もちろん、ピンクのうさぎさんを、パンダさんは止めました。でも、いつも従順なうさぎさんは、言うことを聞きませんでした。

 「僕は行くよ、お兄様。ともだちを助けに」

 そういって、出ていくうさぎさんを、パンダさんは止めることができませんでした。

 パンダさんは、なにがなんでも止めなければならなかったのです。

 今止めなければ、弟は、二度と生きて帰ってくることはない。

 しかしうさぎさんは、兄の手を振り切って、行ってしまいました。

 ちいさなうさぎさんです。力づくでも止められた。でも、パンダさんは止められなかったのです。弟を見捨てたわけではありません。

 

不思議なことに、パンダさんの目からあふれ出るのは、喜びの涙でした。うさぎさんを、止められなかった自分に対する、喜びの涙です。

 

 パンダさんは、「終わった」と思いました。

 なにが?

 なにが終わったのかわかりません。

 

 ――ですが、なにか、とてつもなく長い呪縛が、とけたような気がしたのです。

 

 弟は死ぬだろう。北の果ての監獄で死ぬかもしれない。それを思うととてつもなく悲しいのですが、パンダさんの胸は、喜びに満ちているのです。

 

 ――弟を、この手から、解き放ってやれたことが。

 

 

 北の果ての監獄に来たのは、ピンクのうさぎさんと、褐色のライオンさん、シェパードさんと、七色の子ネコ、チワワさんだけでした。

 彼らは、先生たちを救出しようと、監獄に乗り込みます。

 先生たちがいる監獄で、銃撃戦がはじまりました。七色の子ネコさんとチワワさんは、あっけなく撃たれて死にました。

シェパードさんは、愛する先生の前までたどり着きましたが、彼女の手を取ろうとしたところで、撃たれて死にました。

 「先生……先生……いま、牢屋から出してあげるから」

 シェパードさんは虫の息で牢屋に這いよりましたが、真っ赤な子ネコ先生は、もう亡くなっていました。彼女はすでに、凍死していたのです。

シェパードさんも亡くなりました。――つめたくなった先生の手をにぎって。

 

 褐色のライオンさんも、ピンクのうさぎさんも頑張りましたが、ついに、褐色のライオンさんはうさぎさんをかばって撃たれ、うさぎさんも、牢番に捕らえられました。

 ライオンさんの名を呼ぶうさぎさんが、牢番たちに連れて行かれます。

 

 ライオンさんは、必死で手を伸ばしました。たいせつなうさぎさんを、大好きなうさぎさんを、守らなければ。銀色のトラさんとも、賢いライオンさんとも約束したのです。あの子は身体が弱い。俺が守ってやらなければ――。

 

 それなのに。

 なぜだろう?

 なぜか嬉しいのです。涙が出てくるのです。

 

 うさぎさんを守らなければと思いながら、徐々に薄れゆく意識の中で、ライオンさんは、「終わった」と思いました。

 

 なにが終わったのかわかりません。

 でも、ライオンさんも、なぜか、とてつもなく大きな呪縛が解けた気がしたのです。

 自分が先に死んでいけることが、なぜか、とてもうれしかったのです。

 

 俺はもう、おまえの死を見なくてもいいのか。

 俺はもう、お前を殺すこともないのか。

 今俺は、はじめて――こうして、おまえより先に死んでいくことができる。

 おまえを手にかけることなく――その死を、目の当たりにすることなく。

 

 それがなにより、うれしいのでした。

 

 

 うさぎさんは、別の監獄に閉じ込められました。

 「特別政治犯棟第22号8」。

 それが、うさぎさんの部屋でした。ひどく寒いところです。牢番の一人である黒いタカさんは、仲間にいいました。

 「まだ子どもじゃないか」

 彼は自分のコートを、うさぎさんに着せてあげました。こんなことは、無駄なことだと知りながら。

 「俺にだって、このくらいの弟がいるよ」

仲間の青大将も、うさぎさんのほうを見ずに言いました。さっき、哀れでうつくしい女性の息の根を、この手で止めたばかりです。

 「こんな仕事はもうたくさんだ。俺は、ここに来てから、何人殺したと思う?」

 黒いタカさんは、替えのコートをとりに、執務室にいきました。コートがあっても、一時間もここにいられません。それでも、あのちいさなうさぎさんは、明日の朝まで持つまい。それを考えると、黒いタカさんは、涙が出てくるのでした。

 

