「いいえ。メルヴァは――メルヴァ自身は、南のサザンクロス・シティから現れます」

 「――!?」

 さすがに、サスペンサーは言葉を失った。真北のエタカ・リーナ山岳で所在がわかったメルヴァである。どうして、真南のサザンクロスに現れるのだ?

 アントニオは、だまってつづけた。

 理屈も根拠も、説明できない。だが、L20の想定とは、まったくちがった戦略が、相手には敷かれているのだ。

 この作戦図案のすべてが、もう“何年も前から”メルヴァに知られているなど、彼らには理解できるわけもない。

 

 「メルヴァは、南のサザンクロスから、アクルックスに入り、縦断します。まっすぐに、北に向かい――バスコーレン大佐の軍を撃破して、クルクスに入ります」

 アントニオは、ここに行くまえに、バスコーレンの顔も見てきた。彼には、「死神」は降りていなかった。

 サスペンサーたちが言葉を失っている間に、アントニオはさらに言葉を紡いだ。

 

 「サスペンサー大佐の隊を、ガクルックス最北端から、中央まで移動させてください」

 できれば、この平野には陣を敷かないほうがいい。

 アントニオは言った。

 平野から出て、背後の山脈を越え、市街地に駐屯するべきだと。

 とんでもない要求にサスペンサーはごくりと息をのみ――やっと、「なぜです?」と聞いた。

 「いざというときのためです」

 サスペンサーがなにか言おうとしたのを、アントニオはさえぎった。

 「あなたの部隊も、かなわないと思ったら、逃げてください」

 「なんですって?」

 「あなたの部隊は、ちょうどエタカ・リーナ山岳の真下、ガクルックス側に陣を敷く。いちばんあぶない場所です」

 

 サスペンサーは急に静かになった。

 「……それゆえ、わたしの部隊が志願したのです」

 この誇り高く、勇猛果敢な軍人は、そう言った。

 

 エタカ・リーナ山岳の真下。ガクルックス側。

 そこには、ラグ・ヴァーダの武神の剣を鎮めた封印場所があり、シャトランジの装置がある場所の真下だ。

 

 アントニオはさらに言った。

 「わたしが、軍のことに口出しすべきでないのは承知しています」

 「……」

 「しかしどうか――受け入れてください。おそらくあなたの部隊は、シェハザールのひきいる“シャトランジ”と対決することになります」

 会議室がざわついた。

 「シェハザール……」

 「メルヴァの右腕だわ」

 サスペンサーが手を挙げて、ざわめきを鎮めた。

 

 「シャトランジとは何です?」

 「L03の、古代のサルディオーネがつくった、“すべての戦を支配する占術”です」

 「……」

 「あまりにも呪わしい占術ゆえ、千年の長きにわたって封印されていた。それを、メルヴァは手に入れたのです」

 

 サスペンサーがもはや止めることもできず、会議室は不安のざわめきに揺れた。サスペンサーとしては、ただでさえ指揮が低下しているというのに、これ以上下げたくはなかった。彼女は大柄な体を武者震いにふるわせ、皆の動揺をしずめにかかった。

 

 「われわれが逃げて、いったいだれが、メルヴァを逮捕するというのです?」

 「わたしたちが」

 逮捕はできない――滅ぼすしかない。

 アントニオは、口の中だけでつぶやいた。

 「どうか、逃げてください。軍人の誇りもあるでしょうが、シャトランジが発動したら、かならず、すぐに撤退してください」

 アントニオは必死の思いで言った。

 「人がかなう戦闘部隊では、ありません」

 

 メルヴァとの「実戦」に、L20の軍隊は、まったく役に立たない――。

 アントニオは、一度はそれを、ミラにも告げたし、地球行き宇宙船の艦長たちにも説明した。だが、受け入れてもらえなかったのは、当然だった。

 アストロスの避難民の誘導、地球行き宇宙船から避難する船客たちの誘導、メルヴァとのたたかいのあとの復興、メルヴァたちの所在の調査――軍がする用向きはたくさんあった。必要がないわけではなかったが、実戦には、まるで役には立たない――それどころか、お荷物になる可能性があった。

 アントニオとペリドットの嫌な予感は的中した。

 よりにもよって、「シャトランジ」の舞台となる高原に、L20の軍が配置されるとは。

 アントニオは、もやが消えないサスペンダー大佐の背をふりかえって見つめた。

 

 (逃げてくれ――たのむ)

 アントニオは、願った。

だが、どんなに言葉を尽くしても、かの猛将が引くことはなく、アントニオの意見が受け入れられないのも、わかっていた。

 おそらく、サスペンダー大佐の部隊が、最北端に陣を敷いた時点で、シャトランジは動き出す。

 ラグ・ヴァーダの武神の指示で――。

 アストロスとL系惑星群の民を、恐怖のどん底に陥れるために。

 

 (エーリヒを、最初から、シャトランジ! のアトラクション内に待機させるか)

 だが、サスペンサー大佐の隊があるかぎり、エーリヒが起動して対局しても、おそらく犠牲者は出てしまう。

 作戦が動き出したら、アントニオはもはや動けない。彼にも役割はある。

 

 (どうしたらいい)

 サスペンサーの部隊が、ガクルックス最北端に駐屯するというのは、最近決まったことだった。彼女の部隊は、もとは、ジュエルス海沿岸におかれるはずだったのだ。

 だが、アストロス内で流布したウワサ――メルヴァはおそらく、ガクルックス側からくるというウワサ。

 そこに、いちばん戦闘慣れした部隊が待ち構えるのは、当然の成り行きだった。

L20の軍もアストロス軍も、九ヶ月も動きのない、理解不可能なメルヴァ軍の行動に焦りを感じ始めたころだった。どんな情報にも、飛びつかんばかりの、神経の張りようだ。

 だが、アントニオにとっては、そのことすらも、ラグ・ヴァーダの武神が招いた不吉の象徴に思えた。

 

 サスペンサー大佐は招かれた。

 ラグ・ヴァーダの武神が織りなす、悪夢の生け贄として。

 

 (くそ……)

 アンジェリカの千転回帰と、ルナたちの、クルクスへの到着。

ペリドットの八転回帰と、エーリヒの、シャトランジ起動。

両方が、同時に行われなければならない。

 ラグ・ヴァーダの武神に感づかれて作戦を変えられれば、すべてが水泡に帰す。

 (頼む――どうか、うまくいってくれ)

 アントニオは、ここからは見えないクルクスに向かって、祈りをささげた。

 

 



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