「思い出した……」 この下の平原で、アストロスの兄弟神は、ラグ・ヴァーダの武神と戦ったのだ。 そしてルナは――メルーヴァ姫は、その戦いを止めようと、この塔から、身を投げた。 砕け散ったメルーヴァ姫の亡骸を抱え、慟哭する二神。力を失った彼らを、ロナウド軍の一斉射撃が襲った。 ふた柱の神は倒れ、メルーヴァ姫が産んだ三つ星のきずな、イシュメルにも、ロナウドの手が伸びた。イシュメルは、地球人に奪われるかもしれなかった。だが、ドーソン軍総帥だったセルゲイが、いちはやくイシュメルを、ラグ・ヴァーダの女王のもとへ預けるために、出立していた。 結局、アストロスもラグ・ヴァーダ惑星群も、地球の軍に侵略されたけれども、イシュメルは、ラグ・ヴァーダの女王が守ってくれたおかげで、脈々と、その血は受け継がれている。 ルナにも、これだけはわかる。 メルーヴァ姫は、アスラーエルを愛していた。彼と結婚したいと願っていた。 けれども、三つ星の平和を願い、ラグ・ヴァーダの武神と契って、子を産んだ。 (メルーヴァ姫が望んでいたのは、三つの惑星が戦うことなんかじゃなかった) あの女王の間にあった三つの惑星のオブジェは、アストロスの女王だったカザマがつくったものだった。 地球人の侵略によって夫を失い、娘を失い、頼りにしていた武神をなくして、それでもアストロスの女王は、平和をイシュメルにたくして、あの三ツ星のオブジェをつくった。 アストロスの女王は、地球に絶望はしなかった。 なぜなら、彼女の夫は、地球から来た神であり、セルゲイもまた、地球人でありながら、カレンとともにアストロスを守ってくれたのだから。 (メルヴァは――ラグ・ヴァーダの武神は、またここに来るんだろうか) かつて、アスラーエルと戦った、この平原に。 三千年前とはちがう。いまは、このアストロスに、武神たちだけでなく、地球の神もいる。ラグ・ヴァーダの武神はそれでも、メルーヴァ姫を奪いに、やってくるのだろうか。 『ルナ――この顛末をよく見ておけ。ベッタラの覚悟を、言葉を、覚えておけ』 かつて、ベッタラが、セシルの呪いと戦う覚悟を決めたときに、ペリドットから言われた言葉を、ルナは思い出していた。 『いずれおまえがメルヴァと向き合うときに、ベッタラの言葉を思い出すだろう』 ルナは、本当に思い出していた。 『ワタシがパコと戦い続けてきたのは、けっして憎しみではありません。ですが、最初は憎しみだった。パコはワタシの父を飲み、母を飲んだ。兄と弟も飲みました。叔父を飲み、叔母を飲み、村長も飲まれた。村人が、何人飲まれたかわかりません。 百日に一度現れる偉大なシャチは、現れるたびに村人を飲み込む災厄でした。ワタシも何度飲まれかけたかわからない。でもワタシは生きている。二十の年をむかえて以降、ワタシは村人とともに何度もパコを撃退しました。三日三晩のたたかいが毎度行われます。 パコも食わねば死ぬ、ワタシは、村人をこれ以上食われたくない。たたかいます。いつも引き分けです。三年前でしょうか。パコはワタシの村を襲わなくなった。 でも、必ず百日に一度現れます。パコとワタシは、三日三晩にらみ合います。それは、友達同士の逢瀬のようでもあり、勝負でもあります』 『ワタシは、パコの死を知り、はじめてパコを憎んでいないことに気付いたのです。――悲しみだけが残りました。その悲しみは、説明のしようのない悲しみです。ワタシのすべてが、パコに飲まれてしまったかなしみは消えません。でも、パコという親友を失ったかなしみもあるのです、……パコを、恨んではいないのです。ワタシを、アノール最強の戦士にしてくれたのは、パコでしたから』 ベッタラはそう言った。 ベッタラにとって、彼の家族を飲み、村の災厄だったパコは、敵であり、ともだちであり、師であった。 ルナにとっても、メルヴァはそうだったのかもしれない。 メルヴァとの戦いに向かう道程の中で、ルナはずいぶん成長した。 