『貴様を心理作戦部に招いた、大恩ある隊長を裏切るほど、薄情ではないだろう』 ユージィンは嗤った。 (あれは、B班の誰かか) エーリヒでなくとも、クラウドはみすみす見捨てる気はなかった。 「分かった。読もう」 「みなさん、どうか、冷静に」 クラウドは言った。メルヴァ軍の攻撃に引き続き、執務室の彼らには、理解できない状況がつづいている。 彼らは、自分のデスクで、息がつまりそうな空気を耐えた。 ここにいる彼らが、銃を突きつけられているのではない。だが、ユージィンの鬼気迫る双眸は、だれも逆らえないような気迫を宿していた。 『送れ!』 ユージィンの怒号で、A班の隊員が、コンピュータのまえに座る。彼は言った。 『送り先はどこへ?』 クラウドは、研究所コンピュータのアドレスとパスワードを口にした。 送信が、はじまった。クラウドの手元の探査機に、研究所コンピュータへのデータ移送が表示された。ずいぶんなファイル量だ。やっと、3パーセントのファイルが転送された。 『一日、時間をやる。すべて解読して、内容をつたえろ』 「――わかった」 ユージィンはついに追いつめられた。クラウドしか読めないようにつくられたディスク。クラウドと同じ能力を備える人間も、見つからなかったのだろう。 驚異的な速読力と記憶力。それを両方かねそなえた人間でなければ、あのディスクは読めないのだ。 『けっして余計な真似はするな。おかしな真似をすれば、隊長の頭蓋だけでなく、貴様らが乗っている宇宙船にも大穴があくぞ』 「――!!」 執務室に残った役員の顔に、はっきりと、恐怖の色が浮かんだ。ユージィンの言葉は、バレハだけでなく、もっと攻撃力の高い戦艦が用意されていると、言外に告げていた――その宇宙船は、すでに拿捕されていたが、執務室の彼らはまだ知らなかった。 クラウドだけが、執務室を出ることを許された。執務室を出ると、エーリヒが、無表情でウィンクしてきた。 「エーリヒ、ここにいたのか」 「状況は分かった――それで、君はどこへ?」 「決まってるだろ、自分の“遊び場”へ」 「わたしも行こう」 クラウドとエーリヒは、シャインをつかって、K29区にある、自分の研究室へ向かった。 化学センターは、すでに職員が避難済みで、閑散としていた。 まだ、生体認証システムはうごく。ふたりはいくつかの扉を抜け、研究室へ入った。クラウドがモニターの前にすわると、データの送信が、すべて完了していた。 ついに、マリアンヌからもらったパスコードをつかうときが来た。 「これが、“マリアンヌの日記”の本ディスクかね」 九つの画面中央には、「データ送信完了」の文字が点滅している。 すでに、前半6冊分は消えている。だが、エーリヒがコピーしてきたディスクで、その内容はチェック済みだ。 「このなかに、L18の滅亡を回避する予言が隠されているか、否か――」 エーリヒはつぶやいた。 「わたしにも、興味深い内容だ」 クラウドは、データ再生のキーを押した。 ジャータカの黒ウサギのイラストが、表示された。 クラウドには見慣れた絵だった。ZOOカードに描かれたイラストだ。カードのイラストは、ぜんぶマリアンヌが描いたものだった。 『このディスクは、一回しか再生できません。パスワードがあれば、IDを入力しなくても途中で一時停止ができます。一時停止は三回だけです。よく覚えていてね』 黒ウサギがにっこりと笑った。その画面で画像が停止する。イラストの下に、文字が浮かび上がった。 『IDを入力してください』 IDと、パスワードを入力するスペースが表れた。 クラウドは、マリアンヌとの最期の別れのときを、思い出していた。 『――そうだよ。真実をもたらすライオン。おまえさんには大切な役目がある。いくらガラスの子ネコがL系惑星群で著名な芸術家になると決まっていても、L系惑星群が滅びてしまったら、なんにもならないだろう? 芸術どころではないさ』 あのとき、ミシェルに嫌われてしまったとこぼしたクラウドを、カサンドラは――マリアンヌは、なぐさめてくれた。 自分が、いまにも死ぬかもしれないというときに。 『おまえさんがいなければ、L系惑星群は滅びてしまうんだよ? おまえさんがもたらす真実が、ひいてはL系惑星群を救うことになる』 『俺が?』 クラウドは、目をぱちぱちさせた。 『でも俺、なにも――真実なんて、知らないよ?』 ――ほんとうに、あのときは、なにも知らなかった。 (そうだよ、マリー) 予想もしなかったことが、クラウドの身に起きようとしている。 『いずれわかる。おまえさんにしかできないことが必ずある。そう――あたしはね、きっと、真砂名の神にあんたに出会うように導かれた。あんたにあってから、ラガーに行けと言う啓示はなくなった。だからもうこうして、ゆっくり寝てられるんだけどね』 カサンドラは、ごほごほと咳き込んだ。 『さあ――あたしはもう眠るよ。マリアンヌもね。あたしたちの役目は終わった』 (マリー) クラウドの、キーを押す手が震える。 (俺は最後まで、読めるだろうか) 『さよならだクラウド。――最後のおみやげだ。あんたなら覚えられる。紙にかいちゃいけない。頭の中で、ちゃんと覚えておくんだよ――』 『船大工の兄』、『船大工の弟』、『夜の神』、『月の女神』――。 パスワードは、――マーサ・ジャ・ハーナ――。 (マリー) クラウドは、ごくりと、息をのんだ。 (俺を守ってくれ。応援してくれ) そして。 (真実をもたらすライオン、ここが正念場だぞ) クラウドは、一気に、IDと、パスワードを打ち込んだ。 9つのモニターに、いっせいに、文章が流れ出した。 |