百六十七話 白ネズミの女王 W



 

 すこし、時間をさかのぼる。

 アンジェリカが、部屋の外に出られなくなったことに驚愕したサルーディーバがアントニオに助けをもとめ――家を出てから数分後。

 アンジェリカは、ZOOカードボックスが、いままでにない光沢を放っているのに気付いた。

 白金色にアメジストを溶かしたような、つやめいた光――アンジェリカが、あまりのうつくしさに見とれていると、光の中で、自動的にカギが外される音がした。

箱が、開いた――。

 いつものように蓋だけが開くのではなく、箱が四方に開いた――濃い紫の光のなかから、遊園地の映像が飛び出す。

 映像は、アンジェリカの部屋を覆いつくして、広がった。

 

 『ムンド(世界)』

 

 白金と紫がかがやく光の中から、自分の声がする。それと同時に、やっと、ZOOカードが動きはじめたことに、目頭が熱くなった。

 「――動いた!」

 なにをしても、なにを唱えても、どう祈っても動かなかったZOOカードがようやく動いた――。

 アンジェリカは、それだけで、泣きそうなくらいうれしかった。

 袖で涙をぬぐったアンジェリカは、あらためて、映像と向き合った。

 

 ムンド(世界)――。

 

 これは、ZOOカード世界の遊園地だ。アンジェリカがZOOカードを自由にあつかえた時期、毎日のように見ていたもの。

 

 『あなたのいる位置は、ここ』

 肩から、自分の声が聞こえる。思わず右肩を見ると――まぶしいくらいに輝く、紫色のドレスを着た白いネズミが、立っていた。

 メガネをかけた、地味な「英知ある灰ネズミ」ではない。

 

 「あなたが、あたしの真名――“白ネズミの女王”?」

 『ええ』

 白ネズミの女王は、優雅に微笑んだ。ちょっと、ネズミというのもおかしいくらいの、うつくしいネズミだった。

かしこく、気高く、うつくしいというのを体現したような――。

 (ちょっと、言いすぎか)

 アンジェリカは、自分のことなのに褒めすぎたと思った。しかし、そう例えるのも大げさではないと思うくらい、美しかったのだ。

 

 「白ネズミの女王」が示したアンジェリカの位置とは、遊園地のアトラクションのひとつである、「女王の城」。

 窓から見える光景と照らし合わせても――自分は、この城のてっぺんにいるのか。

 

 「たしか、この城は、」

 『そうよ。このお城は、地下からしか入れないわ』

 白ネズミの女王が、アンジェリカの考えを読んだかのように言った。

 この城の正面入り口には、べつのアトラクションがあるのだ。

「サメとシャチのシー・ワールド」という遊具が。

海のはしからはしまで並んだサメのうえを伝ってでないと、女王の城の正面入り口にたどりつけない。もちろん、サメたちが容易に通すはずもない。かれらはいわば、城の守りなのだ。

 

 「女王の城の守りが、シャチとサメ……」

 アンジェリカは、腑に落ちたようにうなずいた。

 「だからアノール族は、シャチとサメが多いのか」

 

 アノール族のZOOカードは、海のいきものばかり。たまにイルカやクジラもあるが、九十パーセント以上、シャチかサメだ。彼らが海のそばを住処にすることが多いためなのかと思っていたが、真実の理由はここにあった。

 アノール族は、ラグ・ヴァーダの武神と、アンジェリカの前世であった、「白ネズミの女王」シンドラの子を祖とする民族だ。

 武の民族と呼ばれるゆえんは、ラグ・ヴァーダの武神を祖に持つから。

 しかし、アノールが祀るのは、ラグ・ヴァーダの武神ではない。武神はいわば、一族にとって反面教師なのである。武とつよさに溺れ、悪に染まらないように、との。

 アノールが祀るのは、母なるシンドラ――「白ネズミの女王」と、彼女の夫、宰相アリタヤ――「白ネズミの王様」。

 アリタヤはちいさな身体で、当時世界最強と言われたラグ・ヴァーダの武神に立ち向かった。

その勇気を、アノール族は尊ぶ。

 女王の城の真正面にシャチとサメが泳ぐ海があるというのは、アノール族が、女王を守っているということにほかならない。

 

 「あれ――!?」

 アンジェリカは、ムンドの映像のなかに、とんでもないものを見た。

 「ルナ!?」

 ルナと、ルナの養子になったピエト、それからもうひとり、見たことのない男性が、遊園地の中を走っている。

 

 『アンジェ。よくお聞きなさい』

 白ネズミの女王は、おごそかに告げた。

 『K19区の遊園地は、ZOOカード世界そのもの。遊園地がZOOカードの世界に似ているのではない。逆です。――ここは、あなたの前世、“アンナ”がアドバイザーとなって、ルーシーとともにつくった遊園地なの。アンナの生まれ変わりであるあなたがつくったZOOカードの世界が、同じなのはわかるでしょう?』

 「――!」

 『そしていま、“メルーヴァ姫”が、“賢者の黒いタカ”とともに、“シャトランジ!”の秘策を受け取るため、わたしの夫のもとに向かっている』

 白ネズミの女王がしめした先には、アンジェリカにもずっと謎だったアトラクションの建物が見えていた。

 “シャトランジ!”

 たしかに、建物にはそう書かれている。

 

 『そして、あなたの役目はべつにある。これから遊園地に入ってくる“ラグ・ヴァーダの女王”を、わたしたちのいる城に導かなければならない』

 白ネズミの女王は、持っていた槍で、遊園地の入り口から、女王の城までを指した。

 『この“グングニル”を、ラグ・ヴァーダの女王様におわたししなければならないの』

 

 白ネズミが手にしている槍に、濃い紫の光がゆらめいた。

 最後の穂先。

ラグ・ヴァーダの武神をつまずかせる大きな穴。

 

L系惑星群をほろぼしにやってくるのは、武神ただひとり、ではないのだ。

武神率いる軍団がある。

 

 そうだ――この、“シャトランジ!”でさえも、「撒き餌」なのだ。

 

 「……その槍が、“シェハを貫く”のね」

アンジェリカは、ひどく沈鬱な目で槍を見つめ――そして、目を閉じた。

(ごめんね。マリー、そして、シェハ)

 

 「……今度こそ」

 『ええ――今度こそ』

 

 アンジェリカと白ネズミの女王は、見つめあい、うなずいた。

 

 『さあ、アンジェ。本物の“ZOOの支配者”としての、最初の仕事よ』

 



*|| BACK || TOP || NEXT ||*