ルナたちは、緊張のせいか、とくに空腹は感じなかったが、市長に着いてふたたびシャイン・システムに入った。 ルナはアストロスに着いてから、ますますぼうっとあたりを見まわすことが多くなったので、ついにセルゲイは、ルナを所持することにした。あいにく、手荷物は、ぜんぶ市長に着いてきた方々が運んでくれたので、両手はあいている。 ルナはいつの間にか、シャイン・システムのなかにいた。 「あれ?」 つぎの瞬間には、ひとがおおぜい行き来する、回廊に出ていた。 「こちらは、同じ城の中ですが、VIPの宿泊施設になっています」 「ここ、観光雑誌にも載っていないとくべつなホテルで、VIPの方しか泊まれないんですよ」 カザマがこっそり、耳打ちした。 「ええっ!!」 ルナがセルゲイに抱えられて出た廊下は、たしかに、きらびやかなホテルの廊下だった。スーツ姿のコンシェルジュやメイドが、おおぜい行きかっている。 「まずはお食事を。アストロスの名物をご用意しました。それから、スイートルームにどうぞ。すぐにお風呂もつかえるようになっていますので、まずは旅の垢をお流しください。くわしいお話は、それからで」 市長とは、シャイン・システムのまえで別れた。 「こちらへ」 コンシェルジュが案内してくれたのは、ダンスパーティーでもできそうな大広間のど真ん中に用意された、ずいぶん長いテーブルだった。 「お待ちしておりました、どうぞこちらへ」 ずらりと並んだ給仕たち――ルナは口をあんぐりと開けた。 ルナたちは、王族にでもなったような気分で、朝食をいただくことになった。 「なんだか、あんまりにもいっぱい食べちゃったです」 三日ぶりのお風呂に入ることができたルナは、首をこっくり、こっくりさせながら、髪を乾かしていたので、セルゲイがドライヤーを受け取った。ルナの髪を乾かしてやりながら、 「昨夜もほとんど眠れなかったからね。すこし寝たらどう」 ザボンとの約束の時間まで、まだ二時間もある。 「――うん、れも、ZOOカード見なきゃ――」 ルナは目をしょぼしょぼさせながら言った。 アストロスの名物料理は、朝から食すにはずいぶんこってりとしたものもあったが、ルナにはどこか懐かしい味で――アズラエルが出ていった日から、まともに食事をとっていなかったルナだが、ひさしぶりにたくさん食べた。 食事を終えて、案内されたスイートルームは、十五部屋もある、豪奢きわまりない部屋だった。寝室だけで五部屋、浴室も三部屋ある。すべての浴槽に湯がはられていて、ルナたちはそれぞれ、三日ぶりの汗を流すことができた。 おなかがいっぱいで、三日ぶりのお風呂に、寝不足――ルナでなくても、舟をこぐには十分な条件だ。 「おっと」 ルナの栗色の髪がこてん、と真横に倒れかけたので、セルゲイはあわてて支えた。 ルナは寝ていなかった。真横に、体を起こした。 「……らいひょうふ」 大あくびをしたルナは、「ありがとう」と言って、ぺぺぺっと洗面所にドライヤーを片付けに行き、高級化粧品のアメニティに、いまごろ気付いて顔を輝かせた。 「あれ? セルゲイ。まっくろ」 もどってきたルナは、やっとセルゲイの格好に気付いた。 「まっくろくろすけ」 「うん」 セルゲイも、自分が着ているニットをつまみあげ、眉をへの字にした。 「黒は、こまかい糸とか着くと目立つだろ、だからあまり好きじゃないんだけど」 セルゲイの服装は、シャツこそ白いものの、黒ニットに黒いズボンに黒靴下――セルゲイの髪が黒いこともあって、いつもの黒い革靴を履いたら、たしかにまっくろくろすけだった。 「さっきスーツケースを開けたら、黒い服しか入っていなかったんだ……!」 彼は、ルナみたいに頭を抱えた。 これで、黒いダウンコートを着たら、ますますまっくろくろすけである。 だれのチョイスかは、言わずとわかっている。 「あらセルゲイさん、真っ黒」 スーツに着替えて部屋に入ってきたカザマも、セルゲイを見て目を丸くした。 