ルナは、おずおずとベッドまで来て、ピーターのとなりに潜り込んだ。

ピーターが、嬉しそうな顔をした。

アズラエルたちに知れたらたいへんなことになりそうだし、手を出さないというのはほんとうかどうかわからないが、なんとなく、だいじょうぶな気がした。今のルナには、イシュメルという超強力な防犯探知機がついているし、ルナが助けを求めたら、なんとかなるだろう。

それに、ピーターはなんだか、子どものように見えるのだ。

毛布にもぐりこんだルナを抱きしめ、ピーターは髪に鼻先を近づけて、「うえ」と変な声を出した。

「……すごい匂いだね」

「ピーターしゃんが、ぜんぶいれたからです……」

「俺のせいだったな。ごめん。おやすみ、ルナ」

ピーターは、ルナを抱きしめて、すぐに眠りについた。あっさりとしたものだ。

ルナはピーターを抱き返してやりながら、なんとなく分かった。

星のように大きなハトさんだ。惑星みたいにおおきな月の女神じゃないと、抱きしめてあげることはできないんじゃないかと。

 

 

 

 超高層マンションで目覚めた次の日の朝、ピーターはすでにいなかった。

 ルナはもしょもしょと目をこすりながらピーターをさがし、きのう彼がきていたコートがないことに気づくのはすぐだった。いっしょに映画を観たソファのまえのテーブルに、書きおきがあった。

 

 「朝食は、ルーム・サービスで注文して。遠慮しなくていいよ。それからパジャマはここに置いていって。君のものだけど、置いておけば、勝手にクリーニングしてくれる。君がこの部屋に来たときつかうといい。

 君のシャインカードの認証をさせておいたから、君はいつでもこの部屋に入れる。好きにつかっていいよ。黄金の天秤は、できたら送ります。

 昨夜はほんとうに夢を見なかった。熟睡したのは二十三年ぶりだ。ありがとう。

 まるで、ママに抱かれて眠ったみたい。

 出会えてよかった。じゃあね、ルナ。エルコレ」

 

 「……」

 ルナはアホ面をさらし――「二十三年ぶり!?」と絶叫した。

 なんなのだろう、この具体的な数字は。

 熟睡したのが二十三年ぶりというのは、どういうことだろう。

 

 ピーターは、最後まで、エルコレで通した。ピーターがなんのためにルナとひと晩を過ごしたのか、最後まで分からなかった。

まさか、ほんとうに、安眠のためだけに?

 

 ルナは首をかしげたが、徹頭徹尾、ルナにとっては、ピーターは男ではなく、ピエトとおなじ、子どもの印象だった。それもまた、不思議だ。ピーターはかっこいい成人男性で、終始おだやかな調子は、セルゲイに並んで、ルナが好きなタイプだった。

 一緒に寝たり、手をつないだりしたのに、トキメキとかいうものはまるでない。ピエトに手を引かれたり、一緒に寝るのと同じ感覚だった。

 

 「……?」

とりあえず、月を眺める子ウサギが言ったとおり、「黄金の天秤」は、彼にお願いすることができた。

ルナがというよりは、ルーシーがお願いしたようなものだけれども。

 

 (“天秤を担ぐおおきなハト”)

 

 ルナは、あんな大きな動物を見たのははじめてだった。八つ頭の龍よりおおきなハト。

 ピーターも夢を見なかった、と言ったが、ルナも安眠した気がする。

 まるで、大きなハトの懐につつまれたように。

 

 (エルコレ……)

 ギリシャ神話の英雄ヘラクレスの別名。

神と人間のあいだの子であるヘラクレスの。

 ピーターがそれを知っていて、エルコレと名乗ったのか、ただの偶然か。

ピーターは、ヘラクレスのように、神様と人間のハーフなのだろうか。

 ルナは考えたが、クラウドではないので、なにも分からなかった。

 

 ルナは書置きをバッグに入れて、着替え、室内にあるシャインの装置で、K38区の自宅にもどった。

 帰ってきたルナを、アズラエルたち三人や、ミシェル、ピエト、みんな勢ぞろいで、「心配させやがって!」ともみくちゃにしたので、ルナは、あの部屋で朝食を食べてこなかったことをほんの少し後悔した。

 昨夜は早めに夕食を取って就寝したので、ずいぶんお腹が減っていたのだ。

髪からは、まだ昨夜のキャンディフレッシュライム(以下略)の匂いがする。当然家に帰ったら、どこにいたのか追及されるだろうことは、ルナは覚悟していた。だが、だれも、なにも聞かなかったので、ルナは拍子抜けした。

ピーターのことを話していいものかどうか迷っていたので、ルナとしては助かったが。

もしかして、クラウドの探査機で、ルナがだれといたかは分かっているのだろうか。

 ルナは、バーガスの作った朝ごはんを食べ、やっと、「ただいま」ということができたのだった。

 

 



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