「え?」

エルコレは、さらに、目を見開いた。

「天秤?」

 

「“そうよ。あなたが持ってる、黄金の、おおきな天秤。――重いでしょ”」

最後のほうは、月の女神の声になっていた。

「……君は、黄金の天秤が欲しいの?」

首を傾げ、「不思議なものを欲しがるなァ……」とエルコレは、しばらくルナの顔を見つめていたが、

「わかった。いいよ、送るよ」

 

エルコレは、ルナが黄金の天秤をねだったと思ったらしい。

それきり黙って、映画を観続けた。ルナもそうした。いつのまにか、すこやかな寝息が聞こえて来たと思ったら、エルコレは眠っていたのだった。

ルナはいつのまにか、エルコレに膝を貸しているスタイルになっていた。

(これは困ったです……)

トイレに行きたくなったら、どうすればいいのだろうか。

やがて、映画は終わった。ながいながいエンドロール。

ルナは、この映画のもとになった話が、マーサ・ジャ・ハーナの神話のひとつであることを知って、目を丸くしていた。

 

そのとき、エルコレのポケットにある携帯電話が鳴った。エルコレは起きない。ルナはわたわた落ち着きがなくなったが、やがて留守番電話サービスに接続された。

 

『ピーター?』

 

ルナのうさ耳が立った。電話から聞こえてくる声は、オルドの声だった。

『L55のオフィスに着いたのか? 着いたなら、連絡くらいしろ』

電話はそう言って、切れた。

 

オルドはピーターと言った。オルドが言うピーターとは、ひとりしかいないに違いなかった。

ピーター・S・アーズガルド。アーズガルド家現当主だ。

最近のルナは、軍事惑星関連にくわしくなっていたので、アーズガルド家当主の名くらいは覚えていた。クラウドやエーリヒの会話にもたびたび登場するからだ。

「……」

ルナはアホ面をさらしたが、ぴーん! とうさ耳を立たせた。

(なんでピーターさんがここにいるの!?)

エルコレという偽名を名乗ってまで。

エルコレことピーターは、ルナが身じろぎしたので、目覚めてしまった。

「……すごいな。夢を見ない」

ピーターは、目を丸くして、ルナを見つめていた。

「オルドがただものじゃないって言ってたけど、本当みたいだ。――夢を見ない眠りにつけたのは、はじめてだ」

寝癖がついた髪をかきあげて、ピーターは起きた。

 

「ピーターさん……」

「ン? いつ気づいた?」

ピーターは呑気にあくびをして、背伸びをした。

「で、でんわがはいってますよ……オルドさんから」

ピーターは、ポケットに入っていた携帯電話を取り出し、留守電を聞いた。それから、手早くメールをかえし、また、伸びをした。

「ほんとに、気づかないで眠ってた。君、すごいな」

ピーターは感激したように顔を輝かせ、

「君はバクなの?」

と言った。

「ばく?」

「夢を食べちゃう動物さ」

 

ピーターは、エルコレと偽名をつかったことも、――最初から、ルナを「ルナ」だと知っていて接触したということも、なににも触れずに、立った。

ピーターは、なにも話す気がないらしい。なぜルナをここに連れて来たのか。どうしていっしょにいるのか。ルナが帰ると言ったら、ピーターは引き留めるのだろうか。

ルナもルナで、どうして自分がこんなところにいて、ピーターと過ごしているのか、まるで理由など分からなかった。

 

「夕ご飯はなににしよう? フルコース以外で」

ピーターは、室内の電話の前で、眠たげにあくびをした。

「外に出たくないんだ……だから、室内で取れる食事。フレンチ、イタリアン、和食、中華――なんでもあるよ」

 

一時間後。

ルナは、キャンディフレッシュライムポメグラネードミルキーシルクローズプレミアムとかいうバスオイルが入った広い浴槽に浸かりながら、無心で白い水面を見つめていた。

キャンディフレッシュライム(以下略)という、マミカリシドラスラオネザの名前にも劣らない高級バスオイルは、ピーターがなにを思ったのか、瓶の中身を全部浴槽に突っ込んだので、ルナは頭の先から足の先まで、においがついてしまった。悪い匂いではないが、香り過ぎて酔いそうだ。

「……」

ピーターはなにを持ってルナを連れまわし、この部屋まで連れて来たのか。ルナが一度も、違和感を持たないで来られたのも、ピーターがいうように、彼がゲイで、ルナに手を出す気は、毛頭ないからなのだろうか。

 

結局、あちこちから食べたいものだけ注文したピーターは、残すことなく料理はすべて平らげた。ルナのためにと、デザートにアイスケーキまで頼んでくれた。

お風呂から上がり、これまたルナのためだけに買ったのだろうか――ルナサイズのシルクのパジャマが用意されていた。なにしろ、有名ブランドの紙袋にはいったそれが、同じブランドの下着とともに、脱衣所に置かれていたからだ。

「……」

ルナが紙袋からそれらを出すと、すでにタグは取られていた。こんなものまでルーム・サービスで注文できるとは。

 

「それ、嫌いだった?」

「ぷぎゃっ!?」

いきなり脱衣所のドアが開き、ルナはタオルを手に悲鳴を上げたが、ピーターは「あ、ごめん」とふつうに言って、ドアを閉め、ドア越しに言った。

「軍事惑星じゃ、君くらいの子に人気のブランドだって聞いたから。君はそれで、だいじょうぶ?」

派手な花模様がモチーフの、この高級ブランドは、どちらかといえばリサやキラが好きなブランドだが、ルナはこだわるたちではなかった。

「だ、だいじょうぶですよっ!」

「そう」

そもそも、このパジャマですら数万デルのしろものだ。ルナはあきれ顔で下着とパジャマを見やり、いそいそと着た。

 

浴室を出て、寝室まで行くと、ベッドに寝そべったピーターが手招いていた。

「寝よう」

まるで当然のようにピーターが言うのに、さすがにルナは戸惑った。

「い、いっしょに!?」

「嫌じゃなかったら、といいたいところだけど、できれば、といいたいところでもあるけど、俺は多分、君が別の部屋で寝ていても、お邪魔すると思うよ。君は寝心地がいいから」

ピーターはさらに言った。

「俺が抱きたいのは、オルドだけだから」

「……」

「それでもいやかな?」

「……」

「う〜ん、隣の部屋に、もう一台ベッドがあるよ」

「……」




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