――フローレンスの十四歳の頭では、理解しきれなかった。 いったい、なにが起こったのかをだ。 いいや、フローレンスだけではなかった。十四歳の頭がどうこういうより、だれにも理解しがたいことが起こったのだ。 昨日、フローレンスは、突如降りだした雨と雷にぶつくさ言いながら、帰宅した。 自分にさんざん恥をかかせたあの連中を、もっと追いつめてやるつもりだったのに。 帰って母親に、「あのネイシャって女だけ、刑務所に入れられないかしら」と騒いだら、さすがに母親は、「文句の一つも言われたかもしれないけど、そこまでするものじゃないわ」とたしなめられたので、フローレンスはしぶしぶあきらめた。 父親が帰ってきたら、あの屋敷の連中全員を降ろしてもらうことに決めていたからだ。 夕食のときに、父親にそれをねだったら、快く了承してくれたし、フローレンスは、じつにすっきりとした気持ちで就寝した。 自分に逆らうものなど、この世にあってはならないのだ。 そして、朝になり――事態は、急展開した。 フローレンスの両親も、一日で、絶望に叩き落とされたし、だいいち、フローレンス一家だけの問題にとどまらなかった。 地球行き宇宙船の艦長室、および地下の操縦室でも、大変なことが起こっていた。 とりあえずは、陸上で暮らす一般人の耳に届かなかったが、これが一週間も続けば、ふたたび「地球行き宇宙船史上最大の危機」が更新されていたに違いない。 地球行き宇宙船の操縦室の計器が、まったく動かなくなってしまったのだ。 動かなくなったのは、宇宙船を運行する計器だけで、空調や、重力安定機、その他の機器に異常はなかったから、人命に問題はない。だが、地球行き宇宙船は、宇宙の真っただ中で、ぴたりと進むのをやめてしまったのである。 このあいだ、凍り付くかもしれない危機を乗り越えたばかりだというのに――。 「パパ!」 フローレンスは、鳴りやまない電話に出ることすらせず、ぼうぜんとソファに座り込んだ父にすがったが、なにもできなかった。 まず、第一のトラブル――彼女は――彼女の家族は、屋敷から出られなくなってしまった。 なぜなら、フローレンスの名も、両親の名も、この宇宙船のメイン・コンピュータから、こつ然と消えたからである。 シャインも乗れないし、生体認証によって作動する、屋敷のすべての自動ドアは、まったく動かなくなった。 彼らの生体認証が、宇宙船の計器から消えたから――フローレンスという人間は、宇宙船には乗っていないことになっている。 フローレンスの家族は、窓もドアもあかず、食べ物すらないリビングで、翌日、執事たちの手によって助け出されるまで、震えながら過ごした。 「なにが起こった、なにが起こった、なにが起こった……」 父親は、一日、そればかりつぶやき続けていた。 「もう終わりだわ……」 夜になるころ、母親はそうつぶやいた。 屋敷から出られなくなっただけではない。彼らを絶望のどん底に陥れたのは、屋敷から出られなくなった――それだけのことではなかったのだ。 一度も空腹など、感じたこともないフローレンスである。 彼女は人生で初めて、食べたいものを食べたいときに食べられないという事態に直面していた。 「お腹が空いたわママ!」とひっきりなしにさけぶ娘を、ついに母親は、苛立ちを込めて張り飛ばした。母親に叩かれたことなどない娘は、恐怖の目で母親を見つめ、やがて部屋の隅にうずくまって、シクシクと泣き出した。 妻子の狼狽ぶりを見た父親は、すこしは我に返ったようだった。 けれども、この言葉しか、口からは出てこない。 彼らをなだめる言葉も、安心させる言葉も、いっさい出てこないのだった。 「いったい、なにが起こった?」 朝、急にリビングのドアが開かなくなったとき、すぐに彼は、屋敷の外にいる執事と連絡を取った。そのときは、まだ冷静だった。 「ドアが開かなくなった――また、停電か?」 「分かりません。明日にはお助けできると思います。調べたところ、旦那様ご家族の生体認証が、宇宙船のメイン・コンピュータから消えていまして……」 お助けできる? 彼は、ただのコンピュータの故障だと思っていた。 お助けできる、のあとに続いた執事の言葉に、彼は絶句した。 「わたしたちの生体認証が消えた?」 不安げに、妻子が彼を見た。 「だれのしわざだ」 「それをいま、調査中なのです」 「生体認証が消えるなんてことはあるのか」 「いいえ。船内でもはじめての事態です」 「わたしたちの分だけ?」 「ええ――そうです」 執事も、電話の向こうで首をかしげている。 「どうなってる――おかしいぞ。――そもそも、こんなことは、異常だ」 父親は、言っていて、異常な事態だということに気づいた。そうだ、これは異常だ。宇宙船から生体認証が消える――。 「警察は。警察はなにをやってる」 艦長は。艦長に連絡を取れ! 責任者はどこだ! 「ハッカーか? それともウィルス――わたしの事業に文句があるヤツのしわざか」 わめきたてる男に、執事は焦りながら早口で説明した。 「ウィルスの問題も、ハッカーでもないのです。旦那様方の生体認証は、だれかが消したわけではなく、消えていたんです。コンピュータの事故としか……」 「バカな!!」 いったい、どういう確率だ。 星のような数の生体認証があるなかで、スカルトン家族の分だけが消える? 執事は電話の向こうで、そんなことはたいしたことではないという意味の咳払いをした。 すくなくとも、彼らは明日には救出される。 たしかに、それどころではない事態も起きていた。 「とにかく旦那様、それだけじゃないんです。E.C.Pの本社のほうから、理事を解任するとの連絡が……」 「え!!」 「会社の方でも問題が……ダヴリン・システムズとヒューストン航空が、買収されたんです」 さすがに、寝耳に水だった。 「ちょ、ちょっと待て――なぜ!?」 「分かりません。買収したのは、両方とも“セプテントリオ”という会社です。上場企業ではないようですが――」 「聞いたことがないぞ、そんな会社――なにが起こっている!!」 「分からないんです、なにが起こったか――ぜんぶ、今日起こったことです。本社のほうもパニックで――旦那様、旦那様!?」 父親は、ふるえる手で受話器を置いた。 そんなことが重なって、夜を迎えた。窓も開かない――室内は密閉状態で、空気すら薄い気がした。おまけに、みんなそろって、朝から水も飲んでいない。 「フロー!!」 いままでに聞いたことのない父親の怒り声に、部屋の隅にうずくまっていた少女は全身を揺らした。 「とんでもないことが起こってる! 分かるか!!」 父親は取り乱して、娘を揺さぶった。 「やめてあなた!」 さっき、自分が張り飛ばしたばかりである。母親が止めに入ったが、父親の形相はすさまじかった。 「おまえのわがままも、パパの会社があってこそなんだぞ! おまえのせいで、すべてが崩されようとしている!!」 屋敷から出られなくなり、生体認証が消え、E.C.Pの理事まで解任された。おまけに、八つある持ち会社のうち、いちばん株価が安定して高い上場企業二社が買収――。 尋常ならざる事態であった。 これだけのことが、たった一日かそこらで起きたのだ。 「フローのせいではないでしょ!?」 「こいつのせいだろう!!」 父親は目を充血させ、唾を飛ばして怒鳴った。 「ネイシャとかいう親子や、原住民の子どもを降ろさせろと、フローが言っただろう!!」 「で、でもそのことと、なにか関係が、」 「ないとでもいうのか!?」 たしかに、それらのほかに、なにも変わったことなどしていなかった。 |