百七十三話 かごの中の子ぐま T



 

 ルナは、久方ぶりに遊園地の夢を見た。

 入り口からすぐの大広場は、めずらしく、たくさんの動物でごったがえしていた。

ずいぶんなひとごみに紛れ込んでしまったので、観覧車を目印に、ルナはまっすぐ進んだ。どうしてこんなに人が集まっているのか、不思議に思ったが、しばらく進んで分かった。派手な音楽が聞こえてきたからだ。

大きな野外劇場で、ミュージカルが行われているのだ。みんな、それを観に集まっているのか。

「あっ!」

人にもまれ、ルナは転んだ。

「いたた……」

起き上がると、目線の先に、おかしなものを見つけた。

 

それは、観劇のための特等席なのか――おおきなくまのぬいぐるみが、王座ともいえるべき椅子に座って、ゆうぜんとワインを傾けている。

周りには、着飾ったキツネや、サル、フラミンゴ、孔雀――、とても華やかな動物の着ぐるみたちが、王様くまを囲み、優雅に談笑している。

その王様くまの隣に、鳥かごが置いてあるのだ。

中には、小さな子ぐまがいた。

こぐまはだるそうに、眼を閉じてしまっている。

鳥かごの周りには、おいしそうなお菓子や、あふれんばかりのおもちゃが並べられている。こぐまはそれらに見向きもしない。

 

「お薬を」

真っ黒な老ヤギが、うやうやしく、瓶から透明な薬を、スプーンでひとさじすくい、こぐまに飲ませる。

こぐまはわずかに口を開けてそれを飲み、またかなしげに眼を閉じた。

ルナは思わず叫んだ。

 

「どうしてこんな鳥かごに入れてるの!? かわいそうじゃない!!」

 

王様ぐまは驚いてルナを見たが、鷹揚に微笑んだ。

「危ないからだよ」

王様ぐまは、「私は跡取り息子が大切なのでね」といい、「お嬢さんもワインをどうかね」と勧めてきたのだが、ルナは断った。

 

 こんなところにいてはだめだ。

 このままでは、こぐまの病気は治らない。

 

ルナは、こぐまの入った鳥かごを持ち上げた。そのまま、走り出す。

「な、何をするんだ! 私の息子が! 跡取り息子が!!」

「つかまえてくれ!!」

ルナは、人ごみの中を走った。

「だれかそのうさぎを捕まえろ! ピンクのやつだ!!」

ルナは懸命に走った。大きな手が、追ってくる。おおきなくまの大きな手が、ルナと鳥かごを捕まえた。

 

「さあ、わたしの息子を返せ!!」

 

 

 

「うっきゃ!」

ルナは飛び起きた。

「どうした、ルゥ」

アズラエルも飛び起き、反射的にルナを抱きしめた。

「どうした? ――怖い夢見たのか?」

「ふえっぐ……、」

ルナは思わず泣いた。

「くま、くまが、おっきなくまが……!」

「クマあ?」

「おっきなくまがちっちゃなくまを鳥かごにしまってるの。おっきなくまが追いかけてくるの! こぐまを取り返しに――、」

「ルゥ、」

「ライオンとくまってどっちが強い!?」

「そりゃ――まあ――どっちかな――、ライオンか?」

それを聞くと、ほっとしたようにルナは、アズラエルの胸に顔を埋めた。

「……アズのほうがつよい」

アズラエルは嘆息したが、とりあえずルナの背を撫でた。

 「あーあ、そうだな。ライオンのほうが強ェよ。心配すんな」

 ルナのなだめ方にも、さすがに慣れてきたアズラエルだった。

 

 「フロイトは、『夢は無意識に至る王道である』と言った。つまりはルナちゃんの無意識下で、月の女神は活動してるわけだな。うさぎの形を取って」

 「もういい。てめえの高尚な説明はわからねえと言ったろ」

 「だから、すべてはアーキタイプなのさ。ルナちゃんの夢は比較的わかりやすい。ZOOカードを知っていればね。代理で置かれている対象が分かりやすいから――」

 「俺はてめえの説明が分からねえ」

 いつもの朝である。アズラエルとクラウドのやり取りも、いつものことである。

 

 「ルナちゃんの今日の夢は、露骨なまでに、ムスタファとダニエルのことを示唆しているよね」

 クラウドはしつこく言ったが、だれも返事をしなかった。クラウドにしても、ひとりごとなので返事がなくてもよかったのだが。

 「でも、ルナちゃんがダニエルを取り上げて、ムスタファが怒る? そんなふうには、ならないと思うけどなあ……」

 「あたしね、そこはあんまり気にしてないの」

 

 ルナはドレスを選びつつ、言った。選ぶほどドレスがあるということが、ルナの人生史上おどろくべきことであるのだが、アズラエルから一着、ララから三着、このあいだのクリスマスプレゼントで、エマルからプレゼントされた真っ赤なドレスが一着あるので、すくなくとも、その中から選ぶことはできる。

 

 「気になるのは、なんだかね――大ぐまさんじゃないの。こぐまっていうよりもね――なんだかね、違和感があるの」

 「違和感?」

 蝶ネクタイを整えていたクラウドが振り返った。

 「うん、違和感」

 ルナもうなずいた。

 「ぜんたいてきに、いわかん。なにか引っかかるけど、よくわからないの」

 

ルナはそう言いながら、ドレスを選び、下着を引き出しから取り出した。アズラエルが買ってきた、紫とか赤とか黒とかシースルーとかの、ルナが封印していた下着群。

ミシェルが、自分のドレスを選ぶ手を止めて、ルナの手元を真顔で覗き込んだ。

 

「いわかん……いわかんなのですよ」

ルナは無意識に、ガーターベルトまで取り出した。

「……」

ミシェルだけでなく、クラウドとアズラエルまで、真顔でルナの行動を凝視しはじめた。

 

「なんなんだろ……なにかがおかしいのですよ」

「ほんとうだな」

アズラエルが、黒スーツ姿で思わず言ったが、ふたりの会話の間には、齟齬があった。

ルナは夢のことを、アズラエルはルナの行動を言ったのだ。

 

栗色の髪をアップにし、宝石の付いた髪留めをつかって止め、ルナにしては濃い目の化粧に、いつもはつかわない真っ赤なリップを引く。

着ているドレスも、ララがプレゼントした、レース地のスリットが入った黒。毛皮のコートを着て、できあがったのは――。

 

「なんだこれ!?」

鏡の前で、完成図を見たルナが悲鳴を上げた。

「なんでこうなりましたか!」

「……ルーシーのしわざじゃない?」

ミシェルが至極真面目に、そう言った。

 

 



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