百八十二話 アストロス Ⅱ



 

 「リズン、長期休業だって」

 地球行き宇宙船がアストロスに到着する、二週間前である。

カフェ・リズンのファンシーな木製扉に飾られた花々にまじって、「長期休業」の札が下がっていた。

 期間はおよそ、二ヶ月間。

 アニタは、がっかりしながら、おなじくがっかりして札を見つめている、知らない女の子三人に同調して、さらにがっかりした。

 

 「え~。マジやってないの」

 「しょうがないなあ……pompom♡caféか、毬色でも行く?」

 「そうだね~……でも、リズンのコーヒー飲みたかったなあ」

 「リズンのコーヒーがないと、一日がはじまった気がしないよ」

 

 女の子たちの会話に、アニタは「そうそう! そうだよね!」と叫び、女の子三人を怯ませた。なにせ、アニタは声がでかい。

 「いや~参ったな。テイクアウトもないの。……あ、ちょっと待ってそこの姉さんたち!」

 アニタは、去ろうとしていた三人組を呼び止めた。

手にはノートとボールペン。ルナが見たなら一発で、「あたしのお仲間がいた!」と叫ぶはずである。

なにしろそれは、「つかってもらえない」と評判の、宇宙船乗船時にくばられる日記帳だったのだから。

彼女の手にあるのは、エーリヒがもらったものと同じ、赤い革表紙のそれである。

 

 「船客さんですか、それとも船内役員さんですか」

 「せ、船内役員だけど……」

 三人組は、いきなりはなしかけてきた、この馴れ馴れしい女性に一歩、引いていた。

 化粧けのない顔に、頭頂でシニヨンにした黒髪。顔立ちもふつうで、服装も、地味とはいいがたいし、センスがいいとも言い難かった。Tシャツに、合わせる服を選ばない黒のパーカーに、ジーンズ、スニーカー。ずいぶん使い込んだ、赤い革の肩掛けバッグを下げていた。背は、女性にしては高い方かもしれない。

 

 「船内役員……どこでお働きに?」

 三人は顔を見合わせたが、それぞれ、K27区の大きなデパートの名を挙げた。おそらくそのデパートの、アパレル関係の販売員だろう。

 すくなくとも、三人ともじつに可愛らしい服装をしていて、化粧も髪型もネイルも完璧――アニタの職業予想は当たった。

 

「船内役員ね……やっぱもう、ほとんど船客っていないんだな」

 「あら、あなた、船客さん?」

 おどろいたように、ひとりが声を上げた。

 「めずらしいわね。この時期まで残ってるなんて」

 

 「みんな、口をそろえてそう言うね」

 アニタは肩をすくめた。

 「だって、あなたたちだって、地球まで行ったから、役員やってるんでしょ?」

 

 「あたしは、役員になってから、地球まで行ったわ」

 ひとりが言った。「あたしもよ」「あたしも」

 残りふたりが同意したので、ようするに、三人ともそうなのだった。

 「最初の航海じゃ、なかなかつけないわよ」

 「そうよ。やっぱ四年もあるとね、就職とか、進学とか、悩むじゃない」

 「仕事だから、乗っていられるわけであって、」

 「でもこの宇宙船って、役員になればあとはけっこうのんびりできるし? カレシもすぐできるし」

 「結婚もしやすいしね~!」

 「でも、最初の航海で地球に行ける人ってすくないわよ。よっぽどヒマ人じゃないと!」

 言ってから、女の子は、しまったという顔をわずかにした。

 アニタはうんざり顔をした。うんざりするほど、頭の中で、何度も再生できるほど、聞き続けてきた内容だったからだ。

 なぜみんな、申し合せたように同じことを言うか、アニタは甚だ疑問だった。

 

 「ごめんね。あなたがヒマ人だってことじゃなくって、」

 「呼び止めてごめんなさい。じゃあさよなら」

 あっさり背を返していくアニタを指さし、なにかつぶやきあっているのはアニタも分かっていた。

 

 「喋るんじゃなかったわ……テンションまじ下がる」

 アニタは、リズンがやっていなかったので、「宇宙(ソラ)」に行くか、ルシアンに行くか、決めかねていた。

 どちらの店長とも、アニタは親しい。あの三人組のせいで猛烈におちたテンションを、どちらかと話すことによって復活させたいと彼女は思った。

 

 「あたしはぜったい、地球に行くからね!」

 アニタは、だれも聞いていないのに、鼻息荒く言った。

 ソラの店長、クシラとも誓ったし、ルシアンのオーナー、カブラギもいつも励ましてくれる。ついでに言えば、ラガーの店長オルティスも、マタドール・カフェのデレクとエヴィ、リズンのアントニオも。

 しかし、船内役員は、けっして彼らのような人間ばかりではなくて――さっきの三人組の女の子みたいな人間が大多数。みんな口をそろえて、いまでも宇宙船に残っているアニタを見て、「まだ残ってるの、めずらしいわね」なんて、珍獣みたいな目つきで見る。

 

 「てめーらが最初の航海で地球に行けなかったことを棚に上げて、ひとを珍獣扱いすんじゃねーよ」

 

 アニタはぼやいた。

 自分の担当役員に、「まだこんなところにいていいの? 早く戻って、結婚して子供を産んで、親孝行してあげたら?」なんて言われたときには、蹴飛ばしてやろうかと思ったほどだ。

 アニタは、蹴飛ばしはしなかったが、「じゃあなんでアンタはここにいるんだ余計なお世話だよドアホ」というタイプだったので――言ってしまうタイプだったので――敵をつくりやすい性格ではあった。

 ちなみに、そいつとは、去年から口をきいていない。いっそ、クレーマーにでもなって、そいつをクビにしてやろうかと思ったくらいだったが、アホに関わって、無駄に時間を浪費するつもりは、アニタにはなかった。

 「運命の相手も見つからないんだから、あきらめて降りたら?」と冗談交じりに言われたときは、「男目当てで乗ったおまえとはちがう」と言ってしまったせいで、その女が経営しているカフェに、出入り禁止を食らった。取材はもちろん、できなかった。

 

 パンフレットなんかを制作している立場では、いやな目にあうことも多い。

 とくに、アニタが出会った船内役員のほぼ八十パーセントは、アニタがいまも船内に残っていることを、珍獣扱いするか、心配するかのどちらかだった。

 役員になれる最低航路には達しているから、これ以上乗っていても意味はない。降りたらどうだというのである。

 



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