「じ、時間が止まってるの」 ルナはやっとのことで言った。 「さっき、椿の宿の時計が鳴って、急に時間が遅くなって――」 動けるのは、時計を持っているルナだけだ。エーリヒも操縦盤から身を乗り出した姿勢で止まっているし、対局者のメガネをはめた白ネズミのぬいぐるみも、右手を振り上げた状態で止まっている。 ルナと対極の玉座にいる――おそらく、これが白ネズミの王――も、玉座で足を組んだ状態で止まっていた。すべての駒もだ。 「ク、クラウド、あぶねえよ!」 ピエトが止めたが、クラウドは盤をまっすぐに駆け、玉座の白ネズミに近づいた。 (これは) 操縦盤のほうにいる、メガネの白ネズミの方へも行った。 メガネのほうは、“真実をもたらすライオン”たちとおなじぬいぐるみだが、玉座の白ネズミはまちがいない――。 (機械人形だ) 「ルナちゃん、いったい、これは?」 クラウドが、ルナのもとまでもどってきた。 「エーリヒが、これは、地球の、古代ペルシャのチェスだって」 「ああ、そうか」 クラウドは駒を確認しながら言った。 「シャトランジって名前を聞いたときから、予想はしていたけど――エーリヒは、チェスだったら負けるはずがない。だが、シャトランジのルールはどうだろう」 知っているだろうか。 不安げな顔をしたクラウドに、 「相手の駒はうごくのに、エーリヒの駒は、動かないの」 「分かった――ピエト、ルナちゃんのそばにいて」 「うん!」 クラウドは、ピエトにルナを任せて、エーリヒのもとへ走った。エーリヒも、時計の術中にあるのか、動きが止まっている。 クラウドは、エーリヒの操縦盤を見て、すぐに悟った。白ネズミの操縦盤には、星守りが埋め込まれていたが、こちらにはない。 「ピエト、ルナちゃんのポーチを!」 ピエトがクラウドにうさぎのポーチを投げた。クラウドは、なかから星守りを取り出して、すべての穴にはめ込んだ。 穴は八つ――星守りは、九つ。ひとつ余った。 クラウドは、ルナのもとにもどると、今度はミシェルの革ひものアクセサリーを引きちぎった。はずした星守りを、駒の後部にある穴に、ひとつひとつ、埋めていく。 「星守りって――これにつかうんだ!」 ピエトが感嘆したように叫び、クラウドを手伝った。 「たぶんね」 クラウドは、すべて嵌め終わってルナのもとにもどった。時間が止まっているせいなのか、なにひとつ様子は変わらない。 「準備はできたぞ――おそらく、これで動くはずだ」 ミシェルは、ふわふわと、妙に弾力のある、まるで毛布のような魔方陣の世界を歩いていた。 ずっと向こうに、ペリドットたちがいるドアがあるから怖くはないが、この世界は果てがなく――迷い込んでしまいそうなくらい広かった。方向感覚もあやうくなりそうだ。 ミシェルは、ドアがまだ見える位置で、止まった。そして、周囲を探したが、槍らしきものは見当たらないし、“白ネズミの女王”もいない。 「こんにちは、あたし、グングニルを受け取りに、きましたよ」 ミシェルはそっと、底知れない宇宙のような空間に向かって、そう呼びかけてみた。 (――あ) ミシェルの目前に、ミシェルと同じ大きさの、「偉大なる青いネコ」が姿を現した。 その姿が、ひとの形になっていく。 ラグバダの民族衣装を着た、長い茶色の髪の、女王に。 「ラグ・ヴァーダの、女王様……?」 ミシェルが聞くと、女王は肯定するように、微笑んだ。 すると、キラリと宇宙が光って――空から、大きな槍が降りてきた。横たえられたそれが――まるで綿毛が舞うように、ゆっくりと。 真正面にいるラグ・ヴァーダの女王とミシェルは、手をつないだ。 そこへ、槍が降りてくる。それは、まったく重さがなかった。ミシェルと女王の手の上で、砂のように崩れて、消えた。 魔方陣も消えた。 ミシェルが立っている場所は、外から光が差し込む、あかるい石畳の部屋だった。 (ラグ・ヴァーダの女王さま) ミシェルの耳に、かすかな声が届いた。 (シンドラは、たしかに、あなたの手に渡しましたよ) その瞬間、ミシェルにはすべてが分かった。 シンドラという、「白ネズミの女王」の決意を。 これから、なにが起こるのか。 ミシェルが受けとった、“グングニル”の意味を。 「み、みんな! ――みんな!」 ミシェルは、全速力で、入り口にもどった。 「急いで、シャトランジ! のアトラクションへ行こう!」 ルナを助けに行かなきゃ! ミシェルは大声で、みんなを急かした。 ミシェルが“グングニル”を受け取った途端に、ルナたちの時間も動き出した。古時計は、ルナの膝の上から消えた。 「――!」 エーリヒは、いきなりクラウドがめのまえにいたことに驚き、 「君、いつ来たのかね!」 と叫んだ。 「ついさっきだ――エーリヒ、時間が止まっていたんだよ」 「!」 エーリヒは、操縦盤が、さきほどとは様子が違うのに気付いた。空だった穴に、宝石が埋め込まれている。 「これは、君が?」 「ああ。――ルナちゃんとミシェルが、祭りのときに集めた、星守りだ」 「これが、機動力かね」 エーリヒは、見下ろす盤上にある味方の駒にも、それが埋められているのを確認した。エーリヒ側の駒も、敵方の駒と同じように、緑の光を宿している。 つまり、今度は、こちら側の駒も動くということだ。 「四戦目だ。今度こそ、負けんぞ」 エーリヒは、ルナの無事をたしかめた。ルナがこちらを見る目からは、恐怖は失せている。時間が止まる寸前、エーリヒも、ノワの姿を見た。そのことで、すべてを悟ったのだ。 (ノワ、君が、ラグ・ヴァーダの武神と戦うキーマンなのだな) エーリヒは、背中から、なにかが溶けいってくるのを感じた。まるで翼を得たような気がした。自分の内側に入っていくものの正体が、エーリヒにはすぐに分かった。 (ファルコ) ノワが、盤上にたたずんでいた。 「……ノワ」 エーリヒだけではなく、クラウドにも見えた。 時計を持ったノワが、盤上を横切って、ゆっくり、こちらへ歩み寄ってきた。 ノワがかざした手から、銀色の光が漏れ落ちてくる――操縦盤にある駒が変化するとともに、ルナがいる盤の駒も、味方側だけ、変わった。 ――チェスの駒に。 「……そうか」 クラウドは、シャトランジ! のアトラクションからも見える、「女王の城」を見て、おもわずつぶやいた。 「そういうことだったのか……!」 |