「パステルカラーの似合う殿方でしたのに、真っ黒もめずらしいですわね」 「カザマさんこそ、スーツですか」 セルゲイも、カザマの格好を見て、おどろいた。彼女も、いつものスカートタイプのスーツだ。淡い藤色のジャケットに膝上のスカート、シャツにアクセサリー、八センチヒール。 「だいじょうぶですか。そのヒールで、走れます?」 走って逃げなければならないときがあったら、どうするのか。 「やっぱり、いつもの格好がしっくりくるんですもの」 たぶん、わたしスニーカーより、ヒールのほうが速く走れるわね、とカザマはとんでもないことを言った。 「……」 ふたりの会話を聞いていたルナは、やはりスーツケースから、いつものワンピースを取り出した。ワンピースと、寒いので、厚手のタイツと、ちょっとでも背を高く見せるために、ふだんから履いている、厚底のラバーソールを。 「やっぱり、ふだんの格好がよいです」 「……」 この場で着替えはじめたルナに、一時停止したセルゲイは。 「ほかの場所で着替えなさい!!」 お兄ちゃんは、うさぎをスーツケースごと、別室に移動させた。 多少のトラブルはあったものの、ルナたちは、用意万端のスタイルで、市長との待ち合わせ時刻を待った。セルゲイもあきらめて、いつも履いている黒い革靴を履いたので、彼は完璧なまっくろくろすけになった。 待ち合わせ時間が来たと同時に、室内の電話が鳴った。 ザボンは急きょ、ケンタウル・シティに駐留している軍に呼ばれて出かけてしまったので、会合は夕食時に、という連絡だった。 ルナたちはぽっかり、時間があいてしまった。 それでも、観光という気分には到底なれず――ルナはZOOカードをまえに考えごとをはじめ、カザマは、「もう一度、女王の間に行ってまいります」と部屋を出た。 部屋に残されたセルゲイも、ニュースを見ていたが、とつぜん、ふらりと立ち上がった。 「外を見てくる」 セルゲイの声ではなく、夜の神の声だった。 ルナは、「いってらっしゃい」とセルゲイを送り出した。 ――三人がふたたび顔を合わせたのは、すべてが終わったときである。 セルゲイが出ていって、五分もしないうちに、ルナは、だれかに呼ばれたような気配がして、部屋の入り口まで行ったが、だれもいない。 (女の人の、声だった?) ルナは、なんとなく気になって、ZOOカードと記録帳を抱え、部屋の外に出た。 城内のシャイン・システムは、自由に使っていいと、許可が下りている。 ルナは、声に呼び寄せられるように、廊下を走った。さっきまで、たくさんの人間が廊下を行き来していたのに、今はだれもいない。 (メルーヴァ) ルナは、扉の前に立っているドレス姿の女性が、ルナを呼んでいた声の主であり――それがメルーヴァ姫だということに気づいた。 ルナが気づくと、姫はふっと消えた。扉は、シャイン・システムの扉だった。 ルナは、とりあえず、シャイン・システムに乗り込んだ。 (どこに行けっていうの?) 並んだボタンの中で、ルナはそれを見つけた。 「メルーヴァ姫の塔」。 ルナがボタンを押した次の瞬間には、ドアがひらき、めのまえには、広い回廊があった。 回廊の左手側からは、広大な丘陵が見渡せる。クルクスの街並みも、兄弟神の像も――。 「あっ! セルゲイ」 ルナは、平原をたったひとり、歩いているまっくろくろすけを見つけた。ひろい丘陵のまんなかを歩いている。どうやら、城の方から、街に向かっているようだった。 (どこにいくんだろう) ルナは、やはりこの塔の内装に、見覚えがあった。つきあたりの部屋に入ると、なかは広く――家具などは何もなかったが、入って左側、やはり丘陵が見下ろせる位置に、開放的な扉があった。 (ここ、あたしの部屋だ) 正確に言うと、メルーヴァ姫の部屋だが。 ルナは、苦心して、さび付いたその扉を開けた。 向こうにあったのは、広く取られた、半円形のベランダ――。 |