「――じゃあ、なにかい。あのダニエルって子は、フローレンスに嫌われてるのは知りながら、それでも恋してたってことかい」

 レオナは、しばらく紅茶なんて見たくもないよといいながら、紅茶缶を棚の奥にしまい、コーヒーを淹れた。

ルナは、まだ寒い季節なのに、ダニエルが薄着だった理由が分かった。彼はきっと、執事がジャケットを着せるのももどかしく、大急ぎでリムジンを走らせ、ここまで来たのだろう。

――フローレンス家族の降船を知って。

 「ダニエル君って子はかわいそうだとは思うけど、あの小娘のことは、もうどうにもできないんじゃないか」

 「うん……アズが説明してくれてるけど、納得してくれるかな」

 ルナも心配そうに、大広間のほうを見やった。

 

 「フローが、ぼくを嫌ってるのは知ってた」

 大広間のソファには、アズラエルとピエト、ダニエルが座っている。ダニエルの隣にはイーヴォが。おとなたちにはコーヒー、子どもには、はちみつ入りのホットミルクが差し出されたが、ダニエルは、ミルクに手を付けず、か細い声で言った。

 「フローは僕が、パパの子だから、声をかけてくれたんだ。いわゆる、社交辞令ってやつ。でも、僕は、それがうれしかった」

 ピエトは、複雑な目でダニエルを見つめている。

 「……パパから聞いたけど、もうフローは宇宙船に乗ることはないだろうって。フローのパパも、株主じゃなくなっちゃったから……もうチケットを買うしか、宇宙船にのることはできないって」

 ダニエルは、ぽろぽろ、涙をこぼした。

 「フローはわがままな子だから、きっと、ピエトにも、アズラエルにも、ルナさんにも意地悪を言ったのだよね……でも、僕も謝るから、どうか、」

 

 「ダニー、あのな」

 アズラエルは嘆息気味に言った。

 「フローレンスの家族が宇宙船を降りたのは、親父の会社が大変なことになったからで、俺たちがなにかしたわけじゃねえよ」

 「え?」

 それに近い結果にはなったがという言葉を、アズラエルは飲み込み、つづけた。

 「たしかに、俺たちはフローレンスのせいで大変な迷惑をこうむった。ピエトがアイツと付き合わねえってンで、アイツは俺たちを宇宙船から降ろそうとしたわけだが、俺たちが、その仕返しに、フローレンスたちを降ろせと、宇宙船に言ったわけじゃない」

 「じゃ、じゃあ――」

 イーヴォも横から、ダニエルに、やさしく言った。

 「だから、イーヴォも申し上げたではありませんか、ぼっちゃま。フローレンスさまのご家族は、会社の危機をなんとかしなくてはならないので、宇宙船をお降りになったのです、と」

 「……ほんとに」

 

 「それに、フローは、あのままじゃ不幸になる」

 ここからは、月を眺める子ウサギからの、受け売りだ。

 「わがままを止めてやれる人間も周りにいなかったし、そういう環境だった――フローレンスが行ったのは、親父の妹の家だ。ずいぶん厳しいひとらしいから、ビシバシしつけられるって」

 わがままも、多少はおさまるだろ、とアズラエルは言った。

ピエトも便乗して言った。

「ダニー、フローレンスは、もっと素敵なレディになるために、宇宙船を降りたのさ!」

 

 「……それは、ほんとう?」

 ダニエルの頬に、赤みがさした。

 「ほんとに決まってるだろ! 月を眺める子ウサギが――むぐっ!!」

 ピエトは、アズラエルの大きな両手で頭と口を押えられた。

 「フローは、もっと素敵なレディになるの?」

 「ああ、そうだ」

 ピエトを押さえつけたアズラエルが確信を込めて言ったことで、ダニエルは、やっと、安心のためいきをついた。

 「そうか――」

 

