ルナたちがマタドール・カフェから帰ってくると、おどろくべき事態が発生していた。 ムスタファが、ダニエルとともに、屋敷にいたのだ。もちろん、執事のイーヴォも。 「どうしたんですか」 ムスタファみずから、屋敷に来るなんて――。 クラウドも驚いて聞いた。 「突然お邪魔して、すまないな」 ムスタファは微笑んだ。 コーヒーを運んだバーガスも、まったくおどろいたというように、両手を広げていた。 「先日は、息子がご馳走になった」 ムスタファは、ルナに礼を言った。 「い、いいえ――たいしたものではないです」 ルナが慌てて言うと、 「オムライス、とてもおいしかったです!」 ダニエルの声は、今までとは比べ物にならないほど、張りがあるように聞こえた。そんなダニエルを、ムスタファを愛おしげに見つめ、頭を撫でた。 「イーヴォの話では、まったく残さずに、食べきったと」 「はい、そうなのです、旦那さま」 イーヴォは、深々とうなずいた。 「この子は、いつも、そんなに食えんのだよ。パンひとかけらすら、食べきれんときもあるのだ」 ムスタファは、感極まったように言い、ルナを――困惑させた。 「……」 「ところで、この家の家主は、どなただろう」 ムスタファは、コーヒーで口を湿らせてから、クラウドに尋ねた。 「家主っていう家主は――いわゆるルーム・シェアですから」 「そうか。では、君たちに話そう。じつは、頼みがあってきたのだ」 ムスタファは、リビングにいる皆を眺め渡し、それから、向かいのソファにいるクラウドとルナに向かって言った。 「ルーム・シェアの仲間に、息子を入れていただけないだろうか。二ヶ月――いや、一ヶ月でいい」 「え!?」 夢の中で、「息子を返せ!」とルナに迫った大グマが、みずから子グマを、ルナに託す宣言をしてきた。 夕方、学校から帰ってきたピエトとネイシャ、ジュリ、真砂名神社から帰ったミシェル、特訓を終えたアズラエルとグレンを待ち構えていたように、夕食の席で、家族会議となった。 「ダニエルを、しばらくここへ置いてくれって?」 アズラエルも驚いて、生姜焼きを一枚、ピエトがくすねたことに気づかなかった。 「ああ――俺も驚いた」 クラウドはそれを見ていたが、見ないふりをした。 ムスタファは、すぐに返事を求めなかった。皆で話し合って決めてくれと言い残し、今日は帰った。 「親父さんの頼みは、断りづらいな……おまえらは、どうなんだ」 アズラエルはそう言ったが、クラウドも同様だった。宇宙船に入ったばかりのころ、ずいぶん世話になった身だ。 「あたしとセシルは、かまわないよ。ルナちゃんとも、昼間そう話した」 レオナは言った。ダニエルはいい子なので、問題はないようだ。 バーガスもアズラエルたちと同じ意見、ミシェルもジュリもOK。 エーリヒは、「構わん」で――セルゲイは、「ルナちゃんがいいなら」と言った。 ピエトとネイシャは、ダニエルがいっしょに住むということは、大賛成だった。ともだちが増えて、毎日が楽しくなる。 最後のグレンもあっさり承諾したが、会議は終了というわけにいかないようだった。 「俺も、べつにかまわねえよ。いまさら一人二人増えても変わらねえ――なにか問題が?」 「それがね……めずらしく、ルナちゃんが渋ってるのよ」 セシルはこっそり、隣に座っていたグレンに言った。グレンが、離れた席にいるルナを見ると、座った目をしていた。あれは、怒っているか、なにか真剣に考えごとをしている目だ。 「……たしかに、めずらしいな」 いつものルナならば、いちばんに賛成するはずだ。そして、それを渋るアズラエルに、「アズは冷たい!」とかなんとか言いだして、ちいさなケンカに発展する。そして、ルナの頭突きがさく裂し、おしなべて解決する、はずだ。 「ルナが渋ってる?」 ――ムスタファは昼間、ルナに言った。 『君は、カレンとピエトの病気を治したと、聞いている』 ルナのうさ耳が、ぴょこん! と立った。困惑した顔だった。 『待ってください。ムスタファ――たしかにカレンとピエトの病気は治ったが、ルナちゃんがなおした、というわけではないんです』 ルナが言いたかったことを、クラウドが代弁してくれた。 『ルナちゃんが魔法じみた力で治したんじゃない。