「う〜ん……」 ミシェルはそのころ、真砂名神社の奥殿で、「予言の絵」とにらみあっていた。 手にはスケッチブック。口には、デッサン用の鉛筆をくわえて。 予言の絵――百五十六代目サルーディーバが描いた、予言の絵である。 ララにとってはご神体同然の絵であり、以前、ミシェルはこの絵を見れば卒倒するという、謎の事態に見舞われていた。 前世の自分が描いた絵なのに、自分が見れば卒倒するのはなぜなのだろう。 納得がいかないミシェルだったが、最近はじっとながめていても、なにも起こらなくなった。 こうして、絵を前に、考えごとにふけっていても、だいじょうぶである。 『ミシェルよ』 「ぼわっ!?」 いきなり、めのまえに偉大なる青い猫が現れたので、ミシェルはうしろにひっくりかえりそうになった。 「なによいきなり! びっくりするじゃない!」 『ルナに、油彩道具をもらった。ケーキでも買って帰ってくれ』 いやにウキウキとしていると思ったら、青い猫は、すっかりパッケージから出した油彩の道具を抱えていた。 「え? それ、ルナが買って来たの」 『うむ。買ってくれたのだ♪』 青い猫は、いつもの威厳ある姿もどこへやら――浮き足だっていた。 「まったくもう――うちのネコを甘やかさないでよ」 ミシェルは鉛筆で頭をかきかき、うれしそうな青い猫を見つめた。青い猫はミシェルだ。お絵かき道具をもらったのが嬉しいのは、よくわかる。 青い猫は、ミシェルの横にいそいそとイーゼルとキャンバスを置き、さっそくなにか描きはじめた。 あの「お城」はけっこうな値段だった――ルナたちが購入した庭付き一戸建ては、三万デルだったが、お城は五万デルである。 もともと、セレブのご令嬢向けのおもちゃだ。痛い出費だったが、買っていいことはあったと思っている。 なにしろ、なかなかつかまらないというウワサの青い猫が、ほぼ毎日のように、ミシェルのもとに顔を出すようになったからである。 よほどあの城が気に入ったのか、気づけば城にいて、お茶を飲んでいたり、城のあちこちをリフォームしていたりする。ミシェルの知らない絵画が飾られていたり、食器が増えていたりした。 鏡の前で、ヒゲの具合なんかをたしかめている姿を、ミシェルは見たことがある。 「……?」 青い猫が手にしている油絵具は、おもちゃであって、本物に模してつくられてはいるが、本物ではない。だが、彼はおそろしくちいさなチューブから、たしかに絵具をしぼりだし、丸いパレットで混ぜてから、絵を描いている。 だがいまさら――ミシェルのメルヘン脳は、おどろきはしない。アズラエルあたりなら、気絶しそうになっていることは間違いないが。 「……ねえ、ネコ。これって……」 ミシェルは、だんだんはっきり形を成していく青い猫の絵に、目を見張った。 青い猫は、いま、ミシェルの目の前にある予言の絵を、ちいさなキャンバスに描いているのだ。 ――しかも、ちょっと違う感じに。 『ふむ。この絵を、完成させようと思って』 ネコは言った。 「完成?」 『うむ。これな、この絵は、未完成だ』 「ええっ!?」 ミシェルは叫んで、壁の絵と、青い猫が描いている絵を見比べた。 『この絵を描いてる最中にくしゃみをしたら、あっけなく死んでしまってな』 わたしも年だったし――うわっはっはと笑う声は、あきらかに、百五十六代目サルーディーバの声だった。 「ちょ、え、ちょ……じゃあ、」 『K19区の遊園地に、わたしのアトリエがある。ミシェル、わたしの絵はこんなちいさなものだから、君が描いてくれたまえ! これと同じサイズで』 青い猫は、さっさと完成版を描き、筆で、壁の絵を指した。 『こんなかんじで!』 「アトリエ……? 未完成?」 ミシェルはついに怒鳴った。 「最初から、言ってよお!!!???」 数分後、青い猫を肩に乗せたミシェルは、「キッズ・タウン・セプテントリオ」に来ていた。 「もう、マジでなんなのよ……たいせつなことは、最初から言ってよね」 げっそり顔のミシェルに、青い猫はえらそうに言った。 『絵を描く道具がなければ、絵を描けないではないか』 「……」 このぬいぐるみたちが、非常にマイペースなのは、前から分かっていたことだ。いまさら腹を立ててもはじまらない。 ミシェルは、リュックから、遊園地のマップがついたパンフレットを取り出した。 女王の城からの帰り道、メロンの建物のなかにあったものを、拝借してきたのだ。濡れたものが渇いてゴワゴワになっているが、読めないことはない。 クラウドにいわせれば、この遊園地は、千年前の建築物とはとても思えないそうだ。 千年もたっていれば、ほとんど遺跡のようになっているはず。さびれているとはいえ、荒廃具合は一年くらいしか経っていない状態ではないか――まず、千年も経っていたなら、紙のパンフレットが、こんなに綺麗な状態で残っていることはまずない。 おそらく、遊園地の入り口にいる「セプテンじいさん」が、時間を止めているのではないかということだった。 『あ、ここだ、ここ。“老ヒツジの美術館”のなか』 青い猫が、パンフレットを指さした。 「ここね」 ミシェルは、ネコと一緒に、そこへ向かった。 星座がちりばめられた濃紺の壁に、電飾つきの看板があった。 赤いビロード張りのドアはひらかれていて、入り口に、老ヒツジの彫像と、だまし絵みたいなものが飾られていた。なかは真っ暗だ。 「懐中電灯持ってないし、なかは行きたくないね」 ミシェルは、入り口を覗いて、あきらめた。 老ヒツジの美術館の隣に、だれもないガラス張りのカフェと、まるで妖精の住処のような――こんもりとした山に、直接丸い扉がつけられた場所があった。 『ここだ』 丸い木の扉は、立て付けが悪くなっていたが、開いた――。 「わあ……!」 なかは、小ぢんまりとした木造の部屋だった。椅子とイーゼル、油絵具の道具が置かれていて、窓から陽の光が差しこんでいる。山をくりぬいてつくった部屋。奥は、壁そのものが、観音開きの扉だった。 『あっちは、美術館につうじてる。おおきなキャンバスを移動させるときは、あちらからな』 青い猫は、ミシェルから降りたって、窓のところへ行った。 『君の役目だ、ミシェル』 「――え?」 『ラグ・ヴァーダの武神到達までに、わたしとともに、この絵を完成させよう』 青い猫は、陽光に溶け込むように、すうっと消えた。 ――それから、三日も経たないうちに、ララの手によって、このアトリエと美術館が、修復されることになった。 ララにそれを頼んだのは、ミシェルではなくアンジェリカである。 アンジェリカのもとに現れた青い猫は、アンジェリカの部屋にある白ネズミの女王の部屋で、お茶をしつつ、アトリエ修繕の依頼をした。 修繕作業は一週間ですんだ。 青い猫とミシェルの姿が、アトリエに出没するようになったのは、翌日からである。 |