「だいじょうぶ!?」

ニックはふたたびタオルを差し出し――アニタは礼を言って受け取った。

「後光が見えます」

「は?」

いきなりアニタに拝まれたニックは、口を開けた。無理もなかった。

 

「宇宙(ソラ)を店に置いてくれてるし、こんなに親切にしてくれるし、珍獣扱いしなかった――もう、それでいいです、あたし、地球まで行く気力が出てきました」

「……」

「今日は散々だったけど、いいことあったなあ……」

バッグからティッシュを出して鼻をかむアニタに、ニックはやっと気づいた。

「君、宇宙(ソラ)の編集長さんか!!」

 

K27区発の、船客がつくったサークルで発行している無料パンフレット「宇宙(ソラ)」は、1414年の4月から、ひとつきも休まず刊行されていた。いまでは、船内の、だいたいの店舗に置かれているのではないだろうか。

「僕、ファンなんだよ」

「うっほお! 感激です!!」

アニタは、ゴリラじみた歓声を上げた。

ニックは、店内に置いてあるパンフレットを持ち出してきて、めくった。

巻末ページには、かならず編集長のコラムがある。

アニタ・Y・リンロン。

自己紹介の名前と同じ――めのまえにいる彼女だ。

 

「僕は、椿の宿から半分もらって、置かせてもらってるんだけど、迷惑だったらごめんね」

「い、いえいえ! すごい嬉しいです!」

アニタは三分たったラーメンの紙蓋を開けつつ、首を振った。

 

「仲間がそろってたころは、手分けして、あちこち配り歩くこともできたんですけど、三ヶ月前くらいから、ついにあたしひとりになっちゃって――人手、ぜんぜん足りなくて。クシラとか、カブラギさんとかが、出歩くときにほかの店に配ってもらってるんです。いまは、あたしひとりで、取材に原稿まとめで手いっぱいで、……」

「そうか……」

「椿の宿のひとは、いつも、あたしのアパートまで、取りに来てくれるんです。しかもけっこうな冊数。それをK05区の商店街に置いてくれてるみたいで、ほんと、涙出るほどうれしい。広告も毎月載せてくれるし、クシラとカブラギさんと、オルティスさんとアントニオさんとデレクさんとエヴィさんがいなかったら、銀舎の姉さんとか、毬色のオーナーとか、もう、名前あげたらキリないですけど、ほんと、あたしひとりじゃやってけなかった……!」

「……」

 

ふたたび、ブオーとゾウのような音で鼻をかんだアニタを、ニックは見つめ、

「君、真砂名神社に行く?」

と、ぜんぜん関係なく思えるようなことを聞いた。

「行きます。……あ! 紅葉庵のナキジーちゃん、いいひとですよね。いつもあんみつのアイス山盛りにしてくれますし、ハッカ堂の、」

「椿の宿も行くし――K06区――とか、」

「知ってます? あそこフレンズ・ドーナツの屋台販売あるんですよ!」

うまい惣菜の店っていう屋台がですね、と言いかけたアニタは、さえぎられた。

「K12区の、銀河商舎って雑貨屋さんは?」

「っしゃァおさえてます! ソラで特集組んだこともあります!! そこの姉さんにもよくしてもらってます!」

「K15区の市場とか、」

「あそこ、取材ネタの宝庫ッスよ。安くてレアなワインそろってるんです! このあいだのサンドイッチ・パレード、パンフの特集でやりました。そこで可愛いサンドイッチ・フラッグたくさん買っちゃって、個人的に」

「……?」

ニックは、首を傾げ、頬杖をつき、やがて、困惑顔で言った。

 

「君、ルナちゃんって知ってる?」

「え?」

「ルナちゃん。ルナ・D・バーントシェント」

「……? いや。知りません……」

 

ほんとうだった。アニタは、初めて聞く名前だった。だが、彼女は、編集長という立場上、あまりにもたくさんの人間と会ってきたから、覚えていないだけかもしれない。

「おなじ、K27区にいたんだよ」

「そ、そうですか――でも、K27区っていっても、広いですから――」

ニックは迷い顔を見せたが、言った。

「君ね、すごく、ルナちゃんと似てるんだよ」

「え?」

アニタは、だれかと似ているなどと言われたのは、はじめてだった。

「容姿が、じゃないよ? 顔立ちとか、姿はぜんぜんちがうんだけど、なんていうか――そう、好みが」

 

アニタが手にしている厳選たらこおにぎり、卵とハムのサンドイッチ、からあげ、ニックがまったく美味しいと思わない、トロピカル☆カレーらー麺。

ルナが必ず、ニックのコンビニで買っていくメニューである。アニタはフォーカードを出した。この、食べ物であふれているコンビニで、まったくルナの好物とおなじものを手に取ったアニタに、「君はルナちゃんの化身か!」と、ニックが突っ込みたかったのを我慢していたということを、アニタは知る由もない。

 

「そのラーメン、美味いって食べてるの、ルナちゃん以外に見たことないんだ」

「いや、意外とイケますよ?」

アニタは、スープまで、すっかり飲んでしまっていた。

「それにね、君が行くとこって、だいたい、ルナちゃんが行く場所とリンクしてるんだよね?」

「マジですか」

「マジですかっていいたいのは僕なんだけど。マジで、こんだけ、しょっちゅう行く場所重なってて、ルナちゃんとは一度もニアミスしてないんだよね? 一回もあったことない?」

「ないです」

「不思議だ……!」

ニックが頭をかきむしると、

「だ、だれですか、そのルナちゃんっていうのは。ニックさんの彼女?」

「い、いやいや、ちがう。ルナちゃんにはアズラエルって彼氏がいる――そうだ! ラガーには、アズラエルも行くし、グレンが最近カウンターに入ってて――グレンは?」

「さっぱり――」

アニタは、ぼうぜんと首を振った。

「銀髪で、目が鋭くって、オルティスほどじゃないけどでっかくって、けっこう怖い感じで、ピアス両耳にしてる――」

「アンさんと、ヴィアンカさんにはあったことあるけど、その人は知らない」

「マジで!?」

「ルシアンでも、バイトしてたって聞いたよ!? ――そ、そうだ! 最近、へんな漢字Tシャツ愛用してて――」

「え? わかんない。イケメンですか?」

「イケメンの方だと思う」

「イケメンなら忘れるわけないはずですけど――わ、わかんない――」

ニックは目を剥いた。アニタは、自分の勢いで他人を怯ませることはあっても、他人の勢いに怯んだことはあまりなかった。

 

「おっかしいな~、――じゃあ、紅葉庵に行ったときとか、真砂名神社で、ミシェルちゃんに会ったことは? 茶髪の短い髪で、美人で、絵を描く子なんだけど、」

アニタも、頭をかきむしった。

「い、いやあ~、茶髪で美人で、絵を描く子は、ウチの編集部にもいました」

 「……なんでだろ」

 ニックは、甚だ疑問だった。

ミシェルはほぼ毎日、真砂名神社に行っている。ルナと一緒にリズンにも。K38区に引っ越してからは、それほどではなくなったと思うが、K27区にいたときは、毎日のように行っていたはずだった。

マタドール・カフェもそう。

ルナたちの口から聞いたことがないのは、「宇宙(ソラ)」というコーヒー・スタンドくらいなものだ。

それなのに、ニアミスすらしていないとは。

 おかしい。ぜったいに、おかしい。

 

 「ルナちゃんとミシェルちゃんがダメなら――、う~ん、キラちゃん、リサちゃん――」

 「リサちゃん?」

 やっと、アニタが反応した。

 「リサ・K・カワモトさん?」




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