百九十一話 シャトランジ Ⅰ



 

 (――ルナが!)

 マリアンヌは、エタカ・リーナ山岳の西側山頂で、ルナの用意が整ったことを知った。

 クルクスには、夜の神も真昼の神も、すでに待機している。

 シャトランジ! も、起動を待つばかりである。

 (大変だわ……はやく、アンジェとペリドットさんのZOOカードを解除しないと……)

 マリアンヌは、息を喘がせながら思った。

 ラグ・ヴァーダの武神に命じられて、ふたりのZOOカードに「セリャド(封印)」の呪文をかけたが、なんとか武神のすきを見て解除しないと、「千転回帰」も「八転回帰」もできない。

 (メルヴァがサザンクロスを出発したすきに、)

 マリアンヌは、先ほどからそう思っていたのだが――ようやく、自分の思い違いに気づいた。

 マリアンヌは、ラグ・ヴァーダの武神の本体が、メルヴァとともにいると思っていた。そして、さっきマリアンヌをとらえ、ここに縛り付け、彼女のZOOカードでもってアンジェリカとペリドットのZOOカードを封じさせたのも、メルヴァのもとにいる本体だと思っていた。

 だから、メルヴァがサザンクロスを出発し、バスコーレン大佐の隊と衝突した隙を狙って、ふたりのZOOカードを解除しようとしたのだが、メルヴァはなかなか出発しない。

 それどころか、ラグ・ヴァーダの武神の分身である黒いもやが、ますます強力に、マリアンヌを取り巻く。

 マリアンヌはやっと気づいた。このもやは、本体ではなく、すぐそばにある、ラグ・ヴァーダの武神の剣を埋めた場所から発せられている瘴気だ。

 (なんてこと――剣ですら、こんな禍々しい気を、)

 シェハザールや皆を操り、シャトランジ! の駒としたのは、本体ではなく、剣の欠片にのこった、分身だったのか。

 

 (これ以上は――持たない)

 「ディフェンサ(防御)」に「ブエナ・スエルテ(幸運)」――武神から身を守るあらゆる術を発動しているが、さすがに限界が近そうだ。

 ルナは、おそらく「ムンド(世界)」の支度をはじめる。マリアンヌの危機に気づくだろうか。

 (ルナ――!)

 マリアンヌは必死で念じた。

 (お願い! アンジェたちのZOOカードを解除して!!)

 

 

 

古代都市クルクスの市長ザボンが、ケンタウル・シティに駐留する、アストロス陸軍本部に呼ばれたのは、エタカ・リーナ平原に敷かれたという、巨大な黄金の盤の正体を調査するためだった。

すでに数日が経過しているが、なかにL20の軍隊が閉じ込められたまま、出られなくなっている。

「おそらくそれが、シャトランジというものです」

じっさいのところ、ザボンも、それしか分からなかった。ルナに、シャトランジの概要を聞こうと予定していたところに、緊急だと言って呼び出されたのだ。

「チェスの駒のようなものが、動きはじめるはずです」

「チェスの駒……」

「ええ」

ルナたちと、夕食時に、さまざまな情報交換をするつもりだったが、もうそんな余裕はないようだ。いまからクルクスにもどっても、間に合うまい。

ルナに直接電話をするために、携帯電話を手にしたザボンだったが、さっきまで通じていたはずの電話がつながらない。雑音しか、耳に入っては来ない。

「あの金色の幕が下りてきてから、どの隊も、通信機器が役に立たなくなっています」

不気味そうに、アストロス軍の大佐は言った。ザボンは聞いた。

「シャトランジが原因なのですか」

「たしかなことは――でも、ナミ大陸全域で、通じなくなっているようです。まだ、調査中ですが」

 

 

 

 そのころ、スタークは、マルコに抱えられたまま、マルメント山地よりも高い位置から、黄金の盤を見ていた。

 平原一面とはいいがたいが、エタカ・リーナ山岳のほうから広がる盤は、果てが見えないほど広がっていた。マス目ひとつが、ずいぶんな広さだ。サスペンサー隊はすっかり、黄金の幕の中に囲われてしまった。

