「不治の病ィ?」

 ナキジンは、怪訝な顔でダニエルを見、

 「どう考えても、健康そうな、いいとこの坊ちゃんじゃが?」

 ルナは、拍子抜けした。

 「じゃあ、階段を上がっても、問題はない?」

 「問題どころか!」

 「うわあ! 綺麗な石の階段ですね!」

 ルナとアズラエルがあわてるのをしり目に、ダニエルは階段を駆け上がっていった。

 「ああっ! ちょ、ダニー!」

 「競争です! アズラエルより早く上がるぞ!!」

 

 ナキジンは、ダニエルの姿をまぶしげに仰ぎ見ながら、言った。

 「徳にあふれた子じゃよ。将来は、なにか大きなことをしでかすぞ」

 「ええっ!?」

 「病の影なんぞ、みじんもないがのう……」

 二人の心配をよそに、足取りも軽やかに階段を駆けあがっていく、ダニエルの姿があった。

 ルナは予想が外れて、あっけにとられてダニエルを見つめ――「ちょ、ちょっと待ってダニー!」とあわてて追った。

 あっという間に頂上の拝殿についたダニエルより、ルナのほうがよほど運動不足だった。

 「アズラエルが二位! ぼくが一位!」

 「ひぎ、ふぎ、……」

 「ママ! がんばれ!!」

 まさか、ダニエルに応援されるとは思ってもみなかったルナだった。

 

 拝殿でお参りを済ませ、ルナはなんだか煮え切らない気持ちを抱えながら、川沿いを散歩した――イシュマールとミシェルは、今日は川原で絵を描いていなかった。

ミシェルとイシュマールがいたなら誘おうとしていたのだが、それもいなくて拍子抜けで、三人は、裏通りのステーキ店に向かった。ルナがセルゲイに連れて行ってもらったところだ。

ダニエルは、二百グラムのヒレ・ステーキをぺろりと平らげ、さすがにアズラエルをも驚かせた。パンにスープ、前菜も――のこさず、全部食べた。

 「おまえもう、病気なおっただろ!?」

 「僕も、そう思います」

 けろりとした顔で、ダニエルは言った。

 

 あっというまに月日は過ぎた。

ルナは、まだあの夢を見続けていた。

「うさこ、ダニーはもう、良くなったよ!」

ルナはZOOカードボックスに向かってそう言ったが、うさこは、出てこない。

夢は、毎夜見続けた。

なぞは、まだ解けていないのだろうか。

ルナはさすがにうんざりした。

(なにがあるっていうのうさこ? あの夢に?)

 

ダニエルは、勉強の遅れもすっかり取りもどした。まだ学校には行けずとも、屋敷には、勉強を教えてあげられるたくさんのおとながいたからだ。

 クラウドにエーリヒ、セルゲイ……ジュリまでもが、ダニエル専門の、算数の教師になったことを知ったグレンは、「あのジュリが、ひとに教えられるまでに成長したとは……」と感動していた。

 

 ある日、ダニエルのために学習ドリルを買って帰宅したルナは、ダニエルの姿が見えないので、

 「え? あれ? ダニー?」

 と、あちこち探し回った。

 

 「心配いらないよ、ママ。セルゲイと出かけたんだよ」

 レオナが笑って言った。

 「セルゲイと?」

 最近、ダニエルはルナをはばかりもなく「ママ」と呼ぶようになった。だれも止めない。ピエトすらもだ。

 ルナとアズラエルのベッドには、息子がふたり、潜り込んでくることが多くなった。

 

 「セルゲイと――どこに?」

 「ただいま」

 セルゲイが、ダニエルと一緒に帰ってきた。なんだか、ダニエルの表情が、おかしい。

 「おかえり――どうしたの、ダニー」

 ルナが聞くと、「ママ」とダニエルは、思いつめた顔で言った。

 

 「僕は、病気に見えますか?」

 「え?」

 

 今のダニエルを見て、病気だという人間は、いないだろう。青白かった頬は子どもらしい健康さを取りもどし、身長もちょっぴり伸びたし、体重は格段に増えた。

 ルナは、やっと、ダニエルのZOOカードが「クマ」だということを、実感してきたのである。

 ダニエルは骨格が大きいので、確実にピエトやネイシャより大きくなる、とセルゲイは言った――そのとおりになりつつあった。

 最近は、ピエトが、ダニエルに身長を越されやしないか、ヒヤヒヤしている。

 

 「セルゲイ、いったいどこに行ってきたの」

 「病院だよ、中央区の」

 セルゲイはジャケットを脱いで、ソファに放り投げた。

 「立派な主治医先生がついてるのにかい?」

 レオナも言ったが、セルゲイは、「難病だというなら、セカンド・オピニオンがあってもいいだろう?」と彼にしては、柔らかくない口調で言った。

 

 「セカンド・オピニオンも、サード・オピニオンも、ありました」

 ダニエルはおずおずと、言った。

 「でも、彼らにも、僕の病気の正体は分からなかった」

 

 「で、診断結果はどうだったんだい」

 レオナがきくと、ダニエルは沈んだ顔を見せた。

 「……中央区の先生にも、僕の病気の正体は分からなかった」

 「というより、どこも悪くないって」

 セルゲイが付け加え、レオナが鼻息を吹いた。

 「だったらよかったんじゃないか。病気は治ったんだろ?」

 「……」

 なにか言いたげなセルゲイを、ダニエルも見た。

 微妙な空気になってしまったのをまぜっかえすように、おやつがあるよ、とレオナはダニエルをキッチンに連れて行く。

ルナは、セルゲイの隣に座った。

 「セルゲイ、なにか、気になることがある?」

 「うん……でも、確信できるまでは、不確かなことは言えない」

 セルゲイもルナと同様だった。

――なにかがおかしい。

けれども、その正体が、わからないのだった。

 



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