今回は、セルゲイもアズラエルも、グレンも動けない。彼らが動けば、ノワはますます逃げるからだ。

「落ち着いて、エーリヒからの連絡を待とう」

アントニオは冷静に告げた。

「ノワと同じリュナ族のアルベリッヒの話じゃ、ノワがファルコを置いて、勝手に遠くへ行くことはないだろうって。すなわち、エーリヒを宇宙船に置いて、自分だけ宇宙船を降りることはまずないと思う」

「……」

 

ぜんぶ、エーリヒ頼りか。

おもしろくはなかったが、今回に限っては、アズラエルたちは動けない。

 

歯がゆさを押し殺しながら、安心もできずに、押し黙った静かな空間に、突如電話の音が鳴り響いた。リビング備え付けの電話のそばにいたバーガスが、すぐさま取った。

「もしもし!?」

『バーガス?』

相手はなんとデレクだった。デレクの声は、焦っているようにも聞こえたし、半泣きのような気もした。

『助けて! なにが起こってる!? 意味が分からない!』

デレクの悲鳴だけは、リビングにいた皆にも聞こえた。

 

「どうしたんだ……」

ついに、グレンの腰は浮いた。

「なんだって? ルナちゃんが、店の酒を飲みつくそうとしてる!?」

バーガスの裏声に、全員が反応した。即座に立ち上がったアズラエルたちを押しとどめ、アントニオが立った。

「俺が行ってくるから、君たちはここを動いちゃダメ」

ジャケットを羽織ったアントニオは、すぐ外に出ていった。

 

 

 

「デレクが電話したすぐあとだ。――カウンターにもどったら、ルナちゃんはいなくなってて」

代わりに、これが置いてあった――と、マタドール・カフェのオーナー、エヴィは、瞬きもせずアントニオに、淡々と説明した。デレクも、グラスを拭く体勢のまま、たたずんでいる。

彼らも、なにが起こったか分からずに、混乱状態なのだ。

アントニオは、カウンターのスツールに、ルナの代わりに金の延べ棒が十本、綺麗に重ねられて、店内の薄暗い照明に反射してにぶく光り輝いているのを見た。

そして、延べ棒を囲むように散らばった、空の瓶や缶の山。

 

デレクとエヴィの話によると、ルナがいきなりふらりと店に現れて、スツールによじのぼるなり、にっこりと笑い、可愛い声で、「おしゃけ」と言った。

最近は、ルナもよく昼間に来てくれる。でも、酒を注文するのはめずらしい。デレクが「いつものでいい?」と聞くと、ルナは「うん」とうなずいたので、バラのカクテルを出してやった。するとルナは、嬉しそうに、それを一気(!)飲みし、「おしゃけ」とまた言った。

 

「もっとつよいおしゃけ」

ルナの様子が、なにかおかしいのは、デレクにも分かった。

 

デレクが、別のカクテルをつくってやろうと厨房にもどったとき、事件は起こった。

ビールのケースがない。

デレクが必死でそこいらを探していると、店の方から盛大な歓声が聞こえた。あわててもどると、ルナが、店の客の喝さいを浴びながら、つぎつぎとビールを飲み干していく。デレクが探していたビールケースが、なぜかルナの足元にあった。

止めようとしたデレクだったが、ルナはまたたくまにケースのビールを全滅させ、「おしゃけ」と、デレクに向かってにっこりと笑った――。

 

「店の酒が、ほとんど飲みつくされちゃった……」

デレクは、ここに至るまで、瞬きを一回もしていない。あまりのことに、我に返ることすらできなくなっている。

ルナが「おしゃけ、おしゃけ」というたびに、倉庫の酒が消えていく。デレクは酒の追加注文をしに電話へ走り――やっと気づいて、ルナの屋敷へ電話をしたのだった。

そしてもどったら、ルナは、金の塊を置いてこつぜんと消えていた。

客たちが、「いきなり消えた!」と騒いでいるのをエヴィもデレクも見た。そして、こっそり金塊をくすねようとした客を追い払い、今に至る。

 

「……これ、本物?」

デレクは金塊を手に取り、「うわあ」という顔で眺めて、元の場所に置いた。

「本物なら、一本五千万デルってとこかな。十本で五億デル。――けっこうな酒代だね」

「五億!?」

デレクは、腰を抜かしてスツールに座り込んだ。

 

「騒がせ賃にしても、度が過ぎてるよね……」

エヴィも、金塊から距離を置いて、不審物でも見るかのように怯えた目で見つめている。

「ルナちゃんはいったい、コイツをどこから出したっていうんだ!? 来たときは、カバンも持ってなかった!」

デレクの絶叫に、アントニオは、

「ごめん。説明はあとにするよ」

と慌ただしく言って、店を出た。すぐに携帯電話を手にしたアントニオは、屋敷にいるクラウドに電話をかけた。

「やっぱりルナちゃんはまた消えた。船内の酒場を徹底的にチェックだ。――ああ、とりあえず、皆に姿は見えるようだ」

 

 

 

そのころ、ルナはK19区の遊園地にいた。ふわふわ、千鳥足のウサギである。真っ白のボンボンつきコートにブーツ、ニット帽をかぶった少女がノワだなんて、だれも気が付かない。

「うっさうっさ、うっさこ〜!」

ルナはくるくる回り、べちょっと新雪のうえに尻もちをつきながら、遊園地へ入っていく。

(上機嫌だな、ルナ)

「うん! じょうきげん!」

ルナももちろんだが、ルナのなかにいるノワも上機嫌だった。

「おしゃけ〜♪ おしゃけおいひ〜い♪」

(おしゃけ〜♪ おいひいおしゃけ〜♪)

酔っぱらいノワとウサギの合唱だ。

 

「おじーちゃん、あっついコーヒーください」

ルナは、セプテンじいさんの店で、ホットコーヒーを買った。

「のわ、今度は金ののべぼうはダメだよ? ちゃんと五百デル硬貨出して」

めんどうそうなノワのため息とともに、ルナのポケットに五百デル硬貨が現れた。ルナはそれをおじいさんに渡し、大きな紙カップのコーヒーを受け取った。五十デルのおつりが返ってくる。

「砂糖とクリームはいるかね」

「ううん」

「欲しくなったら、またおいで」

「うん」

 

ルナは門を開け、勝手知ったるふうに、錆びた遊園地に入っていく。どこもかしこも雪が積もって、銀世界だった。ドアが開きっぱなしの、オレンジの形の建物にはいってドアを閉めると、暖かいとは言えなかったが、凍えそうになるほどではない。

ルナはくちゅん! とくしゃみをした。

ティッシュを探していると、やはりどこからともなく箱ティッシュが現れた。

「のわがいきなり飛び出すから、あたし、なんにも持ってこれなかったよ」

(荷物は少ない方がいい)

「少なくても、お財布は持って出たほうがよかったよ」

あたしのバッグには、いつでもお財布と、ハンカチと、ティッシュは入っているとルナは説明した。ノワは笑っているようだった。

 



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