「ぶへくしょっ!!」 アントニオは、盛大にくしゃみをした。くしゃみをしたせいで、手の中の星守りを落としてしまうところだった。 「だいじょうぶですか」 「え、ええ――だいじょうぶ」 (アニーちゃんの、なんでお休みなんだーって絶叫が聞こえるな) アントニオは、失礼して鼻をかんだ。 ここは、アストロスのガクルックス・シティの、南末端に設置された、「メルヴァ討伐軍・陸・海・空軍総本部」である。 地球行き宇宙船がアストロスに到着二週間前から、リズンは「長期休業」だった。 アントニオは、メルヴァとの対決にそなえて、東奔西走していた。 討伐軍総司令官フライヤ・G・メルフェスカは、アストロス到着直後から、古代都市クルクスに向かい、アストロス全域をまわって、土地の様子をたしかめている。 すでに作戦図案は製作済みだが、現場と地図が一致しない部分も多くある。 フライヤは、自分の足でそれをたしかめているのだった。 総司令官であるフライヤは、本来ならそういう仕事は部下に任せ、自分は総本部を動いてはならない――はずなのだが、フライヤが自由に動けるのにも理由があった。 「ほんとうにメルヴァは、戦争を仕掛けてくるのですか?」 フライヤの代理として、総本部指令室で指揮を執っているサスペンサー大佐の言葉に、L20の想いが、すべてが集約されていた。 メルヴァはエタカ・リーナ山岳に居住――まさしく居住――したまま、一向に降りてくる様子を見せない。 よって、フライヤたちの大隊は、急に実戦に突入することもなく、こうして総司令官があちこち出歩いていてもだいじょうぶなほどの余裕を見せているのである。 立ててきた作戦は、あくまでも、メルヴァとの戦いを想定した市街戦だった。 フライヤたちも、エタカ・リーナ山岳を見て、攻め入るのは無謀だという結論に達した。 兵糧攻めも意味をなさない――メルヴァたちは、山岳に居座り続けるばかりである。 むろん、市街戦だけではなく、二案、三案と、作戦図案はある。だが、フライヤたちの想像をはるかに超えて、エタカ・リーナ山岳は、ひとが踏み込むことのできない山だった。 山岳の峻険さにくわえ、「エタカ・リーナ山岳には、ぜったい入ってはいけない」と考えている、アストロスの民の、かの山への恐れ具合も想像以上だった。 アストロスの軍人でさえ、口々に言った。 「あの山に攻め込むなど、死にに行くようなものだ」 山を荒らせば、山の神様が、怒ってアストロスを滅ぼしてしまう――。 あと三日、様子が変わらなければ、本格的な作戦の見直しが必要だと考えていたところだった。 「かならず、降りてきます」 アントニオは言い切った。 「宇宙船の、そのう――ゴホン、――特殊部隊も、すでに準備を整えました。おそらく、地球行き宇宙船がアストロスに到着と同時に、メルヴァとの戦争がはじまってしまう」 「それは、明確な根拠が?」 サスペンサーが首をかしげる理由も、アントニオは十二分に分かっていた。 「根拠は、説明するには、むずかしいと思います」 「……」 サスペンサーはおおきく嘆息し、「わかりました……」と言った。 「もとより、この戦は数々の想定外が起きると予想しています。カレン様のお言葉もある――あなた方を、信じましょう」 「ありがとうございます」 L20の軍隊が、アントニオの言葉にうなずくのも、カレンが「宇宙船の特殊部隊を信じろ」と言った言葉と、メルヴァの正体が、あまりも不明瞭だということも、理由だった。 「まず、遅れましたが、総司令官、フライヤの不在のお詫びを申し上げる。われわれとしても、L03にも不慣れ、アストロスでいくさをするのも初めてなので、ぜひ宇宙船の特殊部隊とは、連携していきたい――それで、本日のご用向きは?」 「ふたつあります。ひとつは――」 アントニオは、わずかに表情をゆがめた。 見たくなくても見えてしまう、サスペンサー大佐にかぶる、黒い「もや」を。 いいや、彼女だけではない、このサスペンサー大佐の大隊に大きくかかる、『ラ・ムエルテ(死神)』を――。 「……そのまえに、作戦図案を見せていただけますか」 「ええ、いいですよ」 サスペンサーは、アントニオを、作戦会議室まで連れて行った。テーブルに広げられたアストロスの地図がある。 「この総本部は、ガクルックスの南末端にあります」 サスペンサーは立体地図に重ねた、グラフィックスの作戦図案を見せて、説明した。 「ナミ大陸すべての都市の住民避難は、地球行き宇宙船がアストロスに到着するころ、すべて終了します。空白化したケンタウル・シティには、アストロスの軍が、アクルックス・シティは、バスコーレン大佐の大隊が待ち受けます。ガクルックスのエタカ・リーナ山岳付近に、わたしの大隊が――」 アントニオの顔は、青ざめていた。サスペンサーは、ずいぶん大々的な作戦に、彼がおどろいているのだと思っていたが、それは違った。 「つまり、メルヴァが、エタカ・リーナ山岳のどこから降りてきても、ガクルックス、アクルックス、ケンタウル・シティのどこに降りてきても、メルヴァを仕留められるよう、逃げ場をなくした布陣です」 「……ほんとうに、すべての住民が、避難を?」 アントニオの質問に、サスペンサーの部下が、彼女に耳打ちした。サスペンサーは言った。 「訂正いたします。古代都市クルクスの住民だけは、避難を拒絶しました」 部下が、補足するようにつづけた。 「むしろ、クルクスの住民は、クルクスがいちばん安全だと思っているようです。市長のザボン氏が、なるべく多くの避難民を受け入れる用意をしていると、フライヤ総司令官を通じて、われわれに申し入れてきました」 サスペンサーは嘆息した。 「ですが、クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下。メルヴァの軍勢にもっとも近い位置にある。だから、クルクスに避難する住民などいません」 サスペンサー大佐のいうことはもっともだった。普通ならそう考えるだろう。メルヴァの軍勢が、真っ先に突撃するかもしれない都市に、だれが避難しようなどと思うか。 だがアントニオは、ザボンのいうとおりだと思った。 おそらく、アストロスのなかでもっとも安全なのは、クルクス。 それは、夜の神がクルクスを守ることになるからだ。 「……」 アントニオは思案した。 シャトランジの盤が広がるまえに、「チェックメイト」できるか。 すくなくとも、住民たちは、ケンタウルとアクルックス、ガクルックス、つまりナミ大陸からは、ほぼ失せている。 アントニオは思案の末、告げた。 「……メルヴァの目的地は、古代都市クルクスです」 「えっ?」 サスペンサーを含む、そこにいた軍人のすべてが、アントニオを見た。 「クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下です!」 部下が叫び、サスペンサーはうなずいた。 「やはり、強制的にでも、クルクスの住民は避難させよう。急げ――」 「はい!」 「待ってください」 アントニオは止めた。 「クルクスはそのままに」 軍人たちは、顔を見合わせた。 「でも、メルヴァの目的地は――クルクスなのですよね?」 古代都市クルクスは、エタカ・リーナ山岳の真下。そこが目的地だというなら、アクルックスにも、ガクルックスにも、ケンタウルにも来ないのではないか。 それとも、北から順に――クルクスから攻め落としていくという魂胆か。 |