「よ、よろしくお願いします」

 次の日、ダニエルは屋敷にやってきた。ずいぶんな大荷物だった。ダニエルほどもあるトランクが三つに、スーツケースが五つ。

 バーガスとアズラエルが二階の部屋に荷物を運び、ピエトとネイシャが、さっそくダニエルの手を取った。

 「ダニーの部屋、ちゃんと用意したんだぜ!」

 「ほんと!?」

 

 「どうか、どうか、坊ちゃまをよろしくお願いいたします」

 心配そうな顔のイーヴォは、何度も、何度も、家じゅうの皆に頭を下げ、ダニエルを頼んだ。ムスタファも、息子の手を心配そうにとり、

 「みなさん、どうか、息子をよろしくお願いする」

 と言って、最後までダニエルの顔色を見つめながら、屋敷を出た。

 

 ルーム・シェアのメンバーが一人増えて、あたらしい生活が始まった。

 その日、ダニエルは、夜になるまで一度もベッドに入らなかった――この事実は、ムスタファとイーヴォも驚愕する事態だった。そして、また歓喜したに違いない。

なにしろ、一時間も起きていれば、すぐ倒れてしまう子が、午後いっぱい、一度もベッドに入らなかったというのだから。

 夕食は、おとなたちはたくさんの惣菜と酒、子どもたちのメインはカルボナーラだった。

 ピエトとネイシャからの、リクエストがあったからだ。

 

 バーガスが、コブサラダのエビをフォークに差したまま、茶化した。

 「よう、ダニー。うちじゃ、フォアグラやキャビアは出ねえぞ。ついでにいや、外から順番につかっていくほどのナイフとフォークはない」

 「僕は、オムライスのほうが好きです! このパスタも美味しい!」

 ダニエルは、上品なしぐさでカルボナーラをフォークですくい上げ、嬉しげに口に運んだ。

 

 「ダニーのうちでは、オムライスとか、カルボナーラは出ないの」

 ネイシャが聞くと、ダニエルはうなずいた。イーヴォに持たせられた野菜ジュースを口に運びつつ。

 「出ません。僕は、健康のために、朝食はサプリの入ったオートミールです。管理栄養士のいうとおりに食事をとっています。毎食、野菜ジュースはかかせません。昼食は、お腹が空かないからあまりとらないし――夕食も、パパと食べるときはあるんですが、いつも野菜中心のリゾットとか、消化にいいものです。フォアグラもキャビアも食べたことはあるけど――味を覚えていません」

 ピエトもネイシャは、カルボナーラを掻きこんだ体勢のまま、固まった。あわてて飲み込んで、ネイシャは言った。

 

 「好きなもの、つくってもらえないの」

 ダニエルみたいなお金持ちは、好きなものを、好きなだけ食べられると思っていたネイシャとピエトだった。ダニエルは苦笑して、首を振った。

 「僕は、ずっと病気だったから、好きなものとか、なかった。アレルギーはないみたいだけど、パパがすごく気を遣っていて――あまりかわったものは食べさせてもらえなかったし――お菓子も制限されていたし――パスタも、消化にいいように、どろどろに煮込んだトマトスープにはいったのしか、食べたことがないんです」

 ダニエルは、カルボナーラを、感慨深く見つめて言った。こんなおいしいものを食べたことがないという顔だった。

 「僕が、オムライスを食べたと聞いて、帰ったら夕食にオムライスが出てきたんですが、ルナさんがつくったオムライスのほうが美味しかったです」

 「……!」

 ルナのうさ耳がぴょこたんと跳ね――幸せそうにぺったり、垂れた。

 「えへ……よかったです」

 

 「ダニー、ここにいるあいだに、いっぱいいろんなものを食えよ」

 アズラエルがダニエルの頭を撫でた。

ムスタファは、ダニエルのすべてを、全面的に、「ルナにまかせる」と言った。食事制限もないし、この屋敷では、皆と同じものを食べ、同じ生活をするようにと。

心配がちなイーヴォは、いつも飲んでいる野菜ジュースもひと箱持たせてきたが、ムスタファは、それも必要ないと最初は言った。

 

 「ハンバーグとか、バリバリ鳥のシチューとか! からあげとか、カレーとか! えーっと、生姜焼きに、ギョウザ!!」

 「バリバリ鳥ってなに? おいしそう!」

 ピエトが言うのに、ダニエルは顔を輝かせた。

 「ラークのシチューもうまいよ! じゃがいものグラタンとか」

 ネイシャも負けじと便乗し、ジュリは「ハンバーグ食べたい!」と叫び、ミシェルも言った。

 「鮭の料理、さいきん食ってないよ〜。鮭のムニエルとか、クリームシチューとか、そうそう、鮭のクリームパスタも最高よ?」

 みんながダニエルにお勧めするメニューで、一ヶ月のメニューが埋まりそうだった。

 「おいしそうなものばっかり――ぼく、ぜんぶ食べたいです!」

 

