「あたし、フローレンスよ」 ダニエルと、ゼラチンジャーの話題で盛り上がっているさなか、いきなりピエトは腕を引かれた。 なにごとかと思って振り返ると、ピエトの腕をつかんでいるのは、さっき階段を上がるときに一度だけ目が合った少女だった。 ピエトより一、二歳うえだろうか。金色のふわふわ髪を流して、真っ赤なサテンのリボンをつけ、淡い黄色のドレスを着ている。 さっきは一瞬で目をそらしたくせに、ダニエルにも負けないほど頬をバラ色に染めて、ピエトを誘った。 「ねえ、お話ししましょうよ」 「いいけど――ゼラチンジャー知ってる?」 ピエトは、同じクラスの友達に話しかけるノリで言ったのだが、女の子はふて腐れた。 「そんなの知らないわ。あたしは、あなたと、ふたりきりでお話ししたいの」 「俺は今、ダニーと喋ってるんだぜ」 ネイシャなら、そんなことは言わない。三人で仲良くしゃべるはずだ。 少女の恋心に、まるでうといピエトはそう思ったが、ダニエルが、「いいよ。行ってきなよ、ピエト」と言った。 「フローは、君を素敵だと言っているんだ」 そういうダニエルは、どこか悲しげだった。ピエトは鈍い子どもではないが、恋心はまだ、理解しがたかった。ダニエルがさみしそうな顔をしたのは分かったが、ダニエルの心境についてまでは、思い及ばなかった。 そう――ダニエルが、この少女に恋をしていて、けれども、自分の病ゆえに、恋の対象にされていないということを。 「俺、ダニーと一緒にいるよ」 そういうと、フローレンスは顔を真っ赤にして怒った。 「レディを辱めるのね! 礼儀のない人!」 憤然と怒って、去っていった。ダニエルが、困り顔でピエトに耳打ちした。 「ピエト、こういうときは、一度は誘いに乗るんだ。はじめてだろ? 話していてつまらなかったら、時間だとか、パパが迎えに来たといって、席を外す。レディには、恥をかかせないようにしなくちゃ。社交界の礼儀だよ」 ピエトは目を見張った。 「おまえ、すげえな」 「お坊ちゃま、お薬の時間です」 さっきのやせた執事が、薬を持ってきた。目盛りの付いたプラスチックの小瓶からひとさじ、薬をすくってダニエルに飲ませる。 ダニエルは素直に飲んで、それから、やはりさみしげに告げた。 「僕、もう帰らなきゃ」 「ええっ!? もう?」 話しはじめて、三十分くらいしかたっていない。フローレンスという少女のジャマもあったし、ピエトは、まだダニエルと遊び足りない気がした。 ダニエルはなにもかもをあきらめた顔で、苦笑した。 「僕は、これ以上起きていると、熱を出してしまうんだ」 「そ、そうなのか……」 ダニエルが病気だということは、ピエトも、アズラエルから言い含められていた。遊ぶのはいいが、ネイシャや学校の友達と遊ぶように、はしゃぎまわってはダメだと。 ダニエルの青白い顔を見――ピエトはなんだか、ピピを思い出して、胸が痛かった。 ダニエルは、目を潤ませてピエトを見つめた。 「僕、同い年の男の子と、こんなに長い間お話したの、はじめてだ」 「――!」 「また、遊ぼうよピエト。今度は、ゼラチンジャーごっこをして」 「お、おう!」 「僕、ゼラチンジャーのテレビも見る。変身セットも買ってもらう」 ダニエルは、執事に手を引かれながら、何度もピエトを振り返って見た。ダニエルはゼラチンジャーのことを、なにひとつ知らなかった。ピエトが一方的にしゃべっていただけだ。 「また、遊ぼう、ピエト!」 「うん! ぜったいな! また今度、ダニー!」 「おやすみ、ピエト」 ピエトも、いっしょうけんめい手を振った。 ダニエルが会場を去っていくのを見計らっていたかのように、フローレンスがふたたびピエトに寄ってきた。 「あたしは、あと一時間くらい、あなたにつきあえるわよ?」 ――帰り道、ピエトはなんだかげっそりしていた。 「おまえ、おおモテじゃねえか」 アズラエルがおかしげに言ったが、ピエトは、返事をする気力も失われているようだった。 アズラエルとルナが、そろそろ帰るぞとピエトを迎えに行ったとき、ピエトはなんと、五人もの女の子に囲まれて、取り合いをされていたのである。 「ダニーとは会いてえけど、もう、ここには来たくない……」 ピエトは、本気でくたびれたようだった。そう言ったとたんに、かくんとオチた。 「よっぽど、つかれたんだね」 ミシェルがびっくり顔で、瞬間に落ちたピエトを眺めた。 「ピエトがこんなにモテるなんて思わなかったよ!」 ルナは、ピエトの頭を自分の膝に移動させながら言った。 「そう? ピエトはいい男だと思うけど?」 クラウドが笑った。 おとなたちは、子どもの心境も考えず、いい気なものである。 |