百六十八話 リカバリ夢の中 V 〜ルーシー〜



 

 千年まえのことです。

 L03の上級貴族として、なに不自由なく暮らしていた金色の鹿さんが、ある日、不吉な予言を受けたことからこの物語ははじまります。

 不吉――それは、メルーヴァ誕生の予言でした。

 L03に大改革をもたらし、戦争をももたらすというメルーヴァの生誕が、予言されたのです。

なんと、金色の鹿さんのおなかにいる子どもが、メルーヴァだというのです。

 金色の鹿さんはうろたえましたが、彼女は聡明な女性でした。そして、金色の鹿さんの夫である、太陽のようなトラさんも、立派な方でした。

 

 子どもを産み落としたら、すぐさま王宮へ出仕させるようせまる長老会から、彼らは逃げ、L5系の星に移住しました。

 「革命家メルーヴァ」として生まれた娘は、きっと、長老会の監視下のもとで、革命を起こさないよう、ずっと不自由な生活を強いられるに違いありません。

かわいい娘に、そんな生活をさせたくないふたりは、長老会の手がおよばないところまで逃げたのです。

おかげで、メルーヴァと予言された娘は、ぶじに生まれました。革命や戦争とはまるで無縁にも感じられる、ちいさなピンクのウサギさんでした。

夫婦は、いとしい娘を、メルーヴァとして育てないことに決めました。

名前も「メルーヴァ」ではなく、まったく関係のない別の名をつけ、L52の貴族に養子に出し、自分たちは親戚として、そばで見守ることにしました。

ピンクのウサギさんは、貴族の家で、なに不自由なく、すこやかに、美しく成長しました。ふつうの貴族の娘として。

メルーヴァのことは、なにひとつ知らず――。

 

ウサギさんが生まれたのと、同年同月同日、同時刻、L03の貧民窟に、ひとりの赤子が生まれました。民の中でも身分が低く、洞窟や洞穴を住まいとしている――もと罪人の一族がかくれ住む、貧民窟といわれる場所です。

生まれた赤子は、白くツヤツヤとした、毛色も美しい白ネズミでしたが、目も見えなければ声も出せず、耳も聞こえていないようでした。ネズミさんは、成長しても労働力にならないとされ、打ち捨てられました。声も出せない赤子は、泣き声を出すこともできず、すぐに衰弱していきます。

白ネズミを拾ったのは、たまたまちかくを通りかかった王宮護衛官でした。見事な青い毛色のウサギさんは、この貧民窟は罪人の砦であるとしっていましたが、弱っている赤子が哀れで、連れ帰りました。

 

彼はまだ、妻も持っていませんでしたが、赤子を自分の息子として育てました。

赤子が8歳になった日のこと、愛してくれた父が病で死にました。

白ネズミは、自分の名も知りませんでした。拾ってくれた父は慈しみを持って彼を守り、育てましたが、耳も聞こえず、目も見えない彼は、父がつけてくれた自分の名を知ることもありませんでしたし、父の名も分かりませんでした。

父が死んだことを知り、涙は出ますが声は出ません。彼はうめくだけでした。

貧民窟の赤子などひろってくるから、災いがもたらされたのだと、彼は父の両親に、家からつまみ出されました。

街をさまよい、のたれ死にそうだったところへ、また天の助けがありました。

ふたたび、彼を拾った者があったのです。

それは、王宮につかえる中級予言師、アンナという名前の灰ネズミでした。

 

灰ネズミさんも、まだ若く――十四、五であったでしょうか――彼女もまた、平民出で、身寄りのない少女でしたが、中級予言師となって、やっと人並みの生活ができるようになった身の上でした。

彼女も、自分の生活で手いっぱいです。ですが、このあわれな子どもを見捨てることはできませんでした。

彼女は、家に、白ネズミさんを置きました。

目も見えない、耳も聞けない、声も出せない白ネズミさんですけれども、学校に行かせて、指文字や点字を習わせて、どうにか意思疎通はできるようになりました。

すこしずつではありましたが、白ネズミさんは、「言葉」というものを覚えていきました。

白ネズミさんが、十四歳になり、――灰ネズミさんが、二十歳になったその日です。

灰ネズミさんは、たくさんの高等予言師とともに「ラグ・ヴァーダの武神」のよみがえりを予言し、高等予言師になりました。

 

一方、ピンクのウサギさんも、すくすくと育ち、十四歳を迎えていました。

結婚のことを考えるには早すぎる――ふつうなら、そう思うかもしれません。

けれども、ウサギさんの本当の両親である金色の鹿さんと太陽のトラさんは、焦っていました。ふたりは高齢でしたし、自分たちが死んだあと、ウサギさんを守ってくれるひとが必要だと考えていたからです。

「メルーヴァ」という立場のウサギさんを、長老会やL03から――果ては、その運命からもちゃんと守ってくれて、頼りになる、ウサギさんを心底愛してくれる夫を――。

L03の上級貴族であった両親は、知り合いのつてを頼って、信頼できる予言師を捜しました。ウサギさんの、生涯の友となり、相談相手にもなってくれそうな、女性の予言師を。

