「イーヴォも、苦しんでいたと思います」

二週間後、K15区の宇宙船の搭乗口――ルナたちの屋敷にいたころと同じく、健康体にもどったダニエルは、あろうことか、ピエトの身長を越していた――1センチだけ。それでもネイシャよりはちいさかったが、ダニエルはまた、大きくなった。

身体も――心も。

 

「イーヴォは、僕の顔を見るたび悲しそうにすることがありました。ぼくの病気がなかなか治らないためだと思っていた。でもあれは、きっと、自分を責めていたんですね」

「……」

「夜中、イーヴォが泣いているのを、ぼくは見たことがあります。僕が、なんで泣いているのと声をかけると、イーヴォは、『申し訳ありません』と言って、さらに泣くんです」

ダニエルは、みんなからもらった花束に、顔を埋めた。

「イーヴォは、たしかにぼくのことも愛してくれていました。イーヴォが僕を殺そうとしていたなんて、僕はきっと、一生信じることができません」

 

ルナもそうだと思った。だって、ダニエルの病気が治ったときの、イーヴォの喜びは、――本当の笑顔だったと思う。

あれがウソだとは、ルナは到底思えなかった。

 

「僕のママが、イーヴォに殺されたというのに、ぼくは、イーヴォを憎めないんです」

しずかに、ダニエルはルナに告げた。

「ずっとずっと、焦がれていたママでした。もういないとわかったときはショックでしたが――イーヴォがいなくなることのほうが、僕はつらい」

 

イーヴォは、心を引き裂かれていたのかもしれないとダニエルは言った。

ダニエルの母を手にかけ、ダニエルをも殺害しようと、毒薬を盛り続けていたイーヴォ。

ムスタファをだまし、ダニエルをだまし、自分すらも、おそらく欺いていた。

ルナは、ダニエルにこそ言わなかったが、イーヴォが心神喪失のため、もはやまともに調書もとれない状態にあることを、クラウドから聞かされていた。

高齢もあり、すでに言葉も不明瞭で――病院に搬送されている。

 

ルナが見たイーヴォのZOOカードは、ダニエルが言ったとおり、引き裂かれていた。

先日、やっと出てきたジャータカの黒ウサギは、痛ましい目で、カードを見つめた。

『……心が引き裂かれると、こうなるの』

彼女が出てこなかった理由は、なんとか、イーヴォのZOOカードに、毒を盛るのをやめさせようとがんばっていたからだった。

しかしダメだった。

イーヴォのZOOカード、「忠実な黒ヤギ」は、もう、あともどりはできないと、涙ながらに告げた――イーヴォが逮捕されたその日、カードは引き裂かれたのだった。

 

ダニエルはもはや、イーヴォに会うことは、ないだろう。

父よりも、母よりも、だれよりも近くにいて、ダニエルを慈しんだ執事は、もういない。

たしかに彼は、ダニエルを愛し、慈しんだのだ。

そうでなければ、ダニエルが、これほどまでに気高く、強く、ルナたちも驚くほど、ひとの心をおもんばかる子どもに、育つはずはなかった。

 

「イーヴォは、ぼくの、たいせつな育ての親です」

ダニエルは、涙した。だが、そこには、信じられたものに裏切られて絶望した顔は、なかった。ダニエルの強靭さは、病と闘い続けてきた日々が証明していた。彼は、これからも、何度となく裏切られ、悲しみに直面するだろうが、そのたびにきっと、強靭さを増していく。

「そう、信じます」

ルナは、ダニエルを抱きしめた。

 

「ぼくの偉大なる父は、ムスタファです」

ダニエルは、言った。

「でも、アズラエルとルナさんを、宇宙船の父と母だと、思ってもいいですか……?」

アズラエルとルナは、否定しなかった。

ルナは「もちろん!」と言い、アズラエルも、「ああ」と笑った。

ダニエルは、ふたりに向かって飛びつき、今度こそ、声をあげて泣いた。

ムスタファは、ふたりに抱きしめられるダニエルを、あたたかい目で見つめた。

 

『L系惑星群L80いきのL355便、搭乗ゲートが開きました』

 

何回聞いたかしれない、アナウンスが鳴る。

 

「俺たち、ずっと、ともだちだ」

「いつかきっと、また会えるよね」

ダニエルは、ピエトとネイシャと、固く握手を交わした。

「うん――ピエトとネイシャは、一生のともだちだ」

 

「君たちと出会えてほんとうによかった」

ムスタファも、見送りに来た皆と握手を交わした。

「この宇宙船は、奇跡を起こす場所だ――ほんとうに、そうだった」

 

ダニエルは、屋敷の皆に見送られながら、担当役員やムスタファとともに、回廊を歩いた。

何度も、何度も振り返りながら――。

 

(元気で、ダニー)

不思議とルナは、涙が出なかった。

別れの悲しみより、うれしさが上回るのは、ダニエルがこれから進んでいく未来に、希望しかないから。

ルナはいつまでも手を振った。ミシェルやピエト、ネイシャたちと一緒に。

 

(また、会う日まで)

 

 



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