百八十三話 アストロス Ⅲ



 

 1416年10月5日、午後8時。

アストロス到着まで、あと12時間。

 

 (アズ……)

ルナは、自室のベッドに丸まっていた。

 (アズはあたしのこと、嫌いになっちゃったのかな……)

 

 ばかだから? あたしが、いろいろ足りなくて?

 ルナは、アズラエルの腕に落書きをしたことを後悔した。思いつくかぎりのいろんなことを思い出しては、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと思って、泣いた。

 「ふぎ、ふぐ、ふぎ……」

 涙が止まらない。

 (もどってくるなんて、L55で待つなんて、うそだ)

 アズラエルは、ずっとルナを見なかった。まるで、ひとが変わってしまったかのように。

 

 ルナは、ZOOカードボックスに訴えた。

 「なんとかいってよ……うさこ」

 アズとは、ほんとにこれでお別れなの?

 アズがいると、またあたしを殺してしまうかもしれないから、別れたの?

 

 「――なんでこういうときだけ何にもゆってくれないのよっ!!」

 ルナは、枕をZOOカードの箱に投げつけたが、だれも出てはこなかった。ルナは枕がぼろぼろになるまで、箱をたたいた。

 「ひぐ……っ、アズ、あじゅ、」

 お願いだから、もどってきて。

 ルナは、ベッドに突っ伏して、泣き疲れて眠った。

 

 ルナが、部屋から出て来なくなったのは、アズラエルたちが発った翌日だった。

 その日は、カラ元気でせわしなく動いていたルナだったが、夜、ひとりでベッドに入ってから、急に涙が込み上げて、あとは止まらなくなってしまったのだった。

 泣き疲れて眠り――それから次の日は、気力がすべて抜けていったかのように、やつれたうさぎがベッドに座っていた。

 「ルナ」

 心配したピエトが、ルナを抱きしめると、ルナはしゃくりあげながら「ごめんね」と言った。

 「あたし、あしたには元気になるから……心配かけて、ごめんね、ピエト」

  

 

 

 「アズラエルを、呼びもどそうと思う」

 クラウドは、リビングで、皆に向かって言った。満場一致の賛成だった。

 ルナの状態が、ひどくなるようなら、ツキヨとリンファンを呼ぼうと提案したのは、レオナだったが、エーリヒが止めた。

 ラグ・ヴァーダの武神に関する任務のことは、ふたりには内緒にしてある。

 アズラエルが今、宇宙船を降りたこともだ。

 いまにも任務がはじまりそうなときに、ややこしい事態を呼び込みかねない。

 

 「もうあたし、見てられないわよ……」

 ミシェルも、半泣きの顔で言った。

 「あたしだって、まだ納得してない。どうしてアズラエルが降りなきゃいけないの。絶対に大丈夫よ――」

 ミシェルは一拍置き、見えないなにかを見据えるように目を細めた。

 「ぜんぶ――終わったんだから」

 

 「……なァおい、呼びもどすのはいいとしてもだな。アズラエルは、任務でL系惑星群に帰るんだ。どうしてあんなに泣く?」

 バーガスは、理解しがたい顔で言った。彼には、どうにも理解できなかったのだった。あれは、どう考えても悲劇的な別れではなかった。恋愛関係を解消したのではなく、たんに、任務でL系惑星群にもどるだけの、別れである。

 アズラエルがこの船の役員になろうが、傭兵をつづけようが、長い期間はなればなれになることは、これから何度でもあるだろう。

 そしてバーガスは、ルナも、その覚悟があることは知っていた。いつものルナなら、アズラエルが任務に向かうことに、不安な顔は見せるだろうが、ここまでではないだろう。

 

 「L55で会える。アズラエルは確かにそう言っただろうが」

 レオナはバーガスの後頭部を引っぱたいた。

 「イッテ!!」

 「アンタは、へんなトコで鈍いねえ!」

 「――あたしも、その、“終わった”うんぬんはよくわからないけど、ルナちゃんとアズラエルのあいだで、なにかあったんじゃないか?」

 セシルも、迷い顔で言った。

 「な、なにかって?」

 女房の怪力は、身に染みてわかっているが、今日の平手打ちはことのほか響く。

 

 「アズラエルの様子は、やっぱり、あたしたちから見てもおかしかったよ。――なんていうか、うまく言えないけど、別れたくないのに、別れなきゃいけないような、そんな感じがして」

 セシルの言葉は、遠からず正解だった。ミシェルは、「だいたい、そうよ。そのとおりよ」とうなずき、バーガスは、グレンとセルゲイに言った。

 「おまえら、なんかしたのか」

 「アズラエルが、俺に脅された程度でルナを諦めると思うのか」

 「わたしたちは、無罪ですよ」

 口々に言ったので、バーガスは、やはり首をかしげるのだった。

 

 「アズラエル、任務に行くって決めてから、一回も、ルナのこと“ルゥ”って呼んでないの」

 

 ミシェルの言葉に、だれもが、違和感の正体に気づいた。

 アズラエルは、ルナに、恋愛を解消する「別れ」を切り出したのではない。でも、その別れは、ルナに、永遠の別れを予想させるようなものだった――。

 

 「アズラエルは、任務に逃げただけよ! あたしも、ルナも、――きっとアズラエル本人だって、納得してないはずなの! だから、説得して呼び戻さなきゃ!」

 ミシェルの剣幕に、皆が気圧された。

 「ラグ・ヴァーダの武神との戦いがはじまるのよ、これから! ルナだって、なにがあるか分からない――ヤツのターゲットなんだから! もしルナになにかあったら……」

 ミシェルは、こぶしを震わせて、うつむいた。

 「アズラエルだって、そばにいなかったことを、ぜったい後悔するはずだわ……!」

 

 もとより、アズラエルを呼びもどすことに関しては、満場一致の賛成だったのだ。

 「呼ぶだけじゃ、もどってはこないよ。だれか迎えに行かなきゃ」

 セルゲイは言った。

 「だれが行く?」

 

 「俺が行く!」

 ピエトが一等先に手を挙げたが、レオナが反対した。

 「なに言ってんだい。おまえを一人でなんか、行かせられるかい!」

 「じゃあ、あたしも行くよ!」

 ネイシャもピエトに並んで叫んだが、おとなたちに――レオナ&バーガス夫妻と、セシルに猛反対された。

 「ネイシャ、あんたには、チロルを預けるって、頼んだよね?」

 「……」

 ネイシャはうつむいた。アストロスで任務に入るバーガスとレオナのために、ネイシャとピエトはふたりの娘チロルを預かり、ラガーに行くことになっていた。

 

 「俺が行くか? いざとなったら、殴ってでも、連れ帰る」

 グレンが座った目で言ったが、クラウドが首を振った。

 「いや、俺が行くよ――話し合いが必要だ」

 「君やグレンでは、感情的になって話し合いにはならないのではないかね」

 エーリヒは、グレンが行くことも、クラウドが行くことも反対した。

 「感情論では、アズラエルは動かんよ。終わったのなんだのという話も、意味をなさん。彼が持っているのは、根源的な恐怖なのだから」

 「それに、君たちはそれぞれ任務に着いてるんだから、いま宇宙船から離れるのはダメだよ」

 セルゲイも、言い含めた。

 「……」

 うつむいて、考えていたクラウドだったが、やがてピエトを見つめた。

 

 「……ピエト、行ける?」

 「!」

 ピエトの顔が、輝いた。

 



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