』 青紫の光源を背負って、白ネズミは、白く輝いた。 「――!?」 『あなたに授けよう。“白ネズミの王”と、“白ネズミの女王”が、つくった秘術を――きっと、あなたが今度こそ、ラグ・ヴァーダの武神をたおすと信じて――』 プロジェクション・マッピングが消えた。 遊園地の世界が、ふうっと、あとかたもなく、消えた。 地面は、敷き詰められたチェスボードのゆか――エーリヒの、いやな予感は当たった。 『シャトランジ! ――起動』 白ネズミの王が手をかざすと、ルナの身体が後方に引っ張られた。 「プギャー!」 「ルナ!?」 デジャヴだ。今度は真砂名神社の階段の頂上ではなかったが、かつてと似たような状況になった。 ルナが、盤の端にある、王様の椅子に座っている――いや、強制的に、座らせられたのだ。 「ルナ!」 「うご、うご、うごかな……!」 ルナは、シートベルトなどで拘束されているわけではない。だが、椅子に張り付けられたように、動けなかった。 |