 「はいはーいっ! お昼ごはんのお時間ですよ!」

すっかり、正午はすぎていた。ルナがオムライスを運んでくる。オムライスとスープ、サラダが乗ったプレートを。

もちろん、ダニエルの分もだ。

ダニエルは、オムライスに、ケチャップでクマの顔が描かれているのを見て、顔を輝かせた。

 「……おいしそう!」

 「あ、あの、ダニエル君、食べられる? こういうの、だいじょうぶ?」

 ルナは慌てて聞いたが、ダニエルは、頬を紅潮させて、イーヴォに許可を求めた。

 「た、食べてもいい?」

 「ええ。けっこうですよ」

 イーヴォはうなずいた。そして、ルナに向かって、笑顔を見せた。

 「ダニエルさまは、さいわいにもアレルギーは持っていらっしゃいませんし、卵料理はお好きでいらっしゃいます」

 「そ、そう……! よかった!」

 フローレンスのときのように、「こういうものはいただかないの」と言われたら、どうしようと思っていたルナだったが、ダニエルは大喜びで、スプーンを持った。

 

 「イーヴォさんは、ダイニングで」

 バーガスがうながすと、

 「おお、わたくしの分まで……。ですが、お坊ちゃまのお食事が終わるまで、わたくしはここで見届けたいと思います」

 嬉しそうにオムライスを崩すダニエルの横顔を見ながら、イーヴォはうれしげに、涙を拭いた。

 「ダニエルさまが、ご友人の家でお食事を召し上がるのは、はじめてでございます」

 「美味しい! この料理、とてもおいしいです!」

 お世辞ではないようだった。ダニエルは、ちいさな口いっぱいにチキンライスを掻きこみ、噎せた。

 「おぼっちゃま、ごゆっくり、お召し上がりくださいませ」

 イーヴォがあわてて、ダニエルの背をさすった。

 「ゆっくり食えよ!」

 そういうピエトも、早食いだ。ふたりは競争するように、すっかりオムライスを食べ――イーヴォを感激させた。

 「坊ちゃまが、お食事をすべていただかれた!」と。

 

 その日、ダニエルは、帰ってきたネイシャとも友達になり、三人で一時間ほど遊んだ。

 熱を出してしまったので帰らざるを得なかったのだが、「ピエト、ネイシャ、どうか遊びに来て」と息を喘がせながら何度も言い、老人に背負われて、帰っていった。

 ルナはその姿を、複雑な表情で、見送った。

 

 「そもそも、ダニエルの病気って、なんなんだろ」

 すっかり寝る用意を整え、ベッドに潜り込んだルナとアズラエルに、ピエトが聞いた。今日は、ピエトも一緒に寝たいと言って、枕持参で押しかけて来たのだ。

 「さあな――原因不明の病気で、治すことができねえから、親父さんは、地球行き宇宙船に、ダニエルを連れて乗ったんだ」

 「……」

 アズラエルは、決まり文句を口にした。

 「この宇宙船は、奇跡を起こすってウワサだからな」

 

 「原因不明の病気って――アバド病じゃねえよな?」

 ダニエルの症状は、たしかに、アバド病の後期症状に似ていた。熱が高く、咳き込み、顔も青白くて、頬だけが紅潮している。

 「アバド病じゃァねえよ。なんの病気か分かれば、治療もできるんだろうが」

 「じゃあ、ダニーが飲んでる薬は、なんなの」

 「俺は医者じゃねえから知らねえよ」

 「ルナ、ダニーの病気、治らないの?」

 毛布に潜り込んで天井を見上げ、考えごとをしていたルナは、さっぱり聞いていなかった。

 「え? う、う〜ん……」

 ともかくも、ルナは明日、ふたたびZOOカードで調べてみようと思った。なにしろ、フローレンスの「災厄」を調べておくと約束したジャータカの黒ウサギはまったく出てこず、謎の夢も見続けているわけで。

 「ダニエルの病気、なんなのかなあ」

 ピエトはそう言いながら、目をこすり、またたくまに寝息を立て始めた。

 「寝つきのいい奴だ」

 アズラエルが呆れてピエトのほっぺたを突ついていると、隣では、うさこもすっかり、眠りの世界に旅立っていた。

 「こいつらは、眠れないっていうことが、なさそうだな」

 

 ――ルナはその夜、また夢を見た。

 大ぐまと、子ぐまの夢を。

 



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