百八十五話 マリアンヌの日記



 

「イマリさんっ!」

衝動的に飛び出したイマリは、担当役員に腕をつかまれて、止められた。

「どこにいくんです!? 勝手な行動しないでって言ったでしょ!!」

サムの目は、血走っていた。こんな非常時に、まったく好き勝手に行動してくれる、自分の担当船客に、おそろしく腹を立てている顔だった。

 

「わたし、宇宙船にもどらなきゃならないのよ! ベンからもらった指輪を忘れて来たわ!!」

サムは、理解できないという顔をした。当然だった。

「地球行き宇宙船にもどる便が出てると、思ってるんですか!?」

スクリーンに映し出される光景を見て、あそこにもどりたいという人間がいようとは、サムも思いもしなかった。地球行き宇宙船からこちらへ避難する便はあっても、もどる便などない。

だが、イマリは叫んだ。

「あなた、担当役員でしょ! なんとかしてよ!!」

「……」

サムの許容は、簡単に超えた。絶句している彼を見かねて、仲間の役員がやってきた。

 

「どうなさいましたか?」

物腰やわらかな、ホテルマンのような役員が言った。サムが説明する前に、イマリは怒鳴った。

「地球行き宇宙船にもどらなきゃいけないのよ!! 指輪を忘れてきて――恋人からもらった、たいせつなものよ!!」

「お客さま、ただいま、地球行き宇宙船にもどる便は、どこからも出ていません」

役員が、バーダンやハダルにも便がないことをつたえると、

「あなた役員でしょ! なんとかできないの!!」

イマリは逆上した。

「大切なものなのよ!! ベンとはじめてつきあった記念に――」

「どうしても、おもどりになりたいのでございますか」

「決まってるでしょ! 早くなんとかして! もどりたいのよ!!」

「ですから、便がございません」

「そこをなんとかしなさいよっ!! 船客の願いが聞けないっていうの!!」

 

イマリの大声は、注目を集めた。周囲の視線が自分に突き刺さっているのに、イマリはようやく気付いた。

「い、いつ――宇宙船にもどれるの」

イマリは、あわてて言い方を変えたが、だれも答えなかった。サムではなく、イマリの相手をしていた役員が、手元の機械装置をつかって、なにがしかのチケットを、発行していた。赤と白のチケットが、二枚。

彼は発行したチケットをイマリに手渡し、説明した。

 

「お客様の乗船資格をはく奪いたします」

「――え」

イマリは、赤いチケットが、いわゆる「レッド・カード」というものであると、やっと認識した。

「最終手段でございます。強制降船のチケットを発行しましたので、お客様は、当社のお客様ではなくなりました。ご自由に行動していただいてけっこうです。この先、万が一にも、チケットが当選することはございませんし、お客様がチケットをご購入されることになったとしても、ご購入まえに、審査がございますので、ご了承くださいませ」

イマリは、青ざめた。

「お客様は宇宙船に荷物をお残しでございます。宇宙船にもどることができる環境になりましたら、こちらの白いチケットで、いったんご入場くださいませ。特別に、一日乗船券を発行させていただきました。こちらはサービスですので、一日だけ、となります。一日をすぎるごとに、お客様には五十万デルずつの請求が参りますので、ご注意ください」

 

「なんですって」

イマリの顔色が変わった。

「なんで降りなきゃいけないのよ!」

 

「わたくしどもには、お客様のご要望は叶えられません。しかしながら、船客の方をお守りする義務がこちらにもありますので、いまは指示に従っていただかねばなりません。それがご不満のようでしたので、降船の手続きを取りました」

 

役員の笑顔は、貼り付けられたように変わらない。とりつく島がない。イマリは、自分が、いつ強制降船になってもおかしくない立場だったと、ようやく思い出した。

「ウソでしょ。あたし、これからどうすればいいの」

こんなところで放り出されたら、どうしたらいいか――。

「地球行き宇宙船におもどりになるのも、お客様の自由でございます。わたくしどもの指示に、一切、従っていただくことはございません。――では、ご乗船、ありがとうございました」

彼は最後まで、笑みを絶やさず、言い切った。

「ご乗車、ありがとうございました」

サム以外の五人の役員に、深々と礼をされて、イマリは絶句して固まった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ――」

役員たちは、さっさと、次の仕事のためにイマリのもとを去った。

「お願い! 待って、あたし、これからどうしたらいいのよ――!!」

イマリは彼らを追いかけようとしたが、横から、さっと、別のチケットが差し出された。

「こちら、避難用のホテルの宿泊券です。一週間分あります」

サムだった。彼は早口で言った。――顔を、こわばらせたまま。

「こちらは購入済みです。それから、地球行き宇宙船のパスカードがあれば、ご自宅におもどりになるまでの旅費は無料です。期間は一年間ですのでお忘れなく。なにかご不明な点があれば、地球行き宇宙船窓口へどうぞ。――では、ご乗船ありがとうございました」

宿泊券をイマリに手渡し、サムは小太りの身体を揺らして、憤然と去っていった。

イマリはひとり残されたステーションで、ぼうぜんと、佇んだ。

 

 

 

ルナのアストロス到着とともに、メルヴァ軍の攻撃が、止んだ――。

L20の軍機は、それを確信した。白いライオンのマークがついた宇宙船、バレハ106は、徐々に後退をはじめた。

「追え! 自爆を許すな――敵艦をすべて拿捕しろ!」

 

「ごらんよ! あのちっちゃな宇宙船が引いてく!」

ツキヨが、画面を指して叫んだ。

彼女の言葉どおり、バレハ106が、地球行き宇宙船から離れていく。今度は、それを追う、L20の小型宇宙船が、のこった大型戦艦からつぎつぎに飛び出てくる。

「エマルは、あんなのと戦うのかい? ――エマルは、」

ついに、ツキヨがふらりと崩れた。

 

「ツキヨさん!」

シシーは慌てて支えた。

「び、病院――救急車呼ばなきゃ、」

 

パニックを起こしかけたシシーを、リンファンが「落ち着いて」と優しくなだめた。

「救急車を呼んで――あたしが、ツキヨさんについていきます。シシーちゃんは、心細いかもしれないけど、ここに残って、連絡係になってくれる? テオさんや、キラちゃんたちもここに来るから、」

「リンファンさあん……!」

ここにも、敵の宇宙船がやってくるの? と泣きだしたシシーを、リンファンは、背をさすって落ち着かせた。

「だいじょうぶ、だいじょうぶよ――そんなことにはならないわ。追い払ったでしょ」

 

リンファンはフロントに電話して、救急車を呼んでもらった。一分と立たずに、救急車ではなく、ホテル内のシャイン・システムから救急隊が飛び込んできた。

「心臓病なんです」

リンファンが救急隊員に説明しているのを見て、シシーもなんとか落ち着きを取りもどした。

「ご、ごめんなさい――みっともないところを、」

あたしがしっかりしてなきゃいけないのに、と謝るシシーに、リンファンは首を振った。

「シシーちゃんは、頑張ってくれてるわ」

シシーは涙をぬぐい、「しっかりしなきゃ」と自分に言い聞かせるように言って、背をただした。

「リンファンさん、すごいです――ぜんぜん動揺してない」

「だってあたし、もと傭兵だもの」

「え?」

リンファンは、にっこり笑って、ツキヨに伴うために、カーディガンを手にした。

「しゅらばはいっぱい、くぐりぬけてきたの」

 

 



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