ニックの言葉は正解だ。 アズラエルは、自分がアストロスの兄神とシンクロできない理由も知っていた。いいや――シンクロはおそらくできるのだ、している――といっていい。 シンクロするがゆえに、ますます増幅される恐怖。 アズラエルだけではない。 アストロスの兄神も怯えている。 アズラエルのすべての前世が怯えている。 ――ルナをその手にかけてしまわないか、ということを。 「それは、たしかか」 ペリドットは、アストロス到着目前になって、任務から降りると言いだしたアズラエルを、怒るでもなく、しずかな双眸で見つめた。 この男は、普段はいいかげんなくせに、いきなりひとを見透かすような目をする。 「たしかだ。……おまえだって、分かってるんだろう。俺もそうだが、アストロスの兄神が怯えてるってことも」 「……」 なにに? ラグ・ヴァーダの武神にではない。 ルナを、その手にかけてしまうことだ。 「俺は――俺は、信じたくはねえが、ずっと、ルナを――この手で、」 「アズラエル、」 「俺が、おまえたちの計画を台無しにしないと、どうやったら思える? 俺が、なにかのまちがいで、またルナを手にかけてしまったら?」 すべては、水の泡だ。 アズラエルに、表情はなかった。すべてを閉じ込めた、なにもない表情だった。 それがペリドットには、あまりにも悲痛に感じられた。 「アントニオに聞いたところによると、この計画では、グレンひとりでも、メルヴァは倒せる」 「ああ、そうだ」 それは間違いがなかった。なんのためにそういう計画にしてきたのか。アズラエルも分かっているようだった。 「俺を、任務から外したほうがいい」 「……」 ペリドットは返事をしなかった。 「それで、お前はどうする気だ」 「しばらく、ルナから離れる」 「離れる?」 「……別の任務に着く。ボディガードだ。俺はL系惑星群にもどる」 「このまま、地球には行かないということだな?」 「そうだ。……俺がいま、ルナのそばにいるのは危ない」 「ルナに対して明確な殺意が?」 「そんなものはねえ。思ったことも、ねえよ」 そうだった。でも、怯えている。アズラエルのすべてが。ルナを傷つけることを。 ラグ・ヴァーダの武神との戦いで、アズラエルは剣を持つ。 まかりまちがって、ルナを傷つけるようなことにでもなったら。 「アズラエル」 ペリドットは、静かな声で言った。 「おまえがそうしたほうがいいというなら、そうしたほうがいい。――だが、」 背を向けたアズラエルに、ペリドットの言葉が染みた。 「俺は、おまえを疑ったことは一度もない」 アズラエルは、不覚にも涙が出るところだった。だまって、遊園地をあとにした。 屋敷にもどったアズラエルは、感慨深い気持ちで、屋敷のリビングをながめた。 (ふたたび、ここに帰ってくることは、できるか?) ドローレスに、「ルナをください」と、はっきり言えなかったことを、心のどこかで安心していた。アズラエルの迷いを、ドローレスも見抜いていたかもしれない。 しかし、ドローレスは、アズラエルに言った。 「ルナを頼む」と。 アズラエルは、決意して、こぶしを握り締めた。 「おかえり、アズ!」 部屋にもどると、ルナがいた。 あいかわらず、ZOOカードをならべて、似合わない小難しい顔をして。 でも、アズラエルを見ると、ほころぶような笑顔を見せる。 アズラエルは笑おうとして、失敗した。 もう、この笑顔が見れなくなる。アホ面をつつくこともできなくなる。 しばらくだと――ほんのしばらくの別れだと、どうしてそう、言い切れる? 「ルナ」 アズラエルの口から出た言葉は、とんでもない言葉だった。 「別れよう」 ルナの顔が凍り付いた。 (わかっている) こんな顔をさせたいのではない。別れようなどと、言う気はなかった。だが、自分は別れを欲している。 運命から? いや、ルナを、この手にかけてしまうことからだ。 あんな絶望は、もうたくさんだ。 「……あじゅ?」 ルナは一瞬、すべての表情をなくし、それから、無理に笑みをつくった。 「すまん……言い方をまちがえた」 アズラエルは、顔をぬぐった。それから、ふかく、深呼吸をし、ルナの手を取ってソファに座った。 「ルナ、――俺は、最初の予定通り、ミシェルのボディガードとして、宇宙船を降りる。つまり、メルヴァ討伐の任務には、参加しねえし、今回のツアーでは地球に行けない」 ルナはこくりと唾をのみ、信じられない顔をした。 「――どうして?」 「おまえは不安じゃなかったのか」 ルナは、アズラエルがなにを言っているのか、ほんとうに分からないようだった。これが、ひとと神の差なのだろうか。 ルナは強靭だ。自分では、まったく気づかないだろうが、彼女は強靭だ。 「俺に、殺されるかもしれないとは、考えなかったのか」 「――!」 ルナの目から、みるみる、涙があふれ出た。ルナは慌てて、袖で涙をぬぐった。 「ち、ちがうの! 怖くて、怖くて、泣いてるんじゃないの!」 「ルナ、」 「……なんで? どうして? 終わったってゆったよ?」 ルナは、アズラエルの分厚い手を、両手で握った。 「みんなおわったの! アズ、みんな――」 「俺は、そうは思えねえ」 アズラエルの手は震えていた。ルナは、驚き、それから、必死で――まるですがるかのように、震えるその手をにぎりかえした。だが、アズラエルの震えは止まらない。 「俺は――怖いよ」 しずかに、彼は言った。 「また、おまえを、手にかけてしまうかもしれないことが」 「アズ、」 「だが信じてくれ。俺は――おまえを、殺したいと思ったことなんて、ほんとうに、一度もないんだ」 今世は。そうだった。誓える。 「アズ――」 ルナは泣きながら言った。 「信じてるよ。あたし、信じてるよ?」 「俺が、俺自身を、信じられない」 ルナはその言葉に驚愕した。アズラエルは、ゆっくり、ルナの手を、自分の手から離した。そして、ルナの額にキスをした。 「ルナ――しばらくの別れだ。納得してくれ。すべてが終わったら、迎えに来る」 「……」 ルナはなにも言えなかった。 「ピエトを呼んでくれ」 |