翌日も、フローレンスは来た。 ピエトもネイシャも、なかばあきらめ顔でフローレンスを受け入れ――ルナがいつものとおりに紅茶と、以前ララに教えてもらった高級菓子店で買ったマフィンを、ピエトの部屋に持っていきかけたところで――ピエトの部屋から金切り声が聞こえ、同時に、フローレンスが飛び出してきた。 泣いている。 ルナが呼びかける間もなく――フローレンスは駆けて行き――屋敷を飛び出していった。 ルナが、「いったいどうしたの」とピエトの部屋に入ると、ピエトはそっぽを向き、ネイシャはうんざり顔で座っていた。 「……ダニーのことを、あいつ、気持ち悪いって」 ピエトの眉間が、おもいきりしかめられていた。 「ルナ姉ちゃん、ピエトは悪くないよ」 ネイシャが、ピエトをかばうように言った。 「ピエトは――「あいつ、ダニーの病気のことをなにも知らないくせに、気持ち悪いって言ったんだ! ちょっと話しかけたらついてくるようになったって――最低だ!!」 「ピエト」 ピエトは涙ぐんでいた。ピエトにとっては、ダニエルのことをけなされただけではない、ピピのことも、そう言われたように感じたのだろう。 「嫌いだ……あんなやつ」 ピエトが袖で涙をぬぐう。ルナはそっと、ピエトを抱きしめた。 フローレンスは、やはり次の日も来た。 昨日の今日である。泣いて帰ったことも忘れて、けろりとしている。 さすがにルナは、「今日は、おでかけしてて、いないの」と断った。 ウソは言っていなかった。ピエトはフローレンスと会いたくないあまりに、ネイシャと街に繰り出した。今日は、ふたりでメリッサの家に泊まる予定だ。 「……ネイシャとですか」 フローレンスの顔が、急に大人びて、しかめられた。爪を噛むようなしぐさをしたあと――「分かったわ。あたしに挑戦する気なのね、あの女……!」とルナも怯むような目をした。 「あ、あの……」 ルナがなにかいうまえに、フローレンスは踵を返してシャイン・システムに消えた。 ルナは猛然と自室にもどり、ZOOカードボックスを出した。なにか、いやな予感がして仕方がなかったのだ。 「う、うさこ、うさと! 黒うさちゃん、あああああ、えっと、ジャータカの黒ウサギさん! 出てきてえ!」 ルナが困ったときに限って、彼らは出てこないのだ。 「真実をもたらすライオンさん! トラさん! だれでもいいから出てきてえ!!」 ルナは叫んで箱を揺すったが、銀色の光が漏れてくることもなかった。 そして、いやな予感だけは、的中した。 「セシルさんっ!!」 夜になって、セシル親子の担当役員であるカルパナが、屋敷に飛び込んできたのだ。血相を変えて。 話を聞いたセシルは、顔色を変えた。 「いったいどういうこと?」 「ですから、セシルさんたちに、一週間以内の降船命令が出たんです」 「なんだって!?」 顔色を変えたのは、セシル親子だけではない。大広間に集まった皆は、顔をこわばらせた。 「なんで、急に――どうして」 「わたしも分かりません。ですが、上部から指令ということで、問題行動を起こした、として――それも、ずっとまえのことです。セシルさんのアパートに、犯罪者が押しかけたことがあったでしょう?」 「でもあれは、セシルが悪いんじゃないじゃないか!」 レオナが怒鳴った。カルパナもうなずいた。 「そうです。でも、トラブルを起こした――ということで、降船指令が、」 「ルナさん!」 今度は、メリッサが飛び込んできた。蒼白だった。 「ピエトに、ピエトに降船指令が――」 「なんだって!?」 アズラエルが絶叫した。 「もしかしたら、ピエトのご両親であるおふたりにも出るかもしれません。さっき、バグムントとミヒャエルも呼び出されて――」 ――たしかに、彼女は「災厄」だった。 ルナはその夜、まったく寝付けなかったのだが、明け方、またあの夢を見た。 遊園地で大クマに会い、子グマの鳥かごをさらって、追いかけられる夢。 (いったい、なんなの……) メリッサの言葉どおり、ルナとアズラエルにも、強制降船命令が出た。ルナはカザマからわたされたその通知を、不思議と冷静な目で見つめた。 「ご心配なく。おふたりを――いいえ、だれも降船はさせません」 カザマは、バグムントとともに、屋敷の大広間で、皆にそう言った。 こうなった理由は、わかっていた。 フローレンスの親がこの宇宙船の株主だとかで、手を回して、今回の顛末を招いたのだろう。 毎日のように来ていたフローレンスが、あれきり、姿を現さない。 みなが神妙な顔で通知を見つめている最中、インターフォンが鳴ったので、広間に緊張が走った。 バーガスがドアを開けた、そこにいたのは――。 「ミシェルじゃねえか」 「よう、ひさしぶり」 ミシェル・K・べネトリックスだ。彼は、広間の緊迫した視線を一身に浴び――「なんだ? きちゃいけない雰囲気だったか?」とうろたえた。 みんなの肩が、いっせいに、しずんだ――緊張からの解放により。 ミシェルは、コーヒーを出される間に、次第をクラウドから聞いて、「そりゃ、厄介なことになったな」と肩をすくめた。 「おまえは、何しに来たんだ」 アズラエルが聞くと、ミシェルは眉を吊り上げた。 「何しに来たってことはねえよな。おまえ、俺の依頼、もうとっくに忘れてるだろ」 「――え、あ」 そういえば、アズラエルは、ミシェルが裁判のために宇宙船を降りるとき、ボディガードとして雇われるよう契約していたのだった。 「もしかして、降りるのか」 「ああ。そろそろ降りる時期が来た」 ミシェルは改まった顔でそう言い、 「ミシェル、――その話なんだが、」 言い淀んだアズラエルに、ミシェルはやれやれ、というように両手を広げた。 「いいんだ、わかってる。とっくにクラウドから聞いてるよ。おまえは、別口の任務で、宇宙船を離れられない」 「……」 「もともと、俺もいつごろ降りるんだって、はっきりいってなかったしな。おまえの言葉に甘えて、まだ契約金すら払ってねえし――だから、おまえはもういいよ。だけど、知り合いで、だれかいいヤツいないかと思って」 アズラエルはちょっと考えるしぐさをしたあと、 「降りるのはいつだ」 「二ヶ月後、になるかな」 ミシェルはすこし遠い目をして、言った。 「ちょっと待ってよミシェル」 レディ・ミシェルが聞いた。 「リサは? まさかリサも降りるの?」 「リサから聞いてないのか」 ミシェルはほんとうに不思議そうな顔をした。 「俺とリサは、今度こそ、ほんとうに別れた。……去年のうちに」 「ええっ!?」 「今度こそほんとうだ。……嫌いあって別れたわけじゃない。ケンカでもない。話し合って別れたんだ。リサは地球に行きたいし、俺は、裁判を捨てるわけにいかない。だから、決めた。俺たちは、別れた」 そういうミシェルの顔が、すこし悲しそうだったので、ミシェルもルナも、なにも言えなかった。 |