それから一週間、おどろくべきことに、フローレンスは通いつめてきた。レッスンがあるからと、五時過ぎか、五時前には帰るのだが、いつもケーキと紅茶を持参で、屋敷に来た。

アズラエルたちもフローレンスに出くわすことがままあり――ピエトはなんだか、元気を失っていくようだった。

 フローレンスが通いだして八日目、大広間のリビングで新聞を読んでいたグレンは、フローレンスに声をかけられた。

彼は、いつものだらしないTシャツと、ゴムの伸びきったゆるゆるパンツではなかった。シャツにスラックス――護衛術の臨時講師から帰ってきたのでその恰好だったのだが――。

 

 「あなたが、ピエトの養父になるべきだわ」

 「……!?」

 

 グレンは、目を丸くした。知らない少女が、まるで意味の分からないことをグレンに告げている。

 「あなた、軍事惑星のドーソン家のご嫡男でしょう? あなたがピエトの養父になって、きちんとした社交の礼儀を、ピエトにしつけるべきだわ」

 「……」

 ふんぞりかえった少女のたわごとを、グレンは目を丸くしたまま聞き流し――やがて、「は?」と言った。

 

 「あなたがピエトの養父になって、」

 フローレンスは繰り返そうとしたが、グレンは新聞をたたむことによってさえぎった。

 「お嬢さん。――どこで俺の素性を?」

 「どこでだっていいでしょう」

 「俺は、ムスタファ氏のパーティーには出ていない。一回もな。なのに、なぜ俺のことをご存じで」

 「あたしのパパに、知らないことなんてないのよ!」

 「つまり、ピエトから聞いたんじゃねえってことだな。勝手にひとの素性を探るのは、マナー違反だっていわねえのか。レディ・フローレンス?」

 フローレンスはぐっと詰まった。

 「……レディに恥をかかせるの」

 「とんでもない。お詫びに、お茶でもいかがですか、お嬢さん」

 「お誘い、お受けするわ」

 フローレンスは急に上機嫌になった。グレンは、このちいさな少女の計算を悟った。

 

 (おいおい……これは、)

 彼女の頬は、喜びに染まっている。

(ピエトにゃ荷が重いぞ)

 

 差し出された少女のちいさな手を取ってエスコートの姿勢を取らされたグレンは、言ってしまった手前、彼女をお気に入りのカフェに連れて行って、家まで送るということを成し遂げねばならなかった。

 ちいさなレディに恥をかかせないために。

 少女の罠に引っかかったのは、グレンだけではない。セルゲイももちろん、フローレンスのターゲットだった。ふたりから事前に聞いていたクラウドとエーリヒは引っかからなかったが、フローレンスの狙いはこの四人で、バーガスとアズラエルには興味をしめさなかったのだった。

 理由は分かっている。傭兵だからだ。

 

 「――十四歳だっけ」

 「なったばかりだってな」

 「先が怖いね」

 「ピエトがつかれるのも分かる気がするぜ」

 リビングのソファで、顔を突き合わせているセルゲイとグレンのまえに、テーブルが割れんばかりの勢いで、レオナがコーヒーカップを置いた。

 「なんなんだいみっともない――いい年して、あんなガキんちょにヘラヘラしやがって」

 レオナの二の腕にもこめかみにも、青筋が立っていた。

 「そんなに女日照りなら、ルナちゃんのケツばっか追っかけてないで、よそで女でも作ってこい!!」

 「どうしておまえが怒るんだ」

 ふたりは、レオナの剣幕に恐れおののいた。だが、ふたりとも、レオナの苛立ちもなんとなく分かる気がしていた。

 とにかく、あのわがままでマイペースな小娘に、この屋敷の者は振り回されっぱなしなのだ。

 ピエトは疲れ気味だし、ネイシャも、毎日のようにくるフローレンスに、だんだん苛立ちを隠し切れなくなっている。

最近は、三人でするゲームにも飽きが来たのか、グレンたちおとなにまで声をかけはじめた。

それも、ピエトにやきもちを焼かせて、自分への恋心に気づかせるためだという。

 

