“最後の穂先”とは。 「女王」そのものだったのだ。 シャトランジの駒は、 「シャー」(王) 「フィルズ」(将軍) 「フィール」(ゾウ) 「ファラス」(馬) 「ルフ」(戦車) 「ハイダク」(歩兵) 「ジャマル」(ラクダ) の七種類。 ――「女王」は、存在しない。 エーリヒも、「女王の城」を見て、すべてがわかったようだった。 「エーリヒ、“クイーン”で、チェックするんだ」 「君も大概、無茶を言うね!」 四戦目がはじまった――操縦盤に星守りを埋め込んだとたんに、味方の駒は、いきいきと動いた。 幽霊ではなくなった駒は、エーリヒの指図にしたがって動き、敵の駒を破壊した。いままでのように、エーリヒの駒ばかり消えて、相手の駒が消えないということがない。 「やっと――フェアだな」 無表情ではあったが、エーリヒの目には、ようやく挑戦的な光がもどった。 「フィルズ(将軍)をC−5へ!」 「ポーンを、F−6へ!」 「ルフ(戦車)をF―5へ!」 「ナイトを――」 賢者の白ネズミは手こずっているようだった。 息もつかせぬ攻防戦が、一瞬のすきもなく、迷いもなく、つづいた――。 まばたきさえ許さない速さで。 勝負は、「賢者の黒いタカ」たるエーリヒが押したように見えたが、「賢者の白ネズミ」も、やはりただものではなかった。 この“シャトランジ!”をつくった術者であり、「賢者」である。 盤上から、ほとんどの駒がなくなった――あとは、白ネズミの王たる「シャー」(王)と、ルナが座る玉座の「キング」だけ。 「“シャー・ムンバド”(孤立した王)だな」 エーリヒは言ったが、白ネズミの王は、不敵に笑って、立ち上がった。 「――!?」 槍を振り上げて、動き出した。前後左右、一歩ずつしか動けないはずのシャーの駒は、一気呵成に、まっすぐに、ルナの玉座めがけて、突き進んでくる。 「きゃああああああ!!!」 ルナは叫んだ。ノワがリカバリしてあるといっても、怖いものは怖い。 「“シャー・マート”(王は死んだ)」 四度目のそれが告げられたとき、ピエトはルナを守るように膝に突っ伏した。ルナは目を瞑り、ピエトに覆いかぶさった。 「“クイーン”を、D―1へ」 エーリヒは、告げた。 「“チェック・メイト”」 エーリヒの言葉と同時に、「女王の城」の最上階の扉が、開いた。 扉から、閃光がほとばしった。 壁がくずれ、塔が崩壊していく――。 ちょうど、アズラエルたちが地下から外に出た瞬間だった。 「うわあっ!」 「早く降りろ!」 真実をもたらすライオンは、ミシェルを抱えて、あわててトロッコから降りた。城の崩壊に、トロッコの端が巻き込まれ、落ちてきた瓦礫につぶされた。 「あれは――」 ベッタラたちも、城がみるみる崩れゆくのと、最上階から、まっすぐにひとすじの光が放たれるのを、シャチの海から見ていた。 ネズミたちのふとい号泣が、夜空にひびいた。 「女王様――王さま!!」 銀色の槍をたずさえた“白ネズミの女王”が、扉から放たれた。 まっすぐに、ひとすじの光が、暗闇のなかを突き抜ける。 閃光となって、“シャトランジ!”のアトラクションに突き刺さった。 まるで、女王自身が槍になったようだった。 濃紫の光が、音すら聞こえぬ速さで、天井を貫く。 (さよなら、わたしの愛するひと) “白ネズミの女王”がいったのか、“白ネズミの王”がいったのか、さだかではない。同時であったかもしれない。 クイーンの槍は、深々と、“白ネズミの王”の胸に突き刺さっていた。 機械仕掛けのネズミ人形は、くちもとに笑みをたたえたまま、バチバチと火花を飛び散らせ――やがて、止まった。 アンジェリカは、床に突っ伏して泣いていた。 メルヴァの気配が、消え去るのが分かる。 ラグ・ヴァーダの武神とともに、メルヴァの中に鎮まっていた、ちいさなメルヴァの気配が、ついに――あとかたもなく。 (メルヴァ) 泣かないで、アンジェ。 来世こそは、いっしょに生きよう――。 ふっと、すべての電源が消えた。シャトランジ! の天井は、槍の威力で大破し――あとかたもなかった。 月の光が室内を照らしている。 ルナを拘束していたベルトは、いつのまにか解けていた。――ルナは、やっと椅子から立ち上がることができた。 「ルナ、だいじょうぶ……?」 ルナを気遣うピエトの頭を撫でてやってから、ルナは、ふらふらと、盤の中央に取り残された、白ネズミの王にちかづいた。 “白ネズミの王”の機械人形には、銀色の長槍が突き刺さり、バチバチと音を立てて明滅し、やがて、ただの鉄くずになった。 槍も、銀色の砂となって朽ちるように、消えた。 エーリヒと対局していた「賢者の白ネズミ」も、駒になったネズミたちも、もうどこにもいなかった。 「――ふ」 ルナは、ぽろぽろと涙をこぼした。鉄くずになってしまった、白ネズミの王様を抱きかかえて――。 (今度こそ、かならず、ラグ・ヴァーダの武神を倒すから) 「ルナ」 ひとりでは立てないルナを、エーリヒは抱きかかえた。ピエトを背負ったクラウドと、四人は“シャトランジ!”のアトラクションから出た。 外はすっかり、夜になっていた。 「ルナ!」 「無事か!?」 ミシェルにアズラエルにグレン――みんなが、ルナを心配して駆け寄ってきた。 もう、遊園地を闊歩していたぬいぐるみたちは、いなかった。 ルナは、泣いた。 アズラエルに飛びついて、泣いた。 白ネズミの王様の想いを――白ネズミの女王様の想いを。 受け止めきれずに、あふれさせてしまったように。 「ルゥ」 アズラエルは、ルナを抱きしめて、なだめた。 「たすけに来るのが遅れて、悪かったな」 泣き止まないルナを抱きかかえながら、一行は、遊園地をあとにした。 「おかえり」 ルナの姿が、アントニオからも見えるようになったとたん、猛吹雪はやんだ。たちまち、街に明かりがもどっていく。 「ルナちゃん――」 セルゲイが両腕を広げて、ルナを抱きしめた。 「た――たすかった」 宇宙船の操縦室では、二十数人にもおよぶ操縦士たちが、抱き合って涙を流して喜んでいた。操縦かんや計器がみるみる凍り付き――自分たちも凍り付きそうだったのが、やっと止まったからである。室内の気温は通常にもどり、船内の異常気象も止まった。 「はあーっ……どうなるかとおもったわい」 イシュマールも、急に晴れ渡った星空を仰いで、嘆息した。 「アンジェ!」 サルーディーバも、ようやく入れるようになった妹の部屋に飛び込むと――彼女の無事を確認し、抱きしめた。 「つらい使命を――よく、やり遂げました」 それは、ZOOの支配者になるための試練のことだったのか。それとも、白ネズミの女王として、成し遂げた、槍の受け渡しのことだったのか。 サルーディーバは、後者のことはわからないはずだ。 アンジェリカは、泣きはらしたまぶたを静かに閉じ、姉の胸に顔を埋めた。 今はただ、姉のぬくもりと、バターチャイが、恋しかった。 |