そのときだった。 シャイン・システムの扉が、ふたたび開いた。 さらに押し込むようにして、警察手帳をかざした役員たちが、駆け込んできた。 「イーヴォ・Z・“スカルトン”、ダニエル氏殺害未遂で、逮捕する!」 手錠が掛けられたのは、老人の手だった。 「イーヴォ……?」 ムスタファは、信じられない顔で、執事を見つめた。 「い、いったいなにが起こっている? イーヴォ、おまえ……」 「だんなさま」 老人は、全く抵抗しなかった。警察に連行されていく間際、イーヴォは、何の表情もない顔で、ムスタファを見つめた。 「ダニエルさまは、お見限りくださいませ」 「――!?」 ダニエルは直ちに病院に搬送され、熱さましではなく、有害物質除去の手術を受けることになった。 イーヴォ老人は、警察署で、あっけなく自白した。 その自白の内容と、混乱を極めたムスタファが、かけつけたクラウドから受けた説明の内容は、だいたい合っていた。 ダニエルは、三歳のころから、イーヴォとその主治医によって、毒を盛られつづけていたのだ。 病を治すための薬は、じつは毒だった――。 イーヴォが、ダニエルに、致死量には至らぬ毒を盛り続け、いずれ衰弱死させるつもりであったことを知ったムスタファは、頭を抱えた。 「イーヴォは、わたしの幼いころからの世話役だったのだぞ……!」 ムスタファは、イーヴォに全幅の信頼を置いていた。 そしてイーヴォも、ムスタファのためだったと告白した。 「もともと、ムスタファさまは、子どもをつくりにくいおからだでありました」 まったく無理だというわけではないが、ほぼ九十パーセント、子をなすことはできないだろう――それは、ムスタファが若いころに分かった。先天的なものだった。 「ですから、ムスタファさまはお若いころ、ずいぶん奔放でありましたし、わたしたちも目こぼししておりました。お子をなすことができないお身体、間違いはないだろうと」 けれども、その残り十パーセントの確率が、実ってしまった。ムスタファが手を付けた女が、ムスタファの子を身ごもったのだ。 「ダニエルさまの母は、ろくでもない女です。とてもではないが、ムスタファさまの妻として迎えられるような方ではありません」 ムスタファも、それはみとめた。ダニエルの母親は、金目当てにムスタファと寝た。そこには愛もない、ビジネスすらない、身体だけの関係だった。彼女はムスタファとの結婚を、一度は望んだ。それは、離婚の際、多額の慰謝料をせしめるためである。 ムスタファは、自分の血がつながった子ども欲しさに、彼女の希望をかなえた。 彼女は金目当てにムスタファと結婚し、ダニエルを生み、離婚した。 「わたしは、ダニーを、金で買ったようなものだ……」 ムスタファは、ぽつりと言った。 ムスタファが嘆いた罪とは、そのことだったのだろうか。 「女は、慰謝料をたっぷりもらったあと、たった三年で、金を使い果たし、ムスタファさまに金をせびりに来ました……!」 憎々し気にイーヴォは言った。 「ダニーが毒を盛られ始めたのは三歳――三年後――」 ムスタファは、思い出したように、つぶやいた。 「そうだ。ミメルが、ふたたび、わたしのもとに現れたあとだ」 ダニエルの母ミメルに、また法外な金額を渡したあと、彼女の消息は途絶えた。 「――まさか」 ムスタファは、とんでもない想像に行きついて、うろたえた。 ムスタファの想像は当たっていた。 「ミメルという女は、わたしが殺しました」 老人は、ふたたび驚愕の告白をした。 「わたしは、ムスタファさまに、すぐ別の妻を迎えていただきたかった……!」 悲壮に言った。 「ですが、ムスタファさまは、あの忌々しい女の息子を、跡取りとまで……」 ダニエルさまが成人し、ムスタファさまの後を継いだならば、あの金の亡者が、今度はダニエルさまを揺するにちがいない。 老人の手は、わなわなと震えていた。 ほとんど、正気をなくした顔つきだった。 「ダニエルさまにも、消えていただかねばなりません! ……ムスタファさまに、きちんとした奥方を迎えていただくためには、」 ですから、わたしは、ダニエルさまをお見限りしたのです……! 老人は、泣いて伏せた。 すべては、イーヴォ老人の策略であった。 彼の親戚であるスカルトン家のダヴリン製薬を通じ、主治医はそこから選んだ。 セカンド・オピニオンもサード・オピニオンも、四番目も五番目も、すべて同じところからの紹介。 医者も、みんなグルだったわけである。 イーヴォを信頼していたムスタファは、疑うこともしなかった。 調査が進み、もっと驚愕の事実があきらかになった。 フローレンスの父エーディトが、ミメルの死体を処理したことが、イーヴォの供述により発覚した――彼は、ミメルの殺害に関しても、ダニエルの件にしても、イーヴォ老人に協力していたという、事実だ。 ダニエルが死んだ場合の保険金の一部が、彼にはいるように、証書が用意されていたことを知ったムスタファは激怒した。 エーディトは、「われわれは、ダニエルを殺すつもりはなかった」と主張したが、証書はすべての罪をあきらかにした。 イーヴォ老人に加え、ムスタファ邸からは医者が一斉に消え、料理人まで事情聴取のために連行された。 セルゲイがくすねた薬からは、けっこうな量の有害物質が検出されたのだ。 その後の調査によって、ダニエルがあの夜熱を出した原因は、薬だけではなく、食事にも含まれていた毒であったことが発覚した。 イーヴォ老人は、ひさしぶりであったために、毒の量をまちがえたのだ。 「なんてことだ……」 鳥かごに入れられ、触れるのは黒ヤギばかりだった子グマ。発覚するわけもなかった。ぜんぶ、黒ヤギの手の内だったのだ。 医者の施術は間に合い、ダニエルの命は、たすかった。 ほんとうに、あぶないところだった。 ムスタファは、多忙のために、イーヴォに任せきりにしていた自分を責め、涙ながらにダニエルに謝った。 一週間で、ダニエルは全快した。 もう彼に、毒を盛る者はいない。 ――ルナは、やっと、夢を見なくなった。 |