平凡な星で、呑気に育ってきたルナが、ペリドットやベッタラ、サルディオネたち、メルヴァに関わるさまざまな人間との出会いを通して、得てきたものは計り知れない。 それに、ずっと、メルヴァを憎む気はしなかった。 最初こそは驚きもし、怯えもしたが、深い理由を知るうちに、メルヴァはいつしか、ルナのなかで、運命共同体になっていった。 だれよりも遠くにいて、一度もあったことがないのに、とても近い存在になっていた。 メルーヴァ姫と同じ名を持ち、ラグ・ヴァーダの武神に肉体を貸した彼は。 武神をついに滅ぼすために、武神の依代となって、アストロスの兄弟神のまえに身を投げ出すその姿は、まさしく三千年前のメルーヴァ姫と同じだった。 ラグ・ヴァーダ星の宰相、アリタヤ――白ネズミの王様。 ルナは、ラグ・ヴァーダの武神に殺されたネイシャの前世を思った。 ラグ・ヴァーダの武神に騙され、数々のひとを呪ったために、自身が今世、呪いに苦しまねばならなかった、セシルの半生を。 妻と子を一気に失った、ベッタラの苦しみを。 愛する人がありながら、ラグ・ヴァーダの武神に見初められてしまったシンドラの不幸を。 ラグ・ヴァーダの武神に殺されたアリタヤの無念を。 アストロスに託すしかなかった、ラグ・ヴァーダの女王の想いを。 宿命によってラグ・ヴァーダの武神を倒せなかった、イシュメルの苦悩と慟哭を。 ラグ・ヴァーダの武神を倒すゆいいつの鍵として――新月そのものとなり、そこにあるのに誰にも見えない存在として、ずっと生き続けているノワの孤独を。 メルヴァを革命に駆り立てるきっかけになった、マリアンヌの死を。 ――それらすべてを背負って、ここまで突き進んでくるメルヴァの悲しみを。 姉の無残な死によって、メルヴァは、革命へと立った。けれども、長老会とL18に対する、あまりにも深い憎しみを持ったことによって、ラグ・ヴァーダの武神を目覚めさせ、その力を借りてしまったメルヴァ。 彼が、自身を宰相アリタヤであったと――二千年前は「革命家メルーヴァ」と名乗って、ラグ・ヴァーダの武神を身にやどし、イシュメルに立ち向かったこと――千年前は、盲目のサルディオーネとして、シャトランジ! を生み出したこと。 それを悟ったのは、いつだったのか。 L03から長老会を追い出し、革命が成功した、すぐ直後だったのか。 メルヴァは、この「使命」に気づかなければ、長老会がいなくなったあとのL03の近代化を推し進めていたにちがいない。 だがメルヴァは、すべてを捨てて、太古からの「使命」に立ち上がった。 (メルヴァ) メルヴァが、あたしたちに、すべてを託してやってくる。 (さあ、ルナ。ハッピーエンドになる道を願うんだ) ハッピーエンドというには、あまりに悲しみが深すぎるけれども、みんなの願いがかなうように。 メルヴァやみんなの悲願が今度こそ、成るように。 (うさこはあたし、あたしはうさこ) ――あたしがハッピーエンドになるシナリオを願えば、うさこもハッピーエンドに導いてくれる。 前世、今世、――そして、未来に向かって。 時空を超えて張り巡らされた縁の糸が、すべてを成就させる。 もう、絶望はない。 ここには、うさことともにあるあたしがいる。 (あたしの用意は万端だよ、うさこ) 多少肌寒かったが、ルナは扉を開けっ放しにして、部屋にもどった。 「うさこ」 まるで、ルナの声をずっと聴いていたかのように、部屋の中央で輝きつづけるZOOカードボックスのうえに、月を眺める子ウサギが腰かけていた。 真っ白な――ウェディングドレスにも似たドレスを着て。月の形をしたステッキを手にして。 不思議だった。表情がないぬいぐるみのうさこの目が、潤んでいる気が、ルナにはした。 「あたしも、用意万端よ、ルナ」 「うん」 ルナもうなずいた。 「はじめよう、うさこ」 ルナは、あけ放たれたベランダの方を向いて座った。月を眺める子ウサギが、いつかのように、ルナの鼻っ柱をもふもふの手で、ちょこん、と触った。 |