百七十八話 裏切られた探偵 Ⅰ



 

「ぷぎゃっ!!」

ルナは悲鳴を上げて飛び起きた。

(――リサ?)

アズラエルはいなかった。もう起きて、朝食の支度をしているのだろう。今朝は、セシルとアズラエルが当番だ。

間違いない。さっきの夢の母親は、リサだった。

あれは、ルナが、今の「ルナ」として生まれる直前の、前世の夢だ。

(リサ?)

ルナは、なんとなく、リサが心配になった。

 

 

 

 「エーディト・V・スカルトン、逮捕」

 クラウドは、新聞の一面をかざった大スキャンダルに、感服のため息を吐いた。

 「スカルトン・グループの株価は、大暴落――アンジェのいったとおりになったな」

 

逮捕の直接の原因となったのは、およそ九年前の、ミメル・B・サバンナという女性の殺害容疑である。

 エーディトと並んで公開されているイーヴォ老人の顔写真を見て、クラウドはダニエルとムスタファの心中を想った。イーヴォ老人は、ムスタファの教育者でもあったのだ――彼のちいさなころから、陰ひなたに支えてきた執事。

 殺されたミメルという女の素性も、たいそうなものだった。ほとんど詐欺師だ。

 ムスタファが交際していた中でも一番たちの悪い女が、あろうことか、身ごもってしまった。運の悪い確率としか言いようがない。

 ムスタファとても、いつまでも彼女に金を渡す気はなく、二度目の金は正式な手切れ金で、これ以上の催促があれば、こちらとしても考えると、ミメルに告げた。

 ミメルもおそらくは、三度目はなかっただろう。だが、彼女は、二度目にもらった大金は、いっさいつかうことなくこの世を去った。

九年前、多額の預金を残して、彼女は行方不明になった。骨すらのこさず遺体処理されていた――おそらくイーヴォの証言によって、証拠は出そろったのだろう。

 

 逮捕がきっかけで、エーディトは、マフィアとの裏取引、マネー・ロンダリング、数えきれない贈収賄などの余罪があふれ出て、裁判へ持ち込まれた。

 エーディトだけではなく、会社の重役も幾人か、手錠をかけられた。

大スキャンダルによって、スカルトン・グループの株価は暴落した。

 

 当然、セプテントリオが買収した、ヒューストン航空、ダヴリン・システムズにも監査の手が伸び、重役数名の姿が消えたが、社員たちは、ほっと胸をなでおろした。――会社自体は存続し、職を失わずにすんだからである。

 

 「……なんてことだ。ウィルキンソンには、いいとこどりじゃないか」

 クラウドは、新聞を見つめつつ、うなった。

 

 今回の騒動で、システムインテグレータ業界の最先端であった、ダヴリン・システムズの技術をそっくりそのまま手に入れることができた。

おまけに、ヒューストン航空をも、ウィルキンソンは手に入れた。

セプテントリオから、倍の価格で買収したのだが――このことも、意味のないことではない。

 

 『セプテントリオ』は、パーヴェルとアロンゾが提携してつくった、れっきとした人材派遣サービス業の会社で、法人登記されている。

 ヴォバール財団では、「セプテントリオ」、ウィルキンソン財閥では、「セプテントリオ・ホールディングス」だが、業種的には同じ。

 アンナのすすめによってつくった会社が、千年たって、ルナたちへのメッセージになるとは、パーヴェルたちも思っていなかったに違いない。

 

 アンナの指示通り、『セプテントリオ』の名義で、ヴォバール財団のタキが売却したヒューストン航空を、ウィルキンソンがふたたび買収する――もともと、ヴォバール財団には、不要の会社である。アンナの予言書にしたがって、ウィルキンソンに依頼され、買収したに過ぎない。けれども、いったんヴォバール財団が買収したことによって、かの財団には、倍の金が入ることになった。

 

 ウィルキンソン側のセプテントリオ・ホールディングスが二社とも一気に買収していれば、裏を探られたかもしれない――L85の窓口であるヒューストン航空は、ヴォバール財団にとって不要のものではあったが、『セプテントリオ』は名義上、鉱山労働者をおおく招き入れる傭兵仲介業だ。鉱山採掘が主な産業となっているL85の空港を買収するのに不自然はない。

 ひと手間はあったが、ヴォバール財団にとっても、巨額の利益があるいい話だった。

 スカルトン・グループの大スキャンダルのおかげで、ウィルキンソンがヒューストン航空を手に入れたという記事は、ほんのささいなものとなった。

 

 そこまでして、ウィルキンソンがヒューストン航空を買いとったのにもわけがある。

 

 ヒューストン航空は、L85の窓口ともいえる空港であり、すなわち、L85の物資供給の拠点であった。

 ウィルキンソンは、かねてから、L85の巨大企業である「バージャ石油」とつながりを持ちたかったが、L85の運輸流通を支配しているのは「スカルトン・グループ」で、かならず、スカルトン・グループを経由してでないと、「バージャ石油」とは、接触できない、暗黙の了解があった。