 「ウソだろ……」

 さすがのスタークも、こんなに得体のしれないものは見たことがなかった。

 

 「とてもイヤな気配がする」

 マルコも、盤を見下ろして、しかめっ面をしている。

 「死の匂いしか、シない」

 

 「かあちゃん、いったい、どこにいるんだ」

 スタークは、あの黄金幕のなかにいるはずの、母親とデビッド、そして、サスペンサー大佐の心配をした。

 「かあちゃん――? あなたのお義母さま、あのなかにいまスか」

 「いま、なんとなくイヤな読み方に聞こえたけど――俺の母ちゃんと、それからデビッドがいる」

 マルコは、ふたたび耳を澄ませた。

 「お義母さん、――あなたのよウにステーキ色の肌をしていて、強そうな女性ですか。髪が長い。ほかの者とはちがう格好をしている。半袖の服に、カーキ色のズボンをはいていル」

 「そうだ! 無事か!?」

 「彼女は無事です――たぶん彼女は大丈夫ダ。ものすごく強力な神の加護がある。太陽かな……。それともうひとり、神の加護にある人物がいる。こっちは、昼の神の加護か――ひとりだけ、ちがう武器を持っていル。弓矢かな……」

 「弓矢?」

 デビッドが持っているのは狙撃銃のはずだ。あいつは、有能なスナイパーだから。

 「サスペンサー大佐は?」

 「うろたえてはいまスが、よく統制を取っていル。あのなかから抜け出す手段を考えています――立派な指揮官です」

 「いったい、こりゃ、なんなんだ――マルコ、おまえは分かるのか? 俺たちは、シャトランジとしか聞いてない」

 「わたしも百八十年生きていルが、こんなものは、初めて見た」

 

 スタークが、フライヤとともにクルクスに行き、市長ザボンから聞いたのは、相手が、「シャトランジ」という装置をつかって攻めてくるかもしれないということだけだった。そのシャトランジに対抗できるのは、地球行き宇宙船の特殊部隊だけだと。

 

 「メルーヴァ姫様の軍隊ですね、わかりまス」

 マルコは、苦い顔をした。

 「未来の妻のご母堂をたすけたいのやまやまだが――わたしも、この中には入レない」

 金色の壁は、ずいぶん高い位置まで、壁をつくっていた。マルメント山地の頂上を越えている。マルコとスタークが見下ろしている位置から、黄金色の蓋が被さっている――上から彼らを、助け出すわけにもいかないのだ。

 上も横も、すっかり幕で覆われている。逃げ場がない。

 

 「マルコ、さっきの台詞に突っ込むのはあとにする」

 「ハイ」

「とにかく、母ちゃんたちが無事なら、このまま急いでエタカ・リーナ山岳まで行って、モハたちのバカを救出して、もどるぞ!」

 マルコは微笑んだ。

 「やはりあなたは勇敢だ。わたしの妻にふさわしイ」

 「頼むから! 突っ込んでるヒマも、今は惜しいんだよ!!」

 スタークは絶叫した。

 

 スタークとマルコは、ルナに手紙を届けてから合流したフィロストラトとともに、黄金の幕の上ではなく、ガクルックスが面するアンブレラ海域に出た。黄金幕の上を通ると、なかに吸い込まれる危険もあるかもしれないと、フィロストラトが言ったのだ。

 彼らは、だいぶ遠回りだが、海側を抜け、エタカ・リーナ山岳の背後から、モハたちのいる表側中腹に入ることにした。

 「スタークはだいじょうぶかな。エタカ・リーナ山岳も北極海域も、とても寒いよ」

 フィロストラトは気にかけたが、スタークはにっかり、笑った。

 「心配すんな! 俺も寒い星の生まれなんだ!」

 



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