百九十話 古代都市クルクス



 

 (終わった)

 

 時間にしては、ほんの、三十分ほどだった。

 まだ、真夜中だ。カザマは、寝息も立てず、熟睡している。

 身を起こしたルナは、隣のベッドで、おなじく起き上がったセルゲイを見つめた。

 「終わったの」

 「――終わったね」

 「ほんとに、終わったの」

 「終わったんだよ」

 セルゲイは、しずかに涙を流していた。ロメリアの手を離したときと、抱きしめたときと、同じ涙を。

 ルナも涙を流していた。ふたりは、抱きしめあった。

 

 ――今度こそ、終わったのだ。

 

 

 眠っていたのか、気を失っていたのか分からない。病室で横になっていたリサは、ミシェルが、涙をこぼしながら、リサをのぞき込んでいるのに気付いた。

 「リサ、ごめんな」

 ミシェルはなにを謝っているのだろう。

牢屋から、アリサを出してあげられなかったこと?

 「――助けに来てくれたじゃん」

 リサは笑った。

 「たすけられなかった」

 顔をくしゃくしゃにして泣くミシェルは、同じ夢を見ていたのだと、リサは分かった。ミシェルが愛おしくて、しかたがなかった。

 「助けに来てくれたの、ほんとにうれしかったよ」

 

 

 アズラエルの、顔を覆っていた手のひらも、涙で濡れていた。

 ただただ、勝手に流れあふれていく涙は、アズラエルの悲しみの、残骸のようであった。

 夜があけようとしている。廊下には誰もいなかった。アズラエルは、涙まみれのこのご面相が、だれにも見られていなかったことに安堵し、洗面所で顔を洗った。

「――ルナ」

 ずっと。

 別れてからずっと、口に出すまいと決めていた名前を、口にした。

 とたんに、こらえきれない愛おしさがこぼれ落ちた。

 「ルナ」

 暗い廊下に、ICUの明かりが落ちている。

 ガラス戸の向こうに、ピエトが眠っている。アズラエルは、ピエトに言い聞かせるように、つぶやいた。

 「ピエト――俺は、先にもどるぞ」

 ガラスの向こうで、ピエトが微笑んだ気がした。

 

 

 「俺は、俺のそばに、最初から――たいせつなひとがいたのに、ずっと気づかなかったんだな」

 ミシェルはきまり悪げにそう言い、リサの手をにぎった。

 「地球行き宇宙船にもどろう、リサ」

 「――え?」

 リサは目を見張った。

 「裁判は?」

 「もう、いい」

 

 もう、いいんだ。

 

 ミシェルは、リサの手を取り、額に当てた。

 「アズラエルとピエトと一緒に、地球行き宇宙船にもどろう――」

 

 

 アズラエルは走っていた。

 (ルナ!)

 何度も、ルナに謝りながら。ルナのそばを離れたことを、詫びながら。

 アズラエルの俊足に、カリムは、ついていくのが精いっぱいだ。

 「悪いな! カリム!」

 「いいえ! 急いでもどりましょう!!」

 ピエトとミシェルたちは、ヤンに任せてきた。彼らも、ピエトが動けるようになったら、いっしょに地球行き宇宙船にもどってくる。

アズラエルは、猛スピードで、ルナのもとにもどるだけだ。

 アストロス直通の、地球行き宇宙船の特別便に乗ったアズラエルは、すぐさまペリドットに連絡した。

 「ペリドット――すまん! 今からアストロスに向かう!」

 電話向こうで破顔し、『百人力だ』と言ったペリドットの笑顔が、アズラエルにも見えるようだった。

 

 

 「――なにが起こってる」

 グレンは、苦しくて目が覚めたのだ。息苦しいはずだ。クラウドが、グレンにしがみついて泣いていたのだから。男泣きというやつではない。迷子になった幼児が親を見つけたときのような、はばかりもない大泣きだった。

 クラウドは体育会系でないにしろ、180センチ越え、それなりの体格も筋肉も持っている男である。重いことこのうえない。

 チャンが呆気にとられた顔でこちらを見ているし、エーリヒも、じつに表情豊かな目で――なにもかも分かっているんだといいたげな目で、見ていた。

 

 「君が先に起きるべきだったんだ」

 クラウドは、鼻をかみながらグレンを責めた。

 「死んだかと思ったじゃないか」

 「……その話は、ずっと昔にすんだはずだったろ」

 真砂名神社で殴り合って、謝って、終わったはずだ。だが、クラウドの気持ちも、グレンは分かった。きっと、三人そろって、同じ夢を見たのだから。

 まさかエーリヒも関わっていたのだとは、グレンもクラウドも思わなかった。

 

 「おまえの反骨精神は、前世からか」

 グレンは、エーリヒとベンが、ルナたちが死んだあと、クーデターを起こしたことを言ったのだが、エーリヒは肩をすくめた。

 「あれは、地の利が悪すぎた。あんな凍土でなければ、われわれのクーデターは成功していたよ」

 

 「こんな夢を見るなんて、第二次バブロスカ革命の記録を発見したからかな」

 クラウドは、もう一度、盛大に鼻をかみ、

 「――アズも見たかな」

 「見ていたら」

 エーリヒも、会話に参加した。

 「きっと、もどってくるだろうね」

 

 

 レディ・ミシェルは、イシュマールの部屋の隣の部屋に敷かれた布団で、身を起こしていた。

 「――これ、もしかして、リカバリってやつかな?」

 どうも、身体に力がみなぎりすぎている。緑と青の光が、自分を取り巻いているような気がするし――いますぐ、錫杖で、ラグ・ヴァーダの武神をぶん殴りに行ける気がするほど、ミシェルは元気だった。

 椿の宿のわかめうどんが恋しいなあ、と思った瞬間に、ミシェルは悟った。

 「百五十六代目の、サルーディーバだ」

 

 

 イマリは、まだ真夜中だというのに、荷物をかき集め、身支度をして、フロントに降りていた。

 ホテルのフロントは24時間体制だったが、「チェックアウトします!」と叫んだイマリは、さすがにあきれ顔をされた。なにせ、午前三時である。

 「お客様……こちらの大陸は、だいじょうぶでございます」

 「そうじゃないの! メルヴァのことじゃないの――急いで、あたし、ここから逃げ、い、いいえ! でかけなきゃならないの! あ、あの、バーダン・シティから、E353に行く便は出てるのよね!?」

 「ええ。ですが、宿泊チケットは、まだ五日分もございますが……」

 「いいのよ! いいの、キャンセルして!!」

 イマリの顔は蒼白になっていた。

 こんなところにグズグズしてはいられない。ベンからもらった指輪を取りにもどるだなんて、バカなことをしようとしたと思った。宇宙船に置いてきた荷物は、あとから電話すれば、送ってもらえるはずだ。

 とにかく、すぐにここを離れないと。

 ベンが運命の相手だなんて思っていた自分は、なんと浅はかだったのだろう。

 (――ベンから逃げなきゃ)

 イマリは、ホテルから飛び出て、タクシーを捕まえた。

 (あたし、殺されちゃう――!!)

 

 



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