ルナはしばらく口をぽっかりあけたまま、微動だにしなかったが、やがてはっと我にかえった。

「じゃ、じゃあ、ダニエル――ダニエル・M・バージャという子と、フローレンス・K・スカルトンという子のカードを――」

『わかったわ。じゃあ、ダニエルからね』

黒ウサギは、ふたたび両手をもふった。

「カゴの中の子ぐま」のカードが出てくる。

ルナが夢の中で見た、やせ細って、さみしそうな顔で鳥かごのなかに座っている子グマ。鳥かごの外は、おもちゃやお菓子であふれているが、鳥かごにいる子グマは、おもちゃを手に取ることすらできないのだ。

「……」

けれども、ルナは気づいた。

セシルとネイシャのカードは、かつて呪いのために黒いもやに包まれていた。あれほど濃いもやではなかったが、「バラ色の蝶々」のカードも、アンがガンであるために、薄い黒もやに包まれていた。

ピエトが病気だったころ、ピエトのカードはもやに包まれてはいなかったはずだ。

ということは、ダニエルは――。

 

「……ダニエルくんの病気は、治るのかな」

 

治る病気は、もやがかかることはないのではないか。

ルナが聞くと、黒ウサギはいった。

『あの黒いもやは、“ラ・ムエルテ”(死神)といって、つまり、もやがかかりはじめると死期が近い――あぶないということなの』

黒ウサギが左手を上にしめすと、そこから、薄気味悪い笑い声がして、カマを持ったガイコツの亡霊が姿を現した。

『黒いもやの正体は、この“ラ・ムエルテ”』

 

黒ウサギは、黒板に書いて説明した。ルナがZOOカードの記録帳に書きうつすと、今度は、アンのカードである、「バラ色の蝶々」も出してくれた。

「あっ! もやが薄くなってる!」

バラ色の蝶々のカードをおおっていたもやは、かなり薄くなっていた。目を凝らさなければ、見えないほどに。

『まだ油断はできないけど、もやが薄くなったということは、治る見込みがあるわね。死期は遠ざかったわ』

「よかった……!」

ルナは心底、そう思った。

 

『見て、ルナ。このラ・ムエルテ、こぐまのカードには、出てないでしょう?』

「……!」

黒ウサギは、こぐまのカードに、ルナの視線をもどさせた。

『だから、この子はまだ治る余地があるのよ』

黒ウサギはカードを見つめて考えるしぐさをし、

『そもそも、この子はこぐまだからね。タフだと思う』

「え?」

『病弱ではあるけど、クマなのよ。分かる? アダムやバーガスと同じクマ。だから、ウサギのピエトより、よほど精神的にも肉体的にもタフ』

ルナは、思いもかけない言葉に、カードをまじまじと見つめた。

ダニエルは、ルナが出会ったころのピエトより痩せて、枯れ木のようだ。彼が健康だったら、アダムやバーガスみたいに、おおきなクマになる可能性はあるということだろうか。

 

「この子の未来の姿は、見える?」

『ちょっと待ってね』

黒ウサギは、『フトゥロ!(未来)』と叫んだが、カードはキラリと銀色の光を宿したまま、絵柄は変わらなかった。

『無理そう。見えないわ――ロックされてる。彼自身が、“フトゥロ”(未来)なんてないと、あきらめているのよ。病気だからかもね。長くは生きられないと思っている』

「……」

『でも、寿命はだいぶ長いし、病気は治る可能性があるわ。だからルナ、あなたのもとに導かれたんだと思う』

「ダニーの病気は、治るのね?」

『ええ』

黒ウサギは、ルナが言うまえに、縁のカードも出してくれた。

ダニエルとピエトの間は、ずいぶん太い友情の線で結ばれている。

『彼らも、一生の友になるわね。いい友人よ。ダニエルは、ピエトの道を開いてくれる道しるべとなる』

「そうかあ……」

ジャータカの黒ウサギはマリアンヌで、すなわちアンジェリカとともにZOOカードを生み出したひとだ。ずいぶんくわしく教えてくれるので、ルナは助かっていた。今度から、彼女を呼ぼうと、ルナは決意した。

 

『――で、今度は、彼女だけど』

黒ウサギは、フローレンスのカードを出した。

――「わがままな黄ヘビ」。

 

「わあ!」

ルナにとっては、これも初めて見るZOOカードだった。

なにせ、画像が動くのである。

黄色のちいさなヘビの周囲にあるおもちゃやお菓子、素敵なアクセサリーや服が、めまぐるしく変わっていく。それを、黄色のヘビは飽き飽きした目で眺めているのである。

ダニエルのカードと対照的にすら見えるのが、ルナには印象深かった。

『こういうの、幸運の垂れ流しっていうのよね』

黒ウサギは、あきれ顔でつぶやいた。

ピエトのカードとの間には、彼女の方から一方的に真っ赤な糸がのびているが、ピエトには届いていない。つまり片思いだ。

黒ウサギはひとつ嘆息し、左手を挙げた。

すると、出ているすべてのカードを覆うように、意地の悪い顔をしたピエロの画像が大きく表示された。

 

『あら、困ったわ。“デサストレ”(災厄)の象意がでてる』

 

黒ウサギは本格的に困り顔をした。

『この黄色のヘビちゃん、トラブルを引き起こすわ』

「ほんと!?」

『ええ――これだけ大きく出たってことは、けっこうあちこち巻き込んで、大ごとになるわね……』

黒ウサギは、左手を上げてみたり、右手を振ってみたりした。

『導きの子ウサギにはよくないご縁だわ――でもしかたないわ。なんでもかでも、いい縁ばかりじゃないし、でも――いま彼女が関わってくるというのは、“かごの中の子グマ”の救済に関して、必要なことなのだわ』

黒ウサギは、デサストレ、と黒板に書きながら、ひとりごとのようにつぶやいた。

『つまりは――そうよ。無駄なことは、ひとつもないのよ』

 「……」

 

 “かごの中の子グマ”――つまり、ダニエルの救済に必要?

 ルナは、夢のことを思い出した。

ルナが二度も見たあの夢には、黄色のヘビは出てこなかったが――。

 

 「あ、あのね、黒うさちゃん」

 『どうしたの?』

 「あたし、同じ夢を二回も見たの」

 ルナは夢の内容を黒ウサギに話し、同じ夢を二度も見たのははじめてだというと、黒ウサギは腕を組んで考えたあと、言った。

 

 『……ルナが、まだ気づいていないから、何度も見るんじゃないかしら』

 「え?」

 『夢の中には、ルナが気づかなければいけないヒントが隠されている。ルナがそれに気づくまで、見続けるんじゃないかしら』

 「……ヒント」

 ルナも、うさぎ面で考えた。

 「それって、黄色のヘビちゃんが持ってくる災厄と、なにか関係がある?」

 『さあ……わたしにはなんとも』

 黒ウサギにも分からないようだった。

 『黄色のヘビがもたらす災厄のことは、わたしが調べてあげる。ルナは、夢のなかからヒントを探してみてちょうだい』

 「う、うん!」

 『じゃあ、またね』

 ジャータカの黒ウサギは姿を消した。

同時に箱の蓋も閉まり、銀色の光も消えた。

 (夢の中の、ヒント――)

 ルナはすぐに日記帳を開いて、しばらくうんうん唸りながら考えてみたが、ちっともいい考えなど浮かばなかった。

 

 



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