アズラエルは、まるで呼ばれるように、真砂名神社の階段のまえに立っていた。 夜、ここに来たのは、「地獄の審判」以来だ。あのときは、昼夜関係なく、ここにいた。 階段の脇、拝殿へ向かって一直線に灯篭がともされている。アズラエルは拝殿まで行かなかった。ただ、階段の下で、上を見上げていた。 アズラエルは、ミシェルやルナのように、「そういった空気」はさっぱりわからないが、夜闇にしては、空気がやわらかい気がした。 そういえば、セルゲイが、「夜の神が君を案じている」と言った。 (まさか、同情でもされてるのか) そう思ったとき、サルーディーバがめのまえにいたので、アズラエルはさすがに声をあげそうになった。びっくりしたからだ。 「……っ、びっくりさせるな!」 「アズラエルさん」 サルーディーバは、深刻な顔で言った。 「宇宙船を降りるとはまことですか」 こいつもか。 どいつもこいつも、俺の降船を大ごとにしやがる。 アズラエルがイヤな顔をしたところで、サルーディーバは顔を伏せた。 「……降りるのですね」 人の考えを読むなといいかけて、アズラエルは、別の嫌味を思いついた。 「良かっただろ、俺が降りて。俺が降りればグレンとルナは無事くっつくぞ」 「……」 サルーディーバは、悲しげな目でアズラエルを見つめた。 「降りないでください」 「――は?」 「わたくしの――わたくしの浅慮から行いましたあさはかな行動は、幾年にわたっても、なにをしても、お詫び申し上げます。ですから、宇宙船を降りないでください」 サルーディーバはいきなり、深々と頭を下げた。それは、彼女がいたL03での、正式な詫びの仕方ではなく――いわゆる、土下座というものだった。 さすがのアズラエルも、言葉を失った。 「やめろ」 地面に膝をつき、手をついて頭を下げるサルーディーバは、なお言った。 「わたくしの、誠でございます。あなたとルナを引き離そうとしたことを、お詫びいたします。ですから――どうか、」 「参ったな」 サルーディーバに土下座などさせたら容赦なく処刑だろうし、ドSとはいえ、女に土下座をさせる趣味はない。 いまが夜で、だれにもみられていないことが救いだ。 アズラエルは頭をかいてサルーディーバを助け起こそうとした。 だが、彼女は、頑として起きない。 「ラグ・ヴァーダの武神を倒すのに、あなたの力は必要です! わたくしは、決戦が近づけば近づくほど、自分がどれだけ愚かなことしてきたか思い知って――身が縮まる思いでございます。あなたを、降ろそうなどと――サルーディーバとあろう者が、姑息な手をつかって――」 「……」 アズラエルは、非常に困った顔をしたが、サルーディーバは半永久的に気付かないだろう。なにせ彼女は、地面に突っ伏しているのだから。 「俺が降りたら、グレンがルナとくっついちまって、アンタがグレンとくっつけなくなるからか?」 アズラエルは冗談のつもりだった。とにかく、この重苦しい空気を取り払いたかった。だが、サルーディーバはさらに、目に涙をためた。逆効果だった。 「そんなこと――思っておりません! わたしは、二度とグレンさんと結ばれなくとも――いいえ! 命を懸けても、あなたの降船をお止め申し上げます――! あさはかな行動の報いとして――」 「命!?」 この高貴な女性が言うことには、冗談のJの字もないのは、アズラエルも分かっている。 「う、おいっ! ナキジン! 出てきてくれ! こいつを何とかしてくれ!」 さすがのアズラエルも、助けを求めた。階段すぐ下の店舗「紅葉庵」はすでに店じまいしていたが、引き戸を開けて、ナキジンが出てきた。 「泥棒か!? ン? ――アズラエル!?」 「ナキジン! なんとかしてくれ!」 アズラエルにすがるサルーディーバを、なんとかなだめて引き取ったのは、ナキジンだった。 ナキジンは、サルーディーバとアズラエルにあたたかい番茶を出してやり、室内のベンチに座らせ、事情を聞いた。 「おまえさん、宇宙船を、降りるんかい!」 「ああ」 ナキジンは、素っ頓狂な声をあげ、驚いたが。 すぐにアズラエルの顔をマジマジと見つめ――首を振った。 「なあんじゃ。おまえさんは、降りんよ」 その言葉に顔を上げたのは、サルーディーバだった。 「――え」 「魂は、ここにある」 ナキジンは、ベンチの上をポンポンと叩いたが、ここにあるというのはベンチの上ではなくて、宇宙船をしめしているのは、アズラエルにもわかった。 「おまえは今夜、ここへ来た。神さんが、おまえの魂を預かった。つうことは、おまえさんはもどってくる。そう、時を待たずしてなァ」 「……」 「それは、ほんとうですか」 サルーディーバは、ナキジンにすがった。ナキジンは番茶を干し、アズラエルの肩を叩いた。 「だってもう――終わったんじゃよ」 「……」 夜の神が、アズラエルの身を案じ。 「父だった」サルーディーバが、アズラエルの身を案じて、寒空のなか、手足を凍えさせて、この神社で彼を待っていた。 それはまるで、「終わった」一つの証のようなものかもしれなかった。 だが、この得体のしれない痛みは残っている。 長の年月、負い続けた痛みは――。 アズラエルは、ふと、そんなことを想ったが、すぐに振り払った。 ナキジンの言葉を聞いたサルーディーバは安心したようだ。 アズラエルは、「ごちそうさん」と言って立った。 「わしゃァ、別れの言葉は言わんぞ」 おまえはちょいと、出かけるだけじゃし。 ナキジンは笑って、アズラエルを見送った。 |