 うさぎさんは、寒い牢屋で震えながら、「終わった」と思いました。

 なにが終わったのかわかりません。

 革命は終わってしまったのか、自分の命が尽きようとしているのか。

 ちがいます。

 長い長い、とてつもなく長い、悲しい物語が、終わったような気がしたのです。

 兄は、うさぎさんの手を離しました。

 ライオンさんが眠るように死んでいくのをこの目で見ました。

 とてつもなく悲しいことなのに、うさぎさんの目にあふれるものは、幸福の涙でした。

 

 だれかが、うさぎさんの涙を拭いてくれます。こぼしたそばから凍り付いていく涙を。

 「お兄様……?」

 うさぎさんの最後の言葉に、だれかがうさぎさんを抱きしめてくれました。

 だって彼にも、うさぎさんのような、弟がいたのです。

 

 その後、ウサギさんを抱きしめた黒いタカさんと青大将さんは、こんな子どもにまでひどい仕打ちをする監獄がもう耐えられなくなって、クーデターを起こしますが、鎮圧され、亡くなります。

 監獄の占拠までなしとげた、大規模なクーデターでしたが、大軍勢によって鎮圧されました。このことも、歴史の中に埋もれた悲劇の、ひとつでもあります。

 

 翌朝、つめたくなったうさぎさんを、兄であるパンダさんが迎えに来ました。パンダさんは、氷になってしまったピンクのうさぎさんの遺体を抱きしめ、静かに泣きました。

 

 うさぎさんたちの死を知った銀色のトラさんたちは、ひどく自分を責めました。

 黒うさぎさんも、悲鳴のような声を上げたきり失神し、その日から、食欲もなくなって、病気がちになりました。

 

 そのころ、ちょうどL18に遊説に来ていたサルーディーバ――青々としたネコさんは、トラさんとライオンさんに会いました。

彼は、「気を落とすな」とはげまし、「君たちのさだめは、これで終わったのだ」と、不思議なことを言いました。

 

 「生き残った君たちには、なすべきことがあるはずだ」

 

 銀色のトラさんは、サルーディーバのすすめに従って、地球行き宇宙船に乗りました。

 仲間たちと、いつか乗れたらいいねと、冗談交じりに話していた宇宙船。銀色のトラさんは、ひとりで乗ることになりました。

 

 「真砂名神社の奥殿に、あなたのルーツとなる絵があるはずだ。それの後ろに、記録をかくしなさい」

 

 銀色のトラさんは、半信半疑で、真砂名神社というところへ行きました。

そして見つけたのです。彼のルーツとなる絵、「船大工の兄弟」の絵を。

 すべては、ここから始まったのでした。

 トラさんは、絵を見た瞬間に、すべてを悟りました。

 

 銀色のトラさんは、神社の宮司に許可を得て――もっとも、サルーディーバが事前にすべて許可を取っておいてくれたのですが――絵の後ろの壁に穴を開け、「第二次バブロスカ革命の記録」をおさめた金庫を入れて、壁を塗りなおしました。

 そうして、「船大工の絵」を取り去り、「予言の絵」を立てかけたのです。

 

――百年後にくる、「そのとき」のために。

仲間たちの悲願が、成就する、そのときのために。

 

 仕事を終えたトラさんは、その足でL05に飛び、金庫のカギをサルーディーバに預けて、いとこに別れを告げました。

賢いライオンさんは、いとこの銀色のトラさんが、なにをしようとしているか、予想はついていました。止めましたが、きっと無駄だということも。

賢いライオンさんは、もはや、軍事惑星には帰りませんでした。

仲間の冥福を祈るために、生涯、サルーディーバのそば近くつかえることにしたのです。軍人としての自分を捨てて。

 

 軍事惑星にもどった銀色のトラさんは、書斎にたたずみ、思いました。

 

 ――終わった。

 終わった。

なにが終わった? 自分の役目が? すべてが?

 

 銀色のトラさんは、あの「船大工の絵」を見たときに、運命の始まりを知り、終わりを知りました。

 すべては、終わったのです。

 

 銀色のトラさんは、もう一族に縛られません。父親にも縛られません。

 トラさんは、一族にさからい、ともだちのうさぎさんたちの死の真相を後世にのこすことを選びました。

 それを選ぶことができたのです。

 ついに、自由に生きられるのです。

 

 そして、やがて、この一族の代表となる自分を消すことが、最後です。

 

 トラさんは、最後に、ピンクのうさぎさんを想いました。

 今度は、なんの障害もなく、君を愛することがかなうだろうか。

 銀色のトラさんは、自身のこめかみに当てた銃のひきがねを、引きました。

 

 

 ――これで、すべてのリハビリは終了しました。

 おつかれさまです。

 

 



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