――結果としては治ったが、ふたりの病を治したのは、医師の的確な治療と、薬です』 『そ、そうです。あたしじゃありません……』 ルナはやっとの思いで言った。 二人の病は確かに治った――だが、それはクラウドの言うとおり結果であって、ルナは病気を治そうと思って、ふたりと暮らしたわけではない。 ルナのつくった食事が薬となって、彼らを治したわけではないのだ。 ルナの言葉に、ムスタファも、苦悶を眉の間ににじませた。 『それはわかっている――だが、クラウド、わたしももはや、藁にもすがる気持ちなのだよ』 彼は、ダニエルを見つめて、言った。 『地球行き宇宙船に乗って早三年――いまだに、奇跡は起こらない。ダニエルの病気の正体も分からなければ、治ることもない。――病気を治してくれとは言わない。だが、カレンとピエトにしたことを、どうかこの子にも』 すがるような目で見つめられ、ルナは困惑した。 『どうか、頼む。息子を、助けてくれないか』 ルナの目は座ったまま、ほっぺたはぷっくら――怒っているのではなく、リスのように膨らんだほっぺたの中身はごはんだったが、皿の上の生姜焼きとキャベツ、ポテトサラダを半分以上残して、ルナはごちそうさまをした。 ルナはしばらく部屋にこもっていたが、一時間もしないうちに、みんながいるリビングに降りて来た。 ピエトとネイシャが駆け寄ってくる。 「なあルナ――やっぱりダメ? ダニーがいっしょに暮らすのは、ダメか?」 「あたしたち、ダニーが熱をあげたら、看病するよ。あばれないように、気を付けるから」 ルナは困り顔をした。 「ルゥ、どっちにしろ、明日には返事をしなきゃならねえ。おまえの決心がつかねえならもうちょっと待ってもらうことはできるが、ダメならダメで、しかたねえ」 アズラエルも言ったが、ルナは眉をへの字にしたまま、つぶやいた。 「あたし以外のみんなは、いいんだよね?」 だれも、それを否定しなかった。ルナ以外の全員は、ダニエルを受け入れる意思を見せている。 「――ルナちゃんは、なにが不安?」 セルゲイが聞いた。 夢のことか。ダニエルをこの家に住まわせて、ムスタファの怒りを買うことにはならないだろうか、という不安か。 「ルナちゃんの不安ももっともさ」 レオナが、ルナをおもんばかるように言った。 「病気の子だって言うんだもの。しかも金持ちでさ――なにかがあったら、あたしたちのせいにされるかもしれない」 「ムスタファは、そんなこたァしねえよ」 バーガスが妻をなだめた。 「そもそも、ダニエル君って子は寝たきりだったっていうんだから、すぐホーム・シックになっちゃうんじゃないかねえ」 セシルは、みんなが了承しても、ダニエルがすぐ帰りたがるのではないかと思っていた。 なにしろ、入院以外で外泊などしたことがない子どもである。 「あたしが治したんじゃないもの……」 ルナのつぶやきは、明確に、ルナの心配ごとを表した。 「ムスタファは、病気が治ることを期待しちゃいねえ――いや、期待はしてるかもしれないが、ダメだったらしかたないと、言ってるんだろ」 アズラエルも言ったが、ルナは腕を組んで、また目を座らせた。その恰好は、いつぞやの、イシュメルを彷彿とさせた。 「――なにか――なにか、気になるの」 「いったい、なにが気になるっていうの?」 ミシェルも聞いたが、ルナは首をかしげるばかりだった。 「この家に来るのは、ダニエル君だけ?」 ルナは、思いついたように聞いた。 「ああ。世話役のイーヴォは反対したようだが、ダニエルひとりだけ寄越すって――それがどうかしたのか?」 「……気になるのです……」 ルナはそれしか言わない。 けれども、ほっぺたをぱんぱんに膨らませたルナは、やがて、 「ダニー君のお部屋はどこにする?」 と聞いた。 その台詞は、ルナも了承したということだ。 ピエトとネイシャは、「やった!」と両手を叩きあった。 「ルナちゃん、心配しなくても、きっとすぐダニエル君の方が帰りたがるよ」 セシルは、ルナの不安を取り除くように、頭を撫でてくれた。 「ルナちゃんの了承も得たことだ――二階の空き部屋を、整理しておくか」 「そうだね。あたらしい毛布と枕を用意して」 バーガスとレオナは、さっそく腰を上げたが、ルナの困惑顔は、おさまってはいなかった。 それを、セルゲイが、だまって見つめていた。 |