 「ルナがやっと自白した」

 エーリヒが、大広間にやってきた。書斎の方から、「エーリヒなんかハゲろ」という、ルナの暴言が聞こえてきた。

 「自白したって――なにをしたの」

 セルゲイが不安を隠さない顔でエーリヒを見たが、

 「心理作戦部のやり方にのっとって、尋問した。なに、身体的暴力も、心理的圧迫も加えていないし、薬をつかってもいない」

 「ほんとだろうな」

 グレンも疑わしげな顔をした。ふたたび、「エーリヒにハゲの呪いをかけてやる」というルナの恐ろしい呪詛が聞こえた。

サルディオネになるだろう人物の呪いである。おそろしい。グレンは思わず、生え際に手をやりかけた。

 「ルナのほうが、よほどわたしに心理的圧迫をかけているよ! ――つまりだな、ルナは先日、ZOOカードの占術をし、あのフローレンスという子が、われわれに災厄をもたらすという象意を受け取った」

 「災厄……?」

 「ルナったら、なんでそんな大切なことを言わなかったのよ!」

 ミシェルが地団太を踏んだ。

子どものいうことだったが、「付き合っている女性と別れて、あたしとつきあったほうが、将来のためにはいいわよ」などとクラウドを誘ったフローレンスには、ミシェルもあまりいい気分にはなれなかった。

 

 おとなたちは全員、リビングに集まった。書斎に拘束されていたルナも、アズラエルに救出されたが、まだ髪の毛が後退する呪いはあきらめていないようだった。

 「そうはいうけど、フローちゃんも、ただ単に、ピエトと仲良くなりたかっただけだと思うし……」

 ルナはおずおずと言った。「災厄」をもたらすとはたしかに言われたが、その「災厄」の正体も分からないまま、フローレンスを「災厄」あつかいしたくなかったのだ。

 

 「だけど、ずいぶん引っ掻き回されてると思うよ! あたしらは!」

 レオナは憤慨した。

フローレンスのまずいところは、レオナやセシルを、召使いと同様にあつかうことだった。どちらかというと、ルナとミシェルも下に見られている。

 召使いにでも命令するように、「紅茶がなくなったら持ってきて! 気が利かないわね」だの「どこそこのケーキを買ってきてちょうだい!」という言葉を放つフローレンスに、レオナは耐えかねて、

 「そんな生意気な口を利くもんじゃないよお嬢さん!」

 と叱ったら、とんでもないこたえが返ってきたものだ。

 「あなたの旦那様、ムスタファさんのところで働いてらっしゃるのよね!」

 

 なにがいいたいのか――クビにしてやるとでもいいたいのか。そもそも働いているのではない。頼まれて、ボディガードをしているのだ。

 「もういいわ! 今日は時間だから、帰ります! いつでもあたしがケーキを持ってくると、思わないでちょうだい!」

 さすがに、そばで聞いていたセシルもあんぐりと口を開け――レオナは、椅子を一脚、破壊した。こちらで用意した菓子には手も付けない子どもである。

 ピエトも、彼女のあつかいかたに苦心しているようだった。最近は、ストレスなのか、食欲も失せてきた気がする。

 

 「なに言ったって、無駄だと思う。ああいうのは――あきらめるまで、待つしかないよ」

 ネイシャのほうが達観している。

 「ピエトも結構はっきり言ってるんだよ。合わないとこは合わないって。でも、むりやり理屈つけて、ピエトにいうことを聞かせようとする。あれは、フローがピエトをあきらめるまで待つしかない」

 「あの子、あしたも来るのかい……胃が痛いよ」

 レオナの、めずらしく力のない声に、チロルがぐずりだした。バーガスが、あわてて、あやした。チロルの盛大な泣き声が屋敷中に木霊し、レオナが「うるさい!」と叫んだ。

 レオナが自分の子に怒鳴るのははじめてで、彼女の神経が摩耗しているのは、だれにもわかった。

 

 「すこし落ち着きなよ、レオナ」

 セシルが、彼女の手を取ってなだめた。

 「ピエト、その気がねえなら、フッちまえ。ああいうお嬢さんは、意外と社交辞令じゃ気づかねえかもしれねえぞ」

 バーガスが言うと、ピエトは、

 「俺、おまえと付き合う気なんかねえってはっきり言ったよ」

 げっそり顔で言った。

 「ヘビってのは、しつこいっていうからね……」

 クラウドも思案顔だった。とにかく、なんとかしなければ、みんなの神経がすり減っていく一方だ。

 



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