百八十話 サヨナラ



 

 ニックの言葉は正解だ。

 アズラエルは、自分がアストロスの兄神とシンクロできない理由も知っていた。いいや――シンクロはおそらくできるのだ、している――といっていい。

 シンクロするがゆえに、ますます増幅される恐怖。

 アズラエルだけではない。

 アストロスの兄神も怯えている。

 アズラエルのすべての前世が怯えている。

 

 ――ルナをその手にかけてしまわないか、ということを。

 

 「それは、たしかか」

 ペリドットは、アストロス到着目前になって、任務から降りると言いだしたアズラエルを、怒るでもなく、しずかな双眸で見つめた。

 この男は、普段はいいかげんなくせに、いきなりひとを見透かすような目をする。

 「たしかだ。……おまえだって、分かってるんだろう。俺もそうだが、アストロスの兄神が怯えてるってことも」

 「……」

 

 なにに? ラグ・ヴァーダの武神にではない。

 ルナを、その手にかけてしまうことだ。

 

 「俺は――俺は、信じたくはねえが、ずっと、ルナを――この手で、」

 「アズラエル、」

 「俺が、おまえたちの計画を台無しにしないと、どうやったら思える? 俺が、なにかのまちがいで、またルナを手にかけてしまったら?」

 

 すべては、水の泡だ。

 

 アズラエルに、表情はなかった。すべてを閉じ込めた、なにもない表情だった。

 それがペリドットには、あまりにも悲痛に感じられた。

 「アントニオに聞いたところによると、この計画では、グレンひとりでも、メルヴァは倒せる」

 「ああ、そうだ」

 それは間違いがなかった。なんのためにそういう計画にしてきたのか。アズラエルも分かっているようだった。

 

 「俺を、任務から外したほうがいい」

 「……」

 ペリドットは返事をしなかった。

 「それで、お前はどうする気だ」

 「しばらく、ルナから離れる」

 「離れる?」

 「……別の任務に着く。ボディガードだ。俺はL系惑星群にもどる」

 「このまま、地球には行かないということだな?」

 「そうだ。……俺がいま、ルナのそばにいるのは危ない」

 「ルナに対して明確な殺意が?」

 「そんなものはねえ。思ったことも、ねえよ」

 

 そうだった。でも、怯えている。アズラエルのすべてが。ルナを傷つけることを。

 ラグ・ヴァーダの武神との戦いで、アズラエルは剣を持つ。

 まかりまちがって、ルナを傷つけるようなことにでもなったら。

 

 「アズラエル」

 ペリドットは、静かな声で言った。

 「おまえがそうしたほうがいいというなら、そうしたほうがいい。――だが、」

 背を向けたアズラエルに、ペリドットの言葉が染みた。

 「俺は、おまえを疑ったことは一度もない」

 アズラエルは、不覚にも涙が出るところだった。だまって、遊園地をあとにした。

 

 

 

 屋敷にもどったアズラエルは、感慨深い気持ちで、屋敷のリビングをながめた。

 (ふたたび、ここに帰ってくることは、できるか?)

 ドローレスに、「ルナをください」と、はっきり言えなかったことを、心のどこかで安心していた。アズラエルの迷いを、ドローレスも見抜いていたかもしれない。

 しかし、ドローレスは、アズラエルに言った。

 「ルナを頼む」と。

 

 アズラエルは、決意して、こぶしを握り締めた。

 

 「おかえり、アズ!」

 

 部屋にもどると、ルナがいた。

 あいかわらず、ZOOカードをならべて、似合わない小難しい顔をして。

 でも、アズラエルを見ると、ほころぶような笑顔を見せる。

 アズラエルは笑おうとして、失敗した。

 もう、この笑顔が見れなくなる。アホ面をつつくこともできなくなる。

 

 しばらくだと――ほんのしばらくの別れだと、どうしてそう、言い切れる?

 

 「ルナ」

 アズラエルの口から出た言葉は、とんでもない言葉だった。

 「別れよう」

 

 ルナの顔が凍り付いた。

 (わかっている)

 こんな顔をさせたいのではない。別れようなどと、言う気はなかった。だが、自分は別れを欲している。

運命から? いや、ルナを、この手にかけてしまうことからだ。

 あんな絶望は、もうたくさんだ。

 

 「……あじゅ?」

 ルナは一瞬、すべての表情をなくし、それから、無理に笑みをつくった。

 「すまん……言い方をまちがえた」

 アズラエルは、顔をぬぐった。それから、ふかく、深呼吸をし、ルナの手を取ってソファに座った。

 「ルナ、――俺は、最初の予定通り、ミシェルのボディガードとして、宇宙船を降りる。つまり、メルヴァ討伐の任務には、参加しねえし、今回のツアーでは地球に行けない」

 ルナはこくりと唾をのみ、信じられない顔をした。

 

 「――どうして?」

 「おまえは不安じゃなかったのか」

 ルナは、アズラエルがなにを言っているのか、ほんとうに分からないようだった。これが、ひとと神の差なのだろうか。

 ルナは強靭だ。自分では、まったく気づかないだろうが、彼女は強靭だ。

 

 「俺に、殺されるかもしれないとは、考えなかったのか」

 「――!」

 ルナの目から、みるみる、涙があふれ出た。ルナは慌てて、袖で涙をぬぐった。

 「ち、ちがうの! 怖くて、怖くて、泣いてるんじゃないの!」

 「ルナ、」

 「……なんで? どうして? 終わったってゆったよ?」

 ルナは、アズラエルの分厚い手を、両手で握った。

 「みんなおわったの! アズ、みんな――」

 「俺は、そうは思えねえ」

 アズラエルの手は震えていた。ルナは、驚き、それから、必死で――まるですがるかのように、震えるその手をにぎりかえした。だが、アズラエルの震えは止まらない。

 

 「俺は――怖いよ」

 

 しずかに、彼は言った。

 「また、おまえを、手にかけてしまうかもしれないことが」

 「アズ、」

 「だが信じてくれ。俺は――おまえを、殺したいと思ったことなんて、ほんとうに、一度もないんだ」

 今世は。そうだった。誓える。

 「アズ――」

 ルナは泣きながら言った。

 「信じてるよ。あたし、信じてるよ?」

 「俺が、俺自身を、信じられない」

 ルナはその言葉に驚愕した。アズラエルは、ゆっくり、ルナの手を、自分の手から離した。そして、ルナの額にキスをした。

 「ルナ――しばらくの別れだ。納得してくれ。すべてが終わったら、迎えに来る」

 「……」

 ルナはなにも言えなかった。

 「ピエトを呼んでくれ」

 



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