(ルナ)

ノワが尋ねた。

(おまえいま、幸せか?)

 

「うん、幸せだよ」

あつあつのコーヒーを啜りながら、間髪入れず答えた。

ルナは、しんしんと降る雪をながめ、遠くに見える観覧車と、女王の城をながめた。もうあそこに、閉じ込められた女王様はいない。

 

(あんなヘンタイどもと一緒に暮らして、それでも?)

「アズたちはたまにヘンタイだなあと思うことはあるけど、ヘンタイでもだいじょうぶだよ。ゆるされる範囲内だから」

ノワはまた、なにがおかしいのか腹を抱えて笑い転げた。しばらく、ノワがひとりで笑い続けるような時間がすぎて、やっとしずまったころに、また彼は言った。

 

(……いつかまた、殺されるようなことになっても?)

 

ルナは、コーヒーを飲むのをやめた。

寒くてせまい室内に、立ち上る湯気。まだまだコーヒーは冷めそうになかった。紙コップは、手袋をしていなければ、火傷しそうなほど熱いだろう。

 

「……もう終わったって、ゆってた」

いろんなことが。

ルナとアズラエルと、セルゲイとグレンの因果は、終わったのだと誰かが言った。

ロメリアも、言った。

 

(ほんとうかな)

「ノワも、分からないの」

(自分自身のことだからな)

ルナは、いつのまにか誰かの膝の上に乗っていた。それがノワの膝だということに、半分酔っ払った頭が気づくまで、しばらくかかった。

 

(ルナ、好きなように生きろ)

ルナは、ノワが自分の身体から分離していくのに気付いた。この感覚は、以前イシュメルのリカバリを解除したときの感覚と同じだった。

屋敷では、ペリドットが、勝手にZOOカードが動くのを、神妙な顔で見つめていた。

ノワのリカバリが、勝手に解除されていく。

(人の期待を裏切れ。だれかを助けようなどとするな。めんどうなことには関わらずに、自由に生きろ――どうせ、オチは決まってる)

 

「今度こそ、殺されないのですよ!」

ルナは叫んだ。

「みんな、幸せになるんだから!」

ハッピーエンドになるんだから!

 

ノワはいつのまにか、オレンジの建物の外にいた。彼は、黒いタカ、ファルコを肩に乗せて、明るく笑っていた。

(イシュメルは、いつもおまえを見守っている――ストーカーのようにな)

「ひとことよけいですよ!?」

(俺はめんどくさいから、おまえを見張ったりはしねえ、じゃァな)

「のわ――!」

ルナがもうひとつ文句を言おうとしたところで、ノワは消えた。

 

ノワの代わりに、ストーカー呼ばわりされたイシュメルが現れ、ルナの隣に腰を下ろそうとしたが、狭すぎてそれがかなわないようだった。イシュメルはルナを膝の上に乗せ、言った。

(ルナ、K15区に行くとよい)

「K15区?」

(そうだ。――それから、酒は飲みすぎないほうがいい)

「のわにゆってください!!」

ルナはふたたび叫ぶ羽目になったが、イシュメルも苦笑しつつ、消えた。イシュメルが座った場所には、ルナが最近使っている、ファー素材の肩掛けバッグがぽつんと置かれていた。

 

 

 

「あっ! ルナちゃんのアイコンが出て来た」

クラウドが、三十分ぶりに探査機をリロードすると、ルナの所在をしめすアイコンがやっと点滅し始めた。

「K15区に向かっているのか――?」

「おい、ノワとルナのリカバリが解除されたぞ」

ペリドットが書斎から出てきて、リビングにいた皆に告げた。

「アントニオやエーリヒたちも撤収させろ。“真実をもたらすトラ”が、イシュメルからのメッセージを受け取ってきた」

「なんだって?」

「ルナは、二日ほどしたら帰ってくるから、自由に行動させろとのことだ」

「ノワとルナのリカバリは解除できたのか?」

アズラエルが念を押した。ペリドットは、

「俺が解除したんじゃねえが、さっき、解除された。いまは、ルナの動向は探査機でチェックできるはずだ。とりあえず、宇宙船も降りちゃいねえし、無事だ。帰ってくるまで自由にさせておけということは、なにかすべきことがあるんだろう」

 

「まったく……心配させやがって……」

グレンが大きく肩を落として嘆息した。

「とにかく、無事でよかったよ……」

セルゲイもほっとした顔をした。皆はとにかく、ノワ入りのルナが、放浪の旅をはじめてしまわないか、それだけが気がかりでしかたがなかったのだ。

 

 

 

昼近くなっていた。

ルナはシャイン・システムでK15区へ飛び、露店が並ぶ大広場で、アップルサイダーとサンドイッチの包みを買い、ストーブが焚かれたイベントテントのカフェスペースでもふもふと食べていた。

冬の最中で、みんなショッピング・センターのほうに入ると思いきや、野外のカフェスペースもだいぶ混んでいる。

ストーブがあるし、露店の方でつかっている火やガスコンロのおかげで、ずいぶんと暖かかった。

(そういえば)

こんなふうに、ひとりで外食しているのは、アズラエルから逃げまくっていたころ以来ではないか、とルナは思った。

(あのころは、ひとりであちこち、行ったなあ)

 

追憶に浸っていたルナは、自分の席に、キャリーケースを引きずった青年がまっすぐに歩いてくるのを見た。

アズラエルたちほど大柄ではないが、背もそこそこ高く、すらりとした細身の美青年だ。黒髪だと思ったが、光に照らされるとわかる、青みがかった黒髪なのだった。細いフレームのメガネをかけ、チャコールグレーのロングコートに垂らされたマフラーも、高級そうなものだった。

(L5系のひとかな)

興味をしめしたとたんに、ルナは彼の正体が見えて、絶句した。

 

なにに驚愕したのか――。

彼の正体は、ハトだった。オルドと同じハト――しかし、その姿は、オルドとはけた違いに大きかったのだ。

 
 



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