マルメント山地にいたボリスとベック、オリーヴとテッサも、惨状を目の当たりにしていた。

 地鳴りのような音が響いたと思ったら、チェスの駒――それも巨大な駒が、こちらへ進んでくるのを肉眼で捉えたのは、ほんの、数分前のことだった。

 あれはなんだと、様子を確認している間に、悪夢は起こった。

 巨石が、次々と、サスペンサー隊を踏みつぶしながら前へ進んでくる。サスペンサー本隊の天幕が、巨石につぶされて化石になった姿を見て、フライヤが絶叫した。

 

 「かあちゃん!!」

 蒼白になって飛び出したオリーヴを、テッサが止めた。

 「ダメだ! あのなかには入れない!」

 

 ――いや、入ったら最後、おしまいなのか。

 巨石のハイダク(歩兵)たちが、サスペンサー隊を全滅させ、ズゥン、ズズズ……と不気味な音を立てて、血の跡を引きずってくる。

 

 「シャトランジ……」

 ボリスの声は、震えていた。

 

 『それでよ、そのまじないに立ち会った王宮護衛官は、みんないなくなっちまったって』

『……口封じに消されたってことですか?』

 『違えよ――みんな、一瞬で、死んじまったって話だ。その、シャトなんとかで。みんな“つぶされちまって”よ。――地獄絵図だったって話で』

 

 メフラー親父の言葉が、三人の脳裏にまざまざとよみがえった。親父の言葉通り、サスペンサー隊は、シャトランジの駒であるハイダクに、すべてつぶされてしまった。

 

 「うぐ、」

 ベックが鼻をおさえて、次の瞬間には吐いた。風に乗って、こちらまで漂ってくる血の臭い――死の匂い。

 「生き残りはいねえのか……」

 ボリスの絶望した声が、むなしく響いた。アントニオには、生き残った者をたすけてもどるよう言われたが、生き残った者など、だれもいなかった。

 

オリーヴたちは、マルメントの東方面で、マクハラン少将の隊がなだれをうって逃げ出すのをその目で見た。

 そうしているあいだにも、ハイダクはこちらへ向かって進んでくる。やがてハイダクは、盤の突き当たりまで来た。

 

 「やべえ……」

 双眼鏡で確認したボリスが、真っ青な顔で言った。

 「広がってる」

 「マジで!?」

 ベックが、真っ青な顔を上げた。

 「こっち来るぞ!!」

突き当たりの壁が、ゆっくりと、こちらに向かって倒れ込んでくる。最初に、盤が敷かれたときと同じだ。

 「おい、逃げろ!」

 「逃げろったって――」

 膜が倒れ込んでくる。どんなに早く走っても、ひろい膜の向こうには逃げられない。

 

 「テッサ、オリーヴとベックを連れて、全速力で逃げろ!!」

 「ボリス!!」

 ボリスは、テッサのほうへ、オリーヴとベックを突き飛ばした。いくらテッサでも、三人は抱えられない。テッサは、迷っているヒマはないとばかりに、ふたりを羽交い絞めにして、そこから飛び立った。

 「ボリスっ!! ボリス――!!」

 オリーヴとベックの、悲鳴のような声を聞きながら、ボリスは、ジープのエンジンをかけた。

 (ンな声で呼ばれなくたって、死ぬつもりなんかねえよ――ちくしょう!!)

 ボリスは、最高速度で、山を駆け下りた――。

 

 

 

 「サスペンサー隊は全滅、それから、あの黄金幕も広がっているとのこと!」

 「マクハラン少将の部隊も撤退しました!」

 「少将はどこへ!?」

 次々ともたらされる報告をさえぎり、フライヤの悲鳴のような声。

 「すでに宇宙船で、E002へ――」

 「マクハラン少将の隊はバラバラになって逃げています! 逃げ遅れて幕につかまった者も多数――!」

 「――!!」

 フライヤは歯噛みした。マクハランは、自隊を統制することもできず、自分だけ、宇宙船に乗って逃げたのか。

 

 「総司令官――どうか、指示を」

 不安げな顔で、皆が、フライヤを見ていた。天使隊隊長のヴィクトル、アノール代表のタロも、フライヤの指示を待っている。

 そこへ、オリーヴとベックを両脇に抱えたテッサが飛び込んできた。

 「フライヤ司令官! あの黄金盤は、広がっているぞ!」

 「え、ええ――報告は聞きました」

 「ボリス……かあちゃん、」

 オリーヴが泣きじゃくっていた。

 「オリーヴ……」

フライヤは、友人の慟哭を、絶句した顔で見つめた。テッサはオリーヴをちらりと見て、

 「すぐ引き返します!」

 と怒鳴った。

 「彼女たちの仲間が、いま、たったひとり、ジープで逃げています!」

 テッサは、呆然としているオリーヴとベックを床に降ろし、すぐ発とうとした。

 だが、三人の天使が、続けざまに入ってきて、ひとつしかないドアはさえぎられた。

 

 「また、黄金盤が、敷かれました!」

 オリーヴとベックが、目が覚めたように天使たちにすがった。

 「ボリスは!?」

 「だれか、逃げ遅れた者が?」

 「ボリスって、俺たちの仲間なんだ! L20陸軍のジープで、マルメント山地から降りてこなかったか!?」

 天使たちは顔を見合わせ、気の毒そうに言った。

 「マルメント山地とサムルパ街は、完全に黄金盤におおわれた」

 「――!」

 オリーヴの膝が、がくりと崩れた。ベックが、「ちくしょおおおお!!」と号泣した。

 天使たちは、悲しげな顔で二人の肩に手をやり、告げた。

 「あの黄金盤は、広がり続けます! おそらく、アストロスの果てに行くまで、止まらない」

 「ジュセ大陸の住民も、星外への避難を、」

 「この総本部も撤退すべきです! 黄金盤はここまでくる、時間の問題だ!」

 彼らの言葉に、司令部にいる軍人たちにも、動揺が広がった。

 

 「――いいえ」

 首を振ったのは、フライヤだった。彼女は、石板を持ち出していた。フライヤが、クルクスから帰ってきたときに持っていた石板だ。サンディも、今日初めて、それを見ることになった。

 打開策でも書いてあると思いきや、それは、アストロスの地図だった。

 「――これは」

 天使たちもアノール族も、サンディたちも、石板を覗き込んだ。エタカ・リーナ平原から、市松模様の黄金盤が、ひろがっていくのが写しだされている。

 「クルクスの市長、ザボンさんから借り受けたものです」

 フライヤは言った。

 

 盤は、エタカ・リーナ平原から、マルメント山地、サムルパ街、ジュエルス海の西側まで覆いつくすほど広がっている。マス目のひろさも、盤が広がるにつれ、倍加していく。

 「これはまさしく、チェス、ですな……」

 ヴィクトルが白ひげをなぞりながら唸った。

盤の上を、ハイダクと呼ばれる歩兵の駒がゆっくり進んでいるのを、見ることができた。

 彼らが戦慄したのは、サスペンサー隊を全滅させたのは、歩兵の駒であるということだ。

 つまりその後ろに――エタカ・リーナ山岳のふもとに、まだ動いていない、将軍や馬、戦車などの駒が待機している。

 歩兵が動いただけでこのありさまなら、将軍たちが動き出せば、どんな惨状が起こることか――。

 

 アストロスは、「シャトランジ!」によって、壊滅してしまうのか。


 皆の胸によぎった絶望は、一様だった。

 



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