 「スカルトン・グループ」と「バージャ石油」は、L85の二大巨頭である。

 いままでは、どちらかというと、スカルトン・グループのほうが規模は大きかった。

 スカルトン・グループは、ウィルキンソンとつながりを持ちたがっていたが、ウィルキンソンが親しくしていきたいのは、「バージャ石油」のムスタファ・D・バージャであったのだ。

 スカルトン・グループが没落し、L85の運輸の要であるヒューストン航空が手に入ったということは、ムスタファの「バージャ石油」と、直接取引をする権利ができたようなものだった。

 ムスタファにとっても、L5系の最大規模の大会社であるウィルキンソン財閥と縁ができる――スカルトン・グループをあいだに通さず――利のある話にちがいない。

 

 一連の事件がなければ、ヒューストン航空もダヴリン・システムズも、エーディトが買い戻していただろう――いきなりの買収に、裁判沙汰にもなっていたかもしれない。けれども、アンナは予言していた。

 エーディトの逮捕と、スカルトン・グループの崩壊を――。

 

 「こりゃあ……参った」

 

 クラウドもさすがに感服した。アンナの予言の正確さと、社会状況を見極める目の、正確さにである。

 予言師という者は、だいたいが、予言だけに頼って世間知らずなものだが、アンナはちがう。

稀代の経営者であるルーシーとともにあり、彼女の死後も、あのウィルキンソンをここまで大きな組織にしたパーヴェルと、それからルーシーの会社を継いだビアード、マフィアでありながらも、有能な経営能力を持ったアロンゾの相談役として活躍してきたわけである。

 アンナの生まれ変わりであるアンジェリカも、サルディオネという地位にありながら、その地位にあぐらをかくこともなく、勤勉であり、自身の足で東奔西走して学ぶため、あの若さでじつに経験豊かである。

 ララが、相談役としてそばにおくのも、予言やZOOカードのためだけではないのだろう。

 

 小さな記事ではあるが、おそらくスカルトン・グループの関連会社は、ほぼバラグラーダ興産の傘下にはいるだろうという、経済学者の予想が書かれていた。クラウドも、おそらくそうだろうと思った。

 

 「バラグラーダ興産? バージャ石油じゃなくて?」

 ミシェルが、さっぱりわからないという顔で、新聞をのぞき込んだ。クラウドは、言った。

「ムスタファの会社は、『バージャ石油』がメイン事業なんだけど、バラグラーダ興産のほうは、鉱山のほうを管理しているんだ」

 

 「ばらぐらーだこうさん?」

 ルナは思い出して、うさ耳をぴょこん! と立てた。

 「そう。バラグラーダ興産。そのなかでもバラグラーダ・コミュニケーションズは、L85の原住民の待遇改善と、教育のためにつくられた会社で、原住民がいける学校や、宿舎を経営してる。メディカル・バラグラーダ・ヘルスケアは、アバド病の最先端研究所だ」

 

 ルナは、すっかり思い出した。

 ピエトと初めて会った日、ピエトが倒れて病院で治療を受けているあいだ、タケルから聞いた――「バラグラーダ社」が、L85の原住民の待遇改善に取り組んでいる話を。

 

 『ピエト君が住んでいた鉱山は、バラグラーダ社が管理する管轄で、比較的良心的な居住区でした。

バラグラーダ社は、原住民にもきちんと規定の給料を払いますし、過剰労働をさせたり、暴力で支配したりはしていません。労働基準法を守っています。

原住民用の学校もありますし、住居も社の寮を提供しています。だから、バラグラーダ社の管轄区域は、ラグバダ族をはじめ、原住民が地球人に対して風当たりがそう強くないんです』

 

まさか、ダニエルの父、ムスタファが経営していた会社だったとは。

アズラエルは、「バラグラーダ社って、聞いたことあるぞ」としきりに首をかしげていたが、あのときは、思い出せなかったのだ。

「たぶん、バージャ石油っていえば、ああ、親父さんの会社、って分かったかもしれないけど、バラグラーダ興産って名前は、あまり聞かなかっただろうから」

クラウドは苦笑した。

「俺が行ってた学校って、ダニーの父ちゃんがつくったんだ……」

ピエトもいつのまにかそばに来ていて、クラウドから新聞を受け取り、真剣に記事を読んでいた。

 

「ともかく、ウィルキンソンにとっても、ムスタファの会社にとっても、いいことずくめってことだな」

 

クラウドはそう言ったが、経済のよくわからない話にすっかり飽きたミシェルは、いつのまにかルナと、K19区の遊園地の話をしていた。

「女王の城」にいた魚の着ぐるみは、けっして、鮭の切り身ではなかったという話だ。

「じゃああれ、なんだったの」

「たぶん、たぶんね――サバ――だと思う」

「さば!!」

女の子二人は、サバの味噌煮をつくるという結論に達し、サバについての激論を交わしながら、席を立った。

「……女と男の、永遠に埋められないミゾって、こういうことなんだろうな……」

つぶやくクラウドの肩を、生ぬるい笑みのバーガスが、ぽん、と叩いて去っていった。

 



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