 ダニエルは、終始はしゃいでいて、はしゃぎすぎてよろめくこともあったが、倒れなかった。

ピエトといっしょにお風呂に入り、子どもだけでゼランチンジャーのDVDを見たり、カードゲームをしたりした。

すぐに就寝時間の九時が来たが、ダニエルは、「まだ寝たくない」と駄々をこねた。しかし、あまりに顔が赤くなってきたので、アズラエルが抱きかかえて部屋に連れて行った。

その日、ダニエルは、ルーム・シェア初日だったので、さみしくないようにと、ピエトとネイシャがいっしょに寝たが、次の日からは、いっしょに寝ることは許されなかった。

もしピエトが風邪を引いたりでもしたら、すぐダニエルにうつるからだ。ピエトは抵抗力があるから、軽い風邪で済んでも、ダニエルは重症になることがある。

 

ルナは、『病気の人がひとりいるというのは、カンタンなことではないのよ』という母親の言葉を実感することになった。

初日の興奮がいけなかったのかもしれない――ダニエルは、次の日、高熱を出した。

それから、ルナの怒涛の看病生活がはじまった。

 とにかく、ダニエルは、一日じゅう寝っぱなしだった。長く起きていることすら、困難だった。

ルナは、ダニエルから目を離せなくなった。

放っておけば、トイレに出たときに、廊下で倒れていることもあるからである。

 

イーヴォから言い含められた通り、きちんと薬を三度が三度、飲ませて――それは、ピエトのときからやっていたことだったので、負担はなかったが、アバド病がひどかったときのピエトより、ダニエルは手がかかった。

 ルナは、うさこに頼んで、「うさこたん+」をしてもらって、イシュメルのよみがえりの魔法を食事に混ぜ込んでもらえないか、ZOOカードをめのまえにして頼んだのだが、そういうときにかぎって、うさこは出てこない。

 イシュメルも無反応だ。

 ルナは分かっていたので、あきらめて、ふつうに看病することにした。

 

 最初の二週間は大変だった。

環境が変わったせいもあるだろう。ダニエルの熱は、上がったり下がったりをくりかえした。それも、極端に高熱を出す。ルナは、ダニエルの看病以外のことを、ほとんどできなかった。

それでも、ダニエルは、「うちに帰りたい」とか、「パパやイーヴォに会いたい」とは、一度も言わなかった。

 

ルナは、ピエトを引き取った初期のころのように、毎日ムスタファ邸へ連絡をしていたが、イーヴォのほうが、ダニエルが心配で、いてもたってもいられないようだった。

だが、ムスタファからきつく言い含められていたらしい。ルナたちに任せるといったのだから、決して口出しはせず、ダニエルが「帰りたい」と言ったとき以外は、会うこともしてはならないと――。

 

 レオナとセシルが屋敷の掃除やら、こまごまとしたことをぜんぶやってくれて、ルナはほんとうに助かった。ルナは、ダニエルの看病以外のことを、ほとんどできなかったからだ。

バーガスも、ダニエルの口内が荒れて、まともな食事をとれないときは、どろどろのサプリ入りオートミールではなく、美味しいリゾットを作ってくれた。

 いつもそばにいてくれるルナを、熱にうなされた頭では、勘違いするのだろう。

「ママ、ママ」とルナの手をにぎって離さないダニエルを、放っておけなかった。

 

 「ルナの母性がマックスにさしかかってるわ〜」

 呑気に言うミシェルも、真砂名神社で病気平癒のお守りや、ダニエルの好きな美味しいプリンを買ってきたり、ルナと交代で、一日、そばにいてくれたときもあった。

 真夜中、ダニエルの熱が急激に上がり、彼の主治医を呼びつけたことも二、三度ではない。ルナは、夜もほとんど眠れなかった。

 

ルナは、ミシェルがダニエルのそばにいてくれた日、久々に昼寝をした。

 ひさしぶりにぐったりと、自分のベッドで眠り――また、あの夢を見た。

 大ぐまと、こぐまの夢を。

 

 はっとして飛び起きた。

 ダニエルの介護に必死で、このところ、ZOOカードのことも、夢のことも、まともに考えていなかった。

 (うさこ?)

 ルナはあわてて、クローゼットからZOOカードボックスを出してみたが、まったく様子は変わらなかった。

 

 



*|| BACK || TOP || NEXT ||*