(終わった) 時間にしては、ほんの、三十分ほどだった。 まだ、真夜中だ。カザマは、寝息も立てず、熟睡している。 身を起こしたルナは、隣のベッドで、おなじく起き上がったセルゲイを見つめた。 「終わったの」 「――終わったね」 「ほんとに、終わったの」 「終わったんだよ」 セルゲイは、しずかに涙を流していた。ロメリアの手を離したときと、抱きしめたときと、同じ涙を。 ルナも涙を流していた。ふたりは、抱きしめあった。 ――今度こそ、終わったのだ。 眠っていたのか、気を失っていたのか分からない。病室で横になっていたリサは、ミシェルが、涙をこぼしながら、リサをのぞき込んでいるのに気付いた。 「リサ、ごめんな」 ミシェルはなにを謝っているのだろう。 牢屋から、アリサを出してあげられなかったこと? 「――助けに来てくれたじゃん」 リサは笑った。 「たすけられなかった」 顔をくしゃくしゃにして泣くミシェルは、同じ夢を見ていたのだと、リサは分かった。ミシェルが愛おしくて、しかたがなかった。 「助けに来てくれたの、ほんとにうれしかったよ」 アズラエルの、顔を覆っていた手のひらも、涙で濡れていた。 ただただ、勝手に流れあふれていく涙は、アズラエルの悲しみの、残骸のようであった。 夜があけようとしている。廊下には誰もいなかった。アズラエルは、涙まみれのこのご面相が、だれにも見られていなかったことに安堵し、洗面所で顔を洗った。 「――ルナ」 ずっと。 別れてからずっと、口に出すまいと決めていた名前を、口にした。 とたんに、こらえきれない愛おしさがこぼれ落ちた。 「ルナ」 暗い廊下に、ICUの明かりが落ちている。 ガラス戸の向こうに、ピエトが眠っている。アズラエルは、ピエトに言い聞かせるように、つぶやいた。 「ピエト――俺は、先にもどるぞ」 ガラスの向こうで、ピエトが微笑んだ気がした。 「俺は、俺のそばに、最初から――たいせつなひとがいたのに、ずっと気づかなかったんだな」 ミシェルはきまり悪げにそう言い、リサの手をにぎった。 「地球行き宇宙船にもどろう、リサ」 「――え?」 リサは目を見張った。 「裁判は?」 「もう、いい」 もう、いいんだ。 ミシェルは、リサの手を取り、額に当てた。 「アズラエルとピエトと一緒に、地球行き宇宙船にもどろう――」 アズラエルは走っていた。 (ルナ!) 何度も、ルナに謝りながら。ルナのそばを離れたことを、詫びながら。 アズラエルの俊足に、カリムは、ついていくのが精いっぱいだ。 「悪いな! カリム!」 「いいえ! 急いでもどりましょう!!」 ピエトとミシェルたちは、ヤンに任せてきた。彼らも、ピエトが動けるようになったら、いっしょに地球行き宇宙船にもどってくる。 アズラエルは、猛スピードで、ルナのもとにもどるだけだ。 アストロス直通の、地球行き宇宙船の特別便に乗ったアズラエルは、すぐさまペリドットに連絡した。 「ペリドット――すまん! 今からアストロスに向かう!」 電話向こうで破顔し、『百人力だ』と言ったペリドットの笑顔が、アズラエルにも見えるようだった。 「――なにが起こってる」 グレンは、苦しくて目が覚めたのだ。息苦しいはずだ。クラウドが、グレンにしがみついて泣いていたのだから。男泣きというやつではない。迷子になった幼児が親を見つけたときのような、はばかりもない大泣きだった。 クラウドは体育会系でないにしろ、180センチ越え、それなりの体格も筋肉も持っている男である。重いことこのうえない。 チャンが呆気にとられた顔でこちらを見ているし、エーリヒも、じつに表情豊かな目で――なにもかも分かっているんだといいたげな目で、見ていた。 「君が先に起きるべきだったんだ」 クラウドは、鼻をかみながらグレンを責めた。 「死んだかと思ったじゃないか」 「……その話は、ずっと昔にすんだはずだったろ」 真砂名神社で殴り合って、謝って、終わったはずだ。だが、クラウドの気持ちも、グレンは分かった。きっと、三人そろって、同じ夢を見たのだから。 まさかエーリヒも関わっていたのだとは、グレンもクラウドも思わなかった。 「おまえの反骨精神は、前世からか」 グレンは、エーリヒとベンが、ルナたちが死んだあと、クーデターを起こしたことを言ったのだが、エーリヒは肩をすくめた。 「あれは、地の利が悪すぎた。あんな凍土でなければ、われわれのクーデターは成功していたよ」 「こんな夢を見るなんて、第二次バブロスカ革命の記録を発見したからかな」 クラウドは、もう一度、盛大に鼻をかみ、 「――アズも見たかな」 「見ていたら」 エーリヒも、会話に参加した。 「きっと、もどってくるだろうね」 レディ・ミシェルは、イシュマールの部屋の隣の部屋に敷かれた布団で、身を起こしていた。 「――これ、もしかして、リカバリってやつかな?」 どうも、身体に力がみなぎりすぎている。緑と青の光が、自分を取り巻いているような気がするし――いますぐ、錫杖で、ラグ・ヴァーダの武神をぶん殴りに行ける気がするほど、ミシェルは元気だった。 椿の宿のわかめうどんが恋しいなあ、と思った瞬間に、ミシェルは悟った。 「百五十六代目の、サルーディーバだ」 イマリは、まだ真夜中だというのに、荷物をかき集め、身支度をして、フロントに降りていた。 ホテルのフロントは24時間体制だったが、「チェックアウトします!」と叫んだイマリは、さすがにあきれ顔をされた。なにせ、午前三時である。 「お客様……こちらの大陸は、だいじょうぶでございます」 「そうじゃないの! メルヴァのことじゃないの――急いで、あたし、ここから逃げ、い、いいえ! でかけなきゃならないの! あ、あの、バーダン・シティから、E353に行く便は出てるのよね!?」 「ええ。ですが、宿泊チケットは、まだ五日分もございますが……」 「いいのよ! いいの、キャンセルして!!」 イマリの顔は蒼白になっていた。 こんなところにグズグズしてはいられない。ベンからもらった指輪を取りにもどるだなんて、バカなことをしようとしたと思った。宇宙船に置いてきた荷物は、あとから電話すれば、送ってもらえるはずだ。 とにかく、すぐにここを離れないと。 ベンが運命の相手だなんて思っていた自分は、なんと浅はかだったのだろう。 (――ベンから逃げなきゃ) イマリは、ホテルから飛び出て、タクシーを捕まえた。 (あたし、殺されちゃう――!!) |