それが、アンナという灰ネズミでした。

彼女は高等予言師になったばかりでしたが、中級予言師の能力も持っているという、めずらしい予言師でした。しかも、彼女は幼いころから苦労を重ねて来たわりに、すれてはおらず、ずいぶん純朴な心の持ち主でした。

年齢も、ウサギさんより6歳上で、相談役にはちょうどよい気がします。おまけに、ウサギさんと同い年の弟がいたのでした。

 

ウサギさんは、灰ネズミさんは歓迎しましたが、婚約者の話には、なかなかいい顔をしませんでした。無理もありません、まだ十四歳なのです。

灰ネズミさんは、このままでは、ウサギさんは納得しないだろうと考え、両親に、ウサギさんがメルーヴァであることを話すよう、勧めました。

両親は戸惑いましたが、やはり、ウサギさん本人が、メルーヴァであることを知らずに生きるのは、無理でした。

両親はやっと、ウサギさんに、ほんとうのことを話します。

ウサギさんは、なに不自由なく育ってきた女の子でしたけれど、聡明でした。すぐには受け入れられない出来事でしたけれども、両親と、灰ネズミさんとともにL05へ旅行に行き、「メルーヴァ」というものの歴史を知り、すべてを納得したのです。

 

やがて、ウサギさんの婚約者は決まりました。養子先の両親が選んでくれた男性たちのなかで、ウサギさんをとても気に入ってくれた男性がいたのです。

事業家のパンダさんでした。

パンダさんは、ウサギさんより十歳も年上です。でも、ウサギさんも、パンダさんを選びました。彼がいちばんお金持ちになると、灰ネズミさんから聞かされたからです。

パンダさんとウサギさんが初めて出会ったのは、パンダさんがまだ二十五歳、ウサギさんが十五歳のときでした。灰ネズミさんは、パンダさんを、「L系惑星群のなかでも十指にはいる、実業家になるだろう」と予言したのです。

パンダさんは、まだ二十五歳。駆け出しの実業家でした。

パンダさんの未来を想えば、灰ネズミの予言は当たったといえるのでしょうが、ウサギさんの悲しい結婚生活を予言することだけは、できませんでした。

 

ウサギさんが十八歳になったその日、ウサギさんとパンダさんは結婚します。

ふたりは、結婚するまでも、何度かデートを重ねてきましたが、どうしてもパンダさんは、かわいらしい妻の、つくられた分厚い壁の内側に、入ることができませんでした。

ウサギさんはウサギさんで、パンダさんにたいせつにされればされるほど、後ろめたさが募ってきて、つらくなるのでした。

ウサギさんは、パンダさんを利用しているのです。

いつか来る、「ラグ・ヴァーダの武神」との対決のために。

 

結婚当日まで、パンダさんの煮え切らない思いは消えませんでしたが、パンダさんは、ウサギさんを、それはそれは、愛していたのです。だから誓いました。

「私は彼女を守ると決めた。たとえなんであれ」と。

ウサギさんの実の両親は、L03から逃げ出してきた上級貴族で、なにか深い事情があるのはうかがえます。けれども、ウサギさんは頑として、事情をパンダさんに話すことはありませんでしたし、「あなたを巻き込みたくない」と言われたら、それ以上は聞けませんでした。

ウサギさんは、結局、自分が「メルーヴァ」である秘密を、生涯だれにも明かさぬまま、墓のなかに持っていったのです。

 

パンダさんは、それでもウサギさんをふかく愛しましたが、どうしても距離が縮まらない夫婦生活。パンダさんは、ウサギさんを愛しているがゆえにすさみました。やがてパンダさんは、ひそかに、愛人を持つようになります。

ウサギさんは、ほっとしました。自分ではなく、ほかの女性と愛をはぐくんでほしい。

ウサギさんは、利用するつもりで結婚した自分の浅はかさを責め、いつ離婚されてもいいように、自分でも事業を立ち上げ、事業家となることを決意しました。

夫は、さいわいにも、有能な事業家です。

彼女が最初に手をかけたのは、譲り受けた事業でした。宝石が産出される鉱山の管理――彼女が改革したシステムで、会社は潤いました。

そこからウサギさんは手を広げていき、やがて、押しも押されぬ実業家になったのです。

 

そのころ、ウサギさんは、多忙を理由に、家にも帰らないようになっていました。家には、いつのまにか、パンダさんの愛人が住み着いています。ウサギさんは、パンダさんに離婚を申し入れましたが、パンダさんは承諾しません。

ある日、ウサギさんは荷物を取りに家に帰ったとき、パンダの愛人が妻気取りで食事をつくり、待っているところへ出くわしました。

ウサギさんよりずっと若い女性でした。愛人は、なんと、ウサギさんがパンダさんのほんとうの妻だとは知らず、家に入れることを拒絶しました。

パンダの愛人を平手打ちし、逆に家から追い出したウサギさんは、思いのほか、ショックが大きかったことに驚いていました。

自分が招いたこととはいえ、ウサギさんは、傷つきました。

ウサギさんの心が壊れていったのは、このころからだったかもしれません。





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