1416年10月5日、午後8時。 アストロス到着まで、あと12時間。 (アズ……) ルナは、自室のベッドに丸まっていた。 (アズはあたしのこと、嫌いになっちゃったのかな……) ばかだから? あたしが、いろいろ足りなくて? ルナは、アズラエルの腕に落書きをしたことを後悔した。思いつくかぎりのいろんなことを思い出しては、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと思って、泣いた。 「ふぎ、ふぐ、ふぎ……」 涙が止まらない。 (もどってくるなんて、L55で待つなんて、うそだ) アズラエルは、ずっとルナを見なかった。まるで、ひとが変わってしまったかのように。 ルナは、ZOOカードボックスに訴えた。 「なんとかいってよ……うさこ」 アズとは、ほんとにこれでお別れなの? アズがいると、またあたしを殺してしまうかもしれないから、別れたの? 「――なんでこういうときだけ何にもゆってくれないのよっ!!」 ルナは、枕をZOOカードの箱に投げつけたが、だれも出てはこなかった。ルナは枕がぼろぼろになるまで、箱をたたいた。 「ひぐ……っ、アズ、あじゅ、」 お願いだから、もどってきて。 ルナは、ベッドに突っ伏して、泣き疲れて眠った。 ルナが、部屋から出て来なくなったのは、アズラエルたちが発った翌日だった。 その日は、カラ元気でせわしなく動いていたルナだったが、夜、ひとりでベッドに入ってから、急に涙が込み上げて、あとは止まらなくなってしまったのだった。 泣き疲れて眠り――それから次の日は、気力がすべて抜けていったかのように、やつれたうさぎがベッドに座っていた。 「ルナ」 心配したピエトが、ルナを抱きしめると、ルナはしゃくりあげながら「ごめんね」と言った。 「あたし、あしたには元気になるから……心配かけて、ごめんね、ピエト」 「アズラエルを、呼びもどそうと思う」 クラウドは、リビングで、皆に向かって言った。満場一致の賛成だった。 ルナの状態が、ひどくなるようなら、ツキヨとリンファンを呼ぼうと提案したのは、レオナだったが、エーリヒが止めた。 ラグ・ヴァーダの武神に関する任務のことは、ふたりには内緒にしてある。 アズラエルが今、宇宙船を降りたこともだ。 いまにも任務がはじまりそうなときに、ややこしい事態を呼び込みかねない。 「もうあたし、見てられないわよ……」 ミシェルも、半泣きの顔で言った。 「あたしだって、まだ納得してない。どうしてアズラエルが降りなきゃいけないの。絶対に大丈夫よ――」 ミシェルは一拍置き、見えないなにかを見据えるように目を細めた。 「ぜんぶ――終わったんだから」 「……なァおい、呼びもどすのはいいとしてもだな。アズラエルは、任務でL系惑星群に帰るんだ。どうしてあんなに泣く?」 バーガスは、理解しがたい顔で言った。彼には、どうにも理解できなかったのだった。あれは、どう考えても悲劇的な別れではなかった。恋愛関係を解消したのではなく、たんに、任務でL系惑星群にもどるだけの、別れである。 アズラエルがこの船の役員になろうが、傭兵をつづけようが、長い期間はなればなれになることは、これから何度でもあるだろう。 そしてバーガスは、ルナも、その覚悟があることは知っていた。いつものルナなら、アズラエルが任務に向かうことに、不安な顔は見せるだろうが、ここまでではないだろう。 「L55で会える。アズラエルは確かにそう言っただろうが」 レオナはバーガスの後頭部を引っぱたいた。 「イッテ!!」 「アンタは、へんなトコで鈍いねえ!」 「――あたしも、その、“終わった”うんぬんはよくわからないけど、ルナちゃんとアズラエルのあいだで、なにかあったんじゃないか?」 セシルも、迷い顔で言った。 「な、なにかって?」 女房の怪力は、身に染みてわかっているが、今日の平手打ちはことのほか響く。 「アズラエルの様子は、やっぱり、あたしたちから見てもおかしかったよ。――なんていうか、うまく言えないけど、別れたくないのに、別れなきゃいけないような、そんな感じがして」 セシルの言葉は、遠からず正解だった。ミシェルは、「だいたい、そうよ。そのとおりよ」とうなずき、バーガスは、グレンとセルゲイに言った。 「おまえら、なんかしたのか」 「アズラエルが、俺に脅された程度でルナを諦めると思うのか」 「わたしたちは、無罪ですよ」 口々に言ったので、バーガスは、やはり首をかしげるのだった。 「アズラエル、任務に行くって決めてから、一回も、ルナのこと“ルゥ”って呼んでないの」 ミシェルの言葉に、だれもが、違和感の正体に気づいた。 アズラエルは、ルナに、恋愛を解消する「別れ」を切り出したのではない。でも、その別れは、ルナに、永遠の別れを予想させるようなものだった――。 「アズラエルは、任務に逃げただけよ! あたしも、ルナも、――きっとアズラエル本人だって、納得してないはずなの! だから、説得して呼び戻さなきゃ!」 ミシェルの剣幕に、皆が気圧された。 「ラグ・ヴァーダの武神との戦いがはじまるのよ、これから! ルナだって、なにがあるか分からない――ヤツのターゲットなんだから! もしルナになにかあったら……」 ミシェルは、こぶしを震わせて、うつむいた。 「アズラエルだって、そばにいなかったことを、ぜったい後悔するはずだわ……!」 もとより、アズラエルを呼びもどすことに関しては、満場一致の賛成だったのだ。 「呼ぶだけじゃ、もどってはこないよ。だれか迎えに行かなきゃ」 セルゲイは言った。 「だれが行く?」 「俺が行く!」 ピエトが一等先に手を挙げたが、レオナが反対した。 「なに言ってんだい。おまえを一人でなんか、行かせられるかい!」 「じゃあ、あたしも行くよ!」 ネイシャもピエトに並んで叫んだが、おとなたちに――レオナ&バーガス夫妻と、セシルに猛反対された。 「ネイシャ、あんたには、チロルを預けるって、頼んだよね?」 「……」 ネイシャはうつむいた。アストロスで任務に入るバーガスとレオナのために、ネイシャとピエトはふたりの娘チロルを預かり、ラガーに行くことになっていた。 「俺が行くか? いざとなったら、殴ってでも、連れ帰る」 グレンが座った目で言ったが、クラウドが首を振った。 「いや、俺が行くよ――話し合いが必要だ」 「君やグレンでは、感情的になって話し合いにはならないのではないかね」 エーリヒは、グレンが行くことも、クラウドが行くことも反対した。 「感情論では、アズラエルは動かんよ。終わったのなんだのという話も、意味をなさん。彼が持っているのは、根源的な恐怖なのだから」 「それに、君たちはそれぞれ任務に着いてるんだから、いま宇宙船から離れるのはダメだよ」 セルゲイも、言い含めた。 「……」 うつむいて、考えていたクラウドだったが、やがてピエトを見つめた。 「……ピエト、行ける?」 「!」 ピエトの顔